2015年08月22日(土) 企画展「安養寺を探る」ふるさと会館2F(多気郡明和町) (車、徒歩)
そして本日最後に訪れたのは多気郡明和町のふるさと会館で開催されていた企画展「安養寺を探る」(8月23日で終了)。
私の中で印象の強い安養寺は二見に安養寺跡、しかし本企画展で取り上げられている安養寺についても移設された現在の安養寺にはお参りしたことがあった。
【参考】
- 賓日館で開催された西行に関する講演と公演 2014年11月29日
- 伊勢街道 斎宮跡からいよいよ外宮コース 2014年12月28日
明和町役場の近くにあるふるさと会館へ到着。
会館の中へ進むと二階の一画が企画展の展示スペースとなっていた。
階段を上り、右方向へ巻くように進むと突き当りのパーティションで区切られた空間にて
企画展「安養寺を探る」が開催されていた。
本展示の内容は、入口に準備されていた解説シート1〜3にも紹介されていた。ただし、ショーケースのガラス越しとはいえ本物には紙面では分からないモノが感じられる。
本資料は、「さいくうあと通信・明和町文化財解説シート」として明和町のホームページに準備されるのだが、解説シート2と3についてはまだ掲載されていなかった。
【参考】
いずれは掲載されるはずなので、ここでは頂いた資料のスキャニングしたものを掲載した。できれば、上のリンクに掲載されるであろうPDFを参照されたし。(以下の資料は参考まで。)
なお、今回の展示のエピローグは次の内容となっていた。
エピローグ
企画展を通して、安養寺跡の姿を探ってまいりました。
最盛期の安養寺は非常に広大な敷地を有し、幕府や国司と関わりを持ち、南勢において屈指の名刹であったといえるでしょう。しかし、発掘調査による出土量は膨大でまだまだ整理・分析の必要があり、全容を解明するにはほど遠い状況です。
さて、最後に地元に伝わる「黄金の御所車伝説」をご紹介しましょう。伊勢神宮への参詣した菅原道真が京への帰路に安養寺に立寄り、乗ってきた黄金の御所車を引くことに困り寺に埋めていったというものです。伝説が本当かは不明ですが、人々が歴史上の著名人や財宝と結びつけてしまうほど、安養寺が大きな力を持っていたといえます。
安養寺はこれからも多くの謎や伝説で我々を魅了し続けるでしょう。今後も新たな情報を紹介できればと思います。
(パチ、パチ、パチ、パチ・・・・)
【 20150822 の記録 】
- 鈴鹿市考古博物館(鈴鹿市国分町)
- 北海道の名付け親 松浦武四郎記念館、生家散策(松阪市小野江町)
- 企画展「安養寺を探る」ふるさと会館2F(多気郡明和町)