2017年07月08日(土) 初めて体感した しろんご祭(菅島)
鳥羽市の菅島での「しろんご祭」。
しろんご祭りとは伊勢志摩を代表する海女の祭りで、菅島古くからで「しろんごさん」と呼ばれる島の守護神白髭大明神をお祭りし、大漁・豊漁と海上安全を祈願するための祭りです。この祭りがおこなわれる「白浜」は一年を通じて禁漁区であり、この祭りの日のみ漁が許されます。ほら貝の合図で島の海女たちが一斉に潜り、雌雄一対の鮑をとるために競いあいます。
一番最初にとられたつがいの鮑が白髭神社に奉納されます。この鮑を「まねき鮑」と呼び、一番初めに「まねき鮑」を取った海女が、一年間海女頭として崇められ、豊漁が約束されると伝えれています。
沖合では鳥羽磯部漁業協同組合菅島支所によるによる奉祝会場パレードが行われ、浜辺では婦人会による踊りや、物販販売などが行われます。
また、祭り終了後、大漁と安全を願う、この島独特の縁起物である島のご老人がつくった「垂れ柳」の販売などもあります。
しろんご祭りは、昭和46年8月18日に鳥羽市の指定無形民俗文化財に指定され、また平成8年には環境省が選定した「日本の音風景100選」に選ばれています。【引用】 菅島町内会ホームページ より
体感したいと思いつつなかなかできなかったが、やっと今年になったその思いを実現できた。
午前8時過ぎに鳥羽市営定期船 菅島乗り場に到着するとそこからぶらぶらとお祭りが行われるしろんご浜へ向かうと浜に到着したのが8時頃となった。話を聞くとしろんご祭の始まりは9時半とのことだったので、約一時間は余裕があった。
しかし、しろんご浜には多数の海女が集まり、祭の開始を待っていた。ほかも岩陰などいたるところにも、さらに船で到着する海女も・・・
すべてが初めての場所なのでウロウロしながら白髭神社の階段へ近づくと海女姿の女性が急な階段を下ってきた。
まずは白髭神社にお参りするためにこちらの鳥居をくぐると急な長い階段を登った。
その途中には菅島漁港の漁船でも目にした幟旗が立てられていた。(しかし奉納年が異なる)
急な長い階段を登り切ると左右に伸びる道に突き当たる。白髯神社はその左側に鎮座していた。こちらでは離島には今でも残されている座しての参拝となっている。しかし、木下宮司にお話を伺うと
今では足の調子が悪い方に配慮し祭典も椅子を利用しているため、参拝者に座しての参拝を無理にはお願いできず自由に参拝していただいています。
とのことだった。そのお言葉を聞き、慣れない座しての参拝ではなく、立ったままにて参拝させていただいた。ただし、この場は座してお参りする神聖な場所なので鳥居をくぐった先にて靴を抜いで神前に向かった。
本殿の御扉は開かれ、その前には神饌が並べられていた。
こんなところでも離島であることを実感しながらしろんご浜へ戻った。
しばらくすると会場には海に入る海女のお祓いのアナウンスが流れ、点々としていた海女が
修祓の祭場へ集合した。先ほどお会いした宮司により修祓が執り行われた。
祓詞の後、まずは海を大麻で祓い御塩で清め、続いては海女たちが祓い清められた。
修祓を終えた海女たちは海へ入る準備を始めた。菅島でも海女の潜り方に船人(ふなど:命綱を巻き上げる役割の多くは夫とともに船で水深の深い漁場で潜る)と徒人(かちど:浜から泳いで浅めの漁場へ向かい、潜る)の二種類があるが、ここに船人の海女はいたのか?(未確認)
徒人の海女は水際にて海に向かい・・・
彼女たちの近くには多数のカメラマン。
待ち遠しくなった頃、
こちらの海女さんの背中に LOVE! の文字を発見。これは 1995年 川津祐介さんのものか?
