2014年11月22日(土) 御遷座を終えた満留山神社(鳥羽市安楽島町) (車、徒歩)
伊雜宮のお白石持行事に向かう前、少し時間に余裕があったので鳥羽市安楽島町に鎮座する満留山神社を訪れた。
【参考】
伊勢新聞でも報じられたように満留山神社では10月26日にお白石持行事、11月2日には御遷座(式年遷宮)が執り行われた。
11月3日に斎行された奉祝祭を拝観したいと思っていたのだが、別の場所を訪れていたため御遷座初めての訪問となった。また、当社には以前に一度だけ訪れたことがあったので、二度目の訪問である。
【参考】
今回は、かもめバス 安楽島 バスのりば付近まで車で訪れた。
かもめバス 安楽島 バスのりばの隣には
次の案内板があり、伊射波神社と合わせ満留山神社の例祭と日程が紹介されている。
参拝者専用の駐車スペースに車を駐めた。そこには「ここは参拝者専用駐車場です。駐車は一時間以内にお願いします。」と記されていた。
駐車スペースの前面に建つ立派な建物には「安楽島舞台」との説明が掲げられている。
安楽島舞台
文久二年(1862年)の建造で芯棒式回り舞台だったが昭和二十八年の修復工事の際に廃止し現在に至っている。
鬼瓦は恵比寿様が鯛を釣っている立派なものであったが、伊勢湾台風の際、落ちて割れたので裏側のものを正面に回し使用している。
中央の懸魚は舞鶴と日の出の彫刻だが、これは昭和二十八年の修理の時にとりつけられたものという。最初は満留山神社の龍堂としてたてられ、太夫座、出語りの柱には「明治十一年一月六日祭 狂言 恋女房染分手綱 回修○○ヨリ鎌倉三代記八ツ目伝伝」とあり、神祭に奉納芝居がされていたことがわかるが、大半は天王祭に使われていた。
平成四年に外壁と日本瓦の張り替え、棟木の一部を鉄で補修する修理が行われている。
建造年:文久二年(1862年)棟木墨書有り
形 状:間口七間二尺、奥行き四間四尺
平成八年十一月二十六日
鳥羽市指定(有形民俗文化財)
所有者(安楽島町内会)
鳥羽市教育委員会
安楽島舞台の右側を進むとその先には満留山神社の鳥居が建っている。
鳥居の手前で右手に視線を振るとこんな土蔵が建っている。外壁が崩れ落ちてしまっているが、往時は立派なものだったのだろう!
社標を確認してから
鳥居をくぐると
数段の石階の先、左手に手水所がある。
さらに素木の鳥居をくぐるとかなり急な石段が続いている。
足元に注意しながらゆっくりと登り、途中で振り返ってパチリ。
石階を登り切るとそこにも真新しい素木の鳥居が建っている。
鳥居をくぐってから振り返ると右手には手水所がある。
手水所を背にすると目に入るのはこんな景色だ。左側に本殿、右側に拝殿が建っている。
本殿を確認すると社殿はコンクリート製だが色は塗り替えられていた。御垣は造替され
御扉も新しくなっていた。
拝殿前を通り過ぎてから
振り返ってパチリ。拝殿全体を撮影することはできない。
拝殿入口の引き戸を開けると中へ入りお参り。
拝殿には風も入らず快適な空間となっていた。
拝殿の右奥には社務所が建っていた。
社務所側から本殿を望み、パチリ。
御門の御扉もパチリ。この御門は造替されていないのだろうか?
心地よい空間を十分に楽しんだ後、先ほどの石階を下った。
この階段がどれほど急であるのかは次の写真で明確だ。手すりの支柱が垂直に撮れていないので、実際にはさらに傾斜がきつい!
二度目の訪問とは思えないほど馴染んでしまった満留山神社を後にすると
伊雜宮がある磯部町へと向かった。
【 20141122 の記録 】
- 御遷座を終えた満留山神社(鳥羽市安楽島町)
- 上之郷の石神、旧村社「谷社」跡と秋を見つけて(志摩市磯部町)
- 遷御の儀に向けて雨儀廊が準備された伊雜宮
- 御造営を終えた佐美長神社、造替を終えた佐美長御前神社四社
- 第62回神宮式年遷宮 お白石持行事、 伊雜宮奉献