2014年07月20日(日) 『御塩みち マップ 絵地図』を片手に、御塩道 (徒歩)
今年も神宮(伊勢神宮)の祭典で使用される御塩づくりが始まった。御塩は祭典でのお供えとして、さらに修祓での清めのために使用される。御塩は簡単に作れるものではなく、まずは(1、採鹹作業)夏の土用前後約一週間で五十鈴川の河口付近に設けられた御塩浜にて入浜式塩田の製塩方法により海水から塩分濃度の高い鹹水をつくる。(2、荒塩の焚き上げ)その後、御塩殿神社の裏手にある御塩焼所へ場所を移し、御塩焼所の大釜で鹹水を焚き上げることにより水分を抜きにがり成分等を残した荒塩をつくる。(3、御塩焼固)そして仕上げとして年2回、10月と3月には御塩殿神社の隣にある御塩殿にて三角錐の土器に詰められた荒塩を焼き固めることにより実際に使用される御塩(堅塩)がつくられる。(4、御塩護送)御塩殿にて焼き固められた御塩(堅塩)は外宮へと護送される。
このように神宮で使用される御塩(堅塩)は7月〜8月にかけて採鹹作業および荒塩の焚き上げを済ませると10月には神嘗祭にて最初に使用するために堅塩として焼き固められる。翌年の3月にも堅塩が焼き固められる。そして、7月には採鹹作業で・・・と、このサイクルが繰り返される。
なお、御塩供進の起源と沿革については、小冊子「神宮広報シリーズ(三) 神宮の御塩」を引用する。
一、御塩の起源と沿革
伊勢の神宮では、『祭祀集覧』に「朝夕供進の御饌(神様のお供え)は、黒米の蒸飯、二見浦の堅塩、天忍井の御水、是の三種なり」と記されているように、生命の源である米・塩・水は太古から大御神の大切なお供えとされてきました。
とりわけ、二見浦の御塩は、お祭りの際、お供えとして捧げられるだけでなく、お清めの塩としても使用されてきました。
この二見浦から御塩を供進したことは、第十一代垂仁天皇の御代、皇大神宮(内宮)ご鎮座当時に始まったと伝えられています。
倭姫命が天照大御神のおともをして諸国をめぐられ、北伊勢から南にお進みになり、驚(*)取の小浜から二見の浜に出られた時に、土地の神、佐見都日女(さ みつひめ)がお迎えして、堅塩を奉ったところ、命はこれを愛でられ、その地に堅田の社を定められました。この社が二見町江にご鎮座の皇大神宮摂社、堅田 (かただ)神社で、二見から御神に御塩を奉る起源となっています。(後略)
(*: 驚 は 鷲?)
【参考】 採鹹作業→荒塩焚き上げ→御塩焼固の流れについてはこちら、
御塩焼固にて奉製された堅塩は辛櫃に納められると10月、3月共に二回、「御塩道」にて外宮まで運ばれた(られる?)。現在は軽トラックで外宮まで護送されるが、車がない時代は役夫が担いで運んだ。現在でも軽トラックで御塩道を辿ると聞いたが実際には確認していないので不明。
【参考】
以前、御塩道を歩いた記録はこちら。
【参考】
この記録を書き上げている間に採鹹作業はすでに終了したと聞いた。次の工程は8月1日〜2日に執り行われる荒塩の焚き上げ作業だ。
昨年は第62回神宮式年遷宮のお白石持行事で暑くて熱い夏を過ごしたため、今年は改めて御塩づくりに注目しようと思い、シーズンは異なるが採鹹作業が開始されたのを機に再び御塩道を歩くことにした。
二見町荘にある御塩殿神社へ向かうと
御塩殿の正面に建つ鳥居をくぐった。
御塩殿の左側にある御塩殿神社にお参りを済ませると右手の斎舎付近から