しろんご浜での海女が海に入れるのは一年に一度でしかも9時半から10時半までの一時間。法螺貝の合図で海女は漁を始めるが、その五分前には旗で合図される。開始の10分前になるとその旗(大漁旗)が登場し
5分前になると大きな岩の上で旗が振られた。これで海上で待機する船人の海女たちにも開始5分前であることが知らされる。
旗が振られると船人も徒人も身体を海に沈め、法螺貝が吹かれるのを待っていた。
そして、定刻となり法螺貝が吹かれると海女が一斉に泳ぎ始めた。海女頭になるために「まねき鮑(一番最初に獲られたつがいの鮑)」を競って探す漁が開始されたのだった。
徒人の海女は競って漁場へと泳いだ。
この頃、沖合には全速力で現れた鳥羽磯部漁業協同組合菅島支所の漁船、10隻ほどが海上を左回り三周。
こちらは、引用した説明にもあるこの島独特の縁起物である「垂れ柳」。
漁船が沖合での周回を終えると先頭を走っていたしろんご号のみが浜へ近づき、乗船した役員らが別の小船で浜へと運ばれた。
この間も海女(徒人も船人も)は必死に「まねき鮑」を探していた。
また、浜辺では婦人会により踊りが披露された。見学者にも輪に加わるように促されると、何名かが楽しそうにその輪に加わった。
こちらは海女が獲った鮑などが計量の後、即売されるテント。
しばらくするとこども海女が登場した。
すると多くの見学者が囲みに入った。
そんな中、会場では「まねき鮑」が獲られたことがアナウンスされ、それらを乗せた船が浜へと近づいてきた。
「まねき鮑」を白髭神社へ奉納する役目の女性がその船に近づくと
板に乗せられた「まねき鮑」を受け取り、捧持すると
まずはあのテントで計量を受けた。テントを後にすると
白髭神社への急な長い階段を足元に注意しながら一歩々々踏みしめながら登った。慣れないわらじに急な階段、
さらには動きの激しい鮑と大変だろう。
長い階段を登り切ると
鳥居前に立ち止まると
「まねき鮑」は
祭典の奉仕者に手渡された。
「まねき鮑」が神前にお供えされると祭典が開始された。宮司による祝詞奏上、
続いては玉串奉奠。
玉串奉奠を終えると、撤饌となった。
その後、宮司一拝にて祭典は終了した。これで終わりかと思ったら「直会」との声が発せられた。
神前に供えられていた「まねき鮑」は案に乗せられた状態で鳥居の近くまで運ばれた。
こちらで
「まねき鮑」は丁寧に捌かれ、
一口のサイズに切り分けられた。
「まねき鮑」が捌かれている最中にも多数のお参りがあった。島の方だろう、座しての参拝を目の当たりにした。
祭典の奉仕者には御神酒の後、切り分けられた「まねき鮑」が配られた。
一巡した後、「まねき鮑」は参拝者、見学者の元へと運ばれた。「どうぞ、みなさんも・・・」お下がりだった。私も遠慮なく頂いた。先ほど海から上がったばかりの鮑、しかも「まねき鮑」の一部、自然の塩味が効き素晴らしい触感に感無量となっていた。
直会を終えると神社での祭典は終了となった。(感謝)
白髭神社を後にするとまだ漁が続けられているしろんご浜へ下った。
浜に下ってからしばらくすると漁の終了を告げる合図として法螺貝が吹かれた。
それ合図に漁を終えた海女たちはそれぞれに獲ったサザエなどを抱えながら例のテントを向かった。
一時間の成果が明らかになる瞬間だ。
船人も
徒人も
タコを手にした海女は「これさっきまで生きてた・・・」と。
こちらは船人、両手に重そうだ。やりがいがあるだろうな。
皆さん一時間の活動で疲れているはずだが、計量を終えるまでは仕事は終わらない。
続々と海女がテントに集まり、計量を待つ列が長くなった。
計量を終えた船人は自らの船に乗ると海へと戻っていった。
例のテントには多数の人が集まり、最後の盛り上がりを見せていた。
初めてのしろんご祭、初めての菅島、とても満足な体感となった。
【追記】
新聞記事によると
「まねき鮑」を手にして海