2017年12月24日(日) 桑名駅西側の散策・諸戸水道貯水池遺構、神社諸社ほか ぶらぶら (近鉄、徒歩)
増田神社にて奉納される伊勢大神楽を体感するために桑名を訪れた。神楽の12時30分開始の予定だったので桑名駅には10時過ぎに到着して周辺を散策することにした。
桑名は駅の東側には何度も訪れたことがあるが、増田神社が鎮座する東側には訪れたことは無かった。
【参考】
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桑名駅から増田神社まで最短距離を歩けば20分ほどなのだけど、今回は遠回りして約2時間ほどのぶらぶらを楽しんだ。
桑名駅西口を出ると
駅前の道路を南方向へ進んだ。丁字路に突き当たるので右方向へ進むと左折した。
たどり着いたのはこちら、桑名神明社付近の交差点。
鳥居には新しい注連縄が掛けられ、その両側には門松が立てられていた。
説明板を確認すると
拝殿にてお参り。
拝殿の左手にはこちら、末社の説明板があり、
その脇には一二三神社、山の神、八天宮がまつられていた。
また拝殿の右側には朱の鳥居が立ち列び、こちらが伏見正一位稲荷大明神だった。
次には諸戸水道貯水池遺構を目指し増田神社の方へと続く県道を進むと坂道となる。
坂道の途中でこんな路地を見つけたが、手にしていた簡単な地図と見比べて「ここではないだろう!」と判断して坂の先へと向かった。(その後、ここまで戻ってくることになったが・・・)
桑名高校のグランドを背にして次の路地へ入るとここは諸戸徳成邸の裏手にあたる場所だった。
「諸戸徳成邸」と言えば以前、最後の特別公開が実施されたが残念にも参加できず訪れることもないだろうと思っていた場所だ。
【参考】
塀越しに見える樹木の様子で公開時を想像してみた。
諸戸徳成邸を背にして近くに公園へ立ち寄るとコンクリートの階段から滑り台への階段へと続く動線に惹かれてパチリ。公園の外部と公園の内部が滑り台で一体化しているようで思わず遊びたくなってしまった。(子どもがひとりもいないのが残念。)
寄り道を終えると先の一本手前の路地まで戻るとその先には尾野上南の地名板がある。山の名が付くだけあり思った以上に高台となっていた。(こんなに上ってきたのか、知らぬ間に・・・)
この向かい側には諸戸徳成邸の入口があり門は取り外されていた。そのため、もう目にすることはできないと思っていた建物を目にすることができた。
さらに、諸戸徳成邸入口の向かいには下り坂があり「諸戸水道貯水池遺構」への案内板がある。
案内に従って坂を下ると右側には広場、その端にこちらの説明板がある。
諸戸水道の概要を掴んでからその先、フェンスの向こう側を眺めると
そこにはレンガ造りの貯水池遺構が残されていた。
フェンスの間にレンズを近づけてパチリ。これが上水道の貯水池であったことを考えると感慨深い。しかも最初は自宅用2.3kmも鉄管を引いたというのだから驚き。さらには余りを無償で分け与え、自家用水道で実証実験を終えると本格的は水道事業に取り組んだと・・・諸戸清六さん。
貯水池遺構を見ながら坂道を下ると
二本目の交差点で諸戸水道貯水池遺構を振り返った。次はこの交差点から
三岐鉄道北勢線の西桑名第4号踏切方向へ歩いた。
三岐鉄道北勢線の踏切の名称についてはこちらのサイトを参考にさせていただいた。
【参考】
西桑名第4号踏切にたどり着くといきなり遮断機は・・・
しばらくすると馬道駅を出発した列車が
目の前を通過した。
この踏切の近くで気になる看板を見つけたのでパチリ。
踏切を後にすると線路に沿って馬道駅の方向へ
さらに馬道駅を過ぎると次の踏切、馬道第1号踏切にたどり着く。ここで踏切を渡ると走井山公園となるが、ここは見どころが多かった。踏切を渡って階段を進むと
左側にこのような坂道が続いている。
階段を登り詰めるとその先ではこちらの鳥居が迎えたくれた。
いきなりこちらの建物へと導かれたのでお参り。提灯には「正一位お菊稲荷大明神」と記されていた。
建物を出て左方向へ回り込むとこちらの前となる。朱色と白色の鳥居、朱はもちろん稲荷神社で
お菊稲荷神社である。先ほどの建物の内部におまつりされている神社との違いは何なのだろう?