御塩殿神社の裏手へと回った。そこには御塩浜から鹹水が運び込まれる御塩汲入所、
その左には鹹水から荒塩を焚き上げる御塩焼所がある。
8月1日の夜に訪れることを約してこの場を離れると社域を散策してから・・・、すると二見浦側にある扉付近でこんなものを発見。これは開けられた扉を固定する杭だと思われるが、上部には金物が張られている。丁寧な仕上げだ。
「さぁ、歩き始めよう!」 御塩殿の前の鳥居をくぐり返すと
参道を戻った。
『御塩みち マップ 絵地図』を手にして鳥居をくぐり返した。
ここから御塩道がスタートする。手持ちのマップは先に紹介した『御塩道』の地図と内容は同じだった。
まずここで、「倭姫ろまん ここは 御塩みち」の案内板を確認、直進。
数十m歩いてから振り返って御塩殿神社の社叢をパチリ。
左手には伊勢安土桃山文化村の安土城天主閣が見える。
まっすぐ進むとこの丁字路に到着、ここを右折。(ここを直進すると 御塩道を歩くために伊勢市二見町へ向かうにて御塩殿神社の社叢を遠望した場所へ向かう。)
ここにも「倭姫ろまん ここは 御塩みち」の案内板が置かれている。
続いて右手に荘公民館。
少し歩くと神の木と呼ばれる大楠があり、
入口付近には歌碑と
歌碑および大楠に関する説明の石碑がある。
こちらが神の木だ。
支えが無ければどうなる?
神の木を後にすると次は左折のポイント。蔵の上に火の見櫓が見える。
左折すると二見第4班車庫(荘)を背にする。
民家のブロック塀には「倭姫ろまん ここは 御塩みち」の案内板がくくり付けられている。ありがたい。
この道を進むと、御塩殿神社へ向かう際「御塩道を歩くために伊勢市二見町へ向かう」にて歩いた場所に出る。ここから
この先まで。御塩道はしばらく直進する。
この先はどこで右折するのか迷ってしまうが、この橋を渡って
次の十字路、ここを右折する。
右折して次の十字路では
電柱に「NTT御塩殿支11左9」の札が掛けられている。
左へ進むと国道42号に出るが、ここは直進。
その先はY字路となっているので、ここは左方向へ折れる。
新聞屋さんの前を進むと
国道42号の荘1交差点に出るので、ここで国道を横断する。
前方左方向には ストアがある。
横断歩道を渡るとここは二見町荘だが、
右方向、国道に立っている標識には二見町山田原と書かれている。
しばらく進むと山田原になるようだ。次の十字路を直進。
右側にある二見アパートと
左側、何かの跡地の間を進むと
すぐに十字路が現れる。ここも直進。
すると突き当りは丁字路となっている。
ここで来た道を振り返ってパチリ。
丁字路の正面にある民家のブロック塀にも「倭姫ろまん ここは 御塩みち」の案内板がくくり付けられている。ここは右折。
しばらく歩くと次の交差点では
光の街、三重県営サンアリーナへの道路が左方向へ続いている。
この十字路は直進し、さらに進む。
Y字路にて右からの道が合流するので、そのまま直進すると
気付きにくいのだが、左側には
「神宮御園」と刻された標石がある。
ここで御塩道を離れると数十m先にある神宮御園へ寄り道。しかし、見学はできないので場所を確認してから御塩道へ戻った。
御塩道を先へ進むと鳥居形の案内板に「神宮御園」と「姫宮神社」の名がある。
100m先に二見(姫宮)神社があるので立ち寄ったが、その記録はこちら、
( 【参考】 御遷座造営中の二見神社(姫宮稲荷神社)(伊勢市二見町溝口) )
二見(姫宮)神社でお参りを終えて御塩道へ戻るとマツにぶら下げられた「倭姫ろまん ここは 御塩みち」の案内板。
先へ進むとすぐ近くの溝口地区学習等供用施設付近にも「倭姫ろまん ここは 御塩みち」の案内板。
この先ではY字路となり、汐合橋(五十鈴川)を渡る。
前方に見える汐合橋を渡ろうとしたが、かつて走っていた神都線の名残があることを思い出し、
合流点の手前を左へ入った。
左側には五十鈴川と上流側を走るJR参宮線の鉄橋が望める。
たまたま列車が通り過ぎたのでパチリ。
そして、地道を先へ進むと汐合橋の上流側に残されているには神都線の汐合鉄橋跡である橋脚。
立派な橋脚の上には立派な鉄橋があったのだろうと想像しながらしばし・・・。
神都線 汐合鉄橋跡から汐合橋へ戻ると
橋を渡った。
渡り切るとその先にはこんな道路標識。
五十鈴川左岸、汐合橋の上流側にてパ〜チリ。
先ほどの反対側から神都線 汐合鉄橋跡をパチリ、パチリ。
汐合橋を後にすると国道42号との合流点を目指す。
たこ棒やチーズ棒など棒天が人気なまる天、ここから先は歩道がない。左側の方が路肩が広いし、この先で左へ進むので、左側を歩いた。
通町変電所を過ぎると
シャディダイコクがある通町3交差点へ。
ここでは先ほど荘1交差点で離れた国道42号へ合流する。
歩道は車道から離れ左側へ伸びている。
右側、生け垣の向こうは国道42号だ。
前方で国道23号と交差道路標識が現れると
左手にはうなぎ さし汐があり、
ここにも「倭姫ろまん ここは 御塩みち」の案内板が掛けられている。
SANCO 通り口 バスのりばを過ぎると
御塩道は国道23号と立体交差する。
横断歩道を渡ると
国道23号の下をくぐった。
通り過ぎてから振り返って国道23号をパチリ。左側は宮川方向、右側が内宮方向。
ここは二見街道、進行方向左手には御木本製薬株式会社があり、
道路の反対側には絲印煎餅で有名は播田屋がある。
さらに進むと御塩道はこの場所、ふじなみ歯科の手前を左へ折れると
次の丁字路を右折する。クランクを進むように左、右だ。
先へ進むと浜郷小学校付近で二見街道へ戻る。
交差点を横断歩道で渡ってから振り返って来た道をパチリ。(右側が御塩道)
最近、この道(御塩道)には神都線の線路が敷かれていたことを知った。神都線が存在していた頃、御塩はどのように運ばれていたのだろうか?
浜郷小学校を背にして進むと
二見街道の左側にSANCO 浜郷小学校前 バスのりばがある。
この辺りで御塩道は二見街道から離れ、右側の細い道へ。
民家の間を進むと
銭湯 大師湯がある。
さらに進むとこの十字路、前回歩いた時は店頭にタバコが並べられていたが、今はなかった。ここを右へ進むと勢田大橋(勢田川)へ出る。
また、この十字路で左後方を望むとコンビニがある。 この十字路は直進。
道なりに進むと
ほどなく橘神社の社叢に到着する。左側の参道を進むと右側に鳥居があるが、さらに進むと二見街道に合流する。
二見街道沿いには橘神社の社標があるので、ここから社域へ入った。
御塩道において橘神社は特別な場所。役夫が辛櫃を担いで御塩を運ぶ際に御塩殿から外宮までの間で唯一辛櫃を降ろして休憩できる場所だったそうだ。辛櫃を置くための石があったそうだが、どこにあるのかは?