そして、こちらが白色の鳥居の先、白龍龍神がまつられていた。
さらに白色の鳥居の右側には複数の庚申塔が建っていた。
説明板によると「室町時代末頃から・・・桑名でも走井山や愛宕山などでみることができる。」とある。これらは走井山の庚申塔だろう。
また、説明板の後ろに建つ祠の中にはこのような像がまつられていた。これは庚申供養と関係があるのだろうか? 青面金剛像では無いし・・・
さらに走井山公園を散策していると愛宕山庚申碑を見つけた。こちらは先の説明板にも記されていた愛宕山の庚申塔を一挙集約したものだった。
その説明板がこちら。
続いては勧学寺へ向かうと
近づいても微動だにしない猫たちが迎えてくれた。私がカメラを突き出してもそのままの姿勢を保っていた。
こちらが走井山勧学寺矢田城跡の説明板。ここが城跡だと知れば納得できる場所だ。
お堂の右手には仏足石も残されている。
この仏足石は 「勧学寺様式」と分類される珍しいタイプのようだ。
勧学寺を背にしてこちらの階段を下ると
山上への階段が右手にあり
さらに下るとこんな案内板があった。そこには伝「村正屋敷」跡とある。
走井山公園にはかなり長居してしまったので、急ぎ足で玉三稲荷神社を目指した。少しルートを迷いながらこの店の前を進むと
右手に鳥居を確認。どうやらこの奥にも道路があり参道と交差していた。一本分、道を間違えたようだがそれが功を奏した。参道の入口から鳥居をくぐることができたのだった。
二基の鳥居をくぐると玉三稲荷神社の境内へ入り、社務所の手前を左方向へ進むと拝殿にたどり着く。
お参り。
玉三稲荷神社の拝殿の左側には長福稲荷と金山稲荷がまつられているが、私はこちらの壊れた狐さんが気になってしまった。
玉三稲荷神社の次には上野神社を目指したのだが、ルートを誤ったのだろう。
新興住宅街を歩いていた。左右に抜け道は無いようで進むか、戻るかの二択しかなかった。三岐鉄道北勢線の線路を右側に感じながら歩いているので方向的には間違いがない。とにかく前へ進むことにした。
そろそろ時間も押してきたので、ここで迷う訳にはいかない。仕方なく伝家の宝刀であるスマホのマップアプリを起動すると現在地を確認した。するとここは三岐鉄道北勢線 馬道第3号で、全く予定通りの場所に立っていたことになる。結果オーライだ。踏み切りを渡るとふたつ目の路地を左へ折れた。軽いクランクを進むと
右方向には神社っぽい雰囲気の場所にたどり着いた。右側の坂道を進むと
その先には上野集会所があり、さらにその先には
鳥居が建っていた。鳥居の奥に建つ祠を覗き込むと
地蔵菩薩と観世音菩薩がまつられていた。
鳥居の先に続く階段を進むと
こちらが上野神社だった。お参り。
お参りを終えて階段を下る途中に電車の音が聞こえ目の前を黄色い電車が走っていた。思わずパチリ。
上野神社を後にすると右方向(来た方向とは逆)へ進んだ。
途中で右方向へ折れるとこんな場所を通過。ここで注意を払わなかったが実は右方向が正解だった。ほぼ道なりに左へ進んだ私は
この先で行き止まりの状態であることを知った。(実は少し竹やぶを彷徨ったが、抜けられないと諦めた。)
先ほどのポイントまで引き返すと右側のルートへ進んだ。水路沿いの細い道で明らかに先ほどの行き止まりルートの方が確からしい雰囲気だった。しかし、こちらが通るべきルート・・・
竹やぶの中を通り抜けると
風景は一変しこんな場所にたどり着いた。増田神社はもう少しだ。
太夫の大樟(桑名市太夫)を探して歩を進めるとここに太夫の大樟を見つけた。
こちらが太夫の大樟の説明板。
増田神社へ向かおうとすると鳥居を見つけたので立ち寄った。
社号標の正面には八幡社と刻されているが、その脇には南大山田神社とある。これも何かあるのだろうか?
この後、何とか伊勢大神楽の開始30分前には増田神社にたどり着くことができた。