なお、現在は御造営(修繕?)が進められている。
【参考】
橘神社を後にすると勢田川の右岸堤防へ出た。近くには建設中の水管橋がある。
堤防を上流側へ歩くと
川辺には浮き桟橋がある。ここは勢田川で運航されている木造船みずきのための川の駅 二軒茶屋。
【参考】
左手には次の建物があり、
入口には
川の駅 二軒茶屋の看板がある。
しかし、川の駅はこの建物の一画を利用しているだけで、この建物本来の役割は伊勢まちかど博物館 かどや民具館である。
中へ入るとこんな感じ。
じっくり拝見する時間がなかったので、過去に訪れた時の記録で紹介しよう。
【参考】
伊勢まちかど博物館 かどや民具館を出て左手を望むとそこは御塩道。
また、川の駅 二軒茶屋の入口付近には明治天皇御上陸地記念碑がある。
近くにこの案内板も。
御塩道は二軒茶屋餅の脇から二見街道の向こうへと続く。
二軒茶屋餅を背にして
細い路地を進む。麦酒蔵の建物の壁にも
「倭姫ろまん ここは 御塩みち」の案内板が取り付けられていた。
その先には角屋醤油味噌溜製造所があり、前回御塩道を歩いた時にこのなかを見学させていただいた。
(詳細は 前回の記録の 2/2)
角屋醤油味噌溜製造所を右手に見ながら先へ進むと右へと別れる道は田んぼの縁を丸みを帯びながら曲がっている。これは昔からの道だろう。右折して
さらにその先では左へと滑らかに曲がっている。
次の交差点では右折。
三重県立伊勢工業高等学校を目指して歩いていると左側にあるR参宮線では列車が走り去った。
ほどなく、三重県立伊勢工業高等学校の校門前に到着。
神久交差点を横断歩道で渡ると
次の注意看板があった。たまたま今日は河崎の天王祭の日だった。
交差点近くにある楠木商店を過ぎるとすぐ左への路地があるので、ここを左折する。
しばらく道なりに民家の間を進む。
すると道路脇にこんなお地蔵さん。
さらに進むと左には神久の地名板。
右には河崎の地名板。
その先ではこの丁字路の標識に注意。このカーブミラーの下には
宇治道慈悲地蔵。
丁字路を右折すると宇治道慈悲地蔵を背にして進む。
しばらく歩くとと左手には銭湯 旭湯、
そして前方には清浄坊橋(勢田川)がある。
御塩が通るこの橋はその名が示す通り清い橋であり、お葬式の車など不浄なものは通らないそうだ。
橋を渡り終えてから振り返ってパチリ。
清浄坊橋を後にして進むと
河崎本通りへの分岐がある、ここは直進、やや左方向へ。
さらにその先左側には次の道標がある。宇治山田駅への分岐だ。ここも直進。
しばらく進むと立派な看板を掲げている株式会社かねやすの前を通る。
【参考】
この先で近鉄山田線の下をくぐると
ここを道なりに右方向へ進む。
突き当り左側にある
JR参宮線 吹上町踏切を渡ると右方向へ進む。
道路の左側を進むとSANCO 吹上町 バスのりばがあり、さらに進むと
吹上交差点。
吹上交差点を直進し、次のY字路で左方向へ進む。
この路地を突き進むと外宮参道へと出る。
外宮参道を左、外宮方向へ進むと
外宮前交差点まで一気に進む。横断歩道の手前右側には伊勢市観光案内所がある。
外宮前の横断歩道を渡ると
前方には外宮 表参道に架かる火除橋が望める。参拝であればこの橋を渡るが、
御塩は特別は橋を渡るため火除橋へは向かわずに右方向(タクシーのりば方向)へ進む。
すると、この辺り、
「関係者以外立入ご遠慮ください」の注意看板付近から小さな橋を望むことができる。
前回、御塩道を歩いた時は橋の前まで参入できたが、今はこの離れた場所からの遠望となった。ズームでパチリ。よく見ると橋の上にはタイヤ痕らしきものがあった。
以上で二見町荘にある御塩殿から外宮斎館までの御塩道歩きは終了!
【 20140720 の記録 】
- 毎日の清掃奉仕に感謝、河原神社(毛理神社を同座)
- 御塩道を歩くために伊勢市二見町へ向かう
→ 美しい箒目と新たな旅立ち、栄通神社および山之神社にて(伊勢市通町) - 『御塩みち マップ 絵地図』を片手に、御塩道
→ 御遷座造営中の二見神社(姫宮稲荷神社)(伊勢市二見町溝口) - 「皇太子同妃両殿下・愛子内親王殿下 御参拝臨時祭」の案内掲示(外宮)
- 外宮正宮の解体と土宮の御造営ほか
- 御造営が進められる月夜見宮
- 河崎天王祭(伊勢市河崎)2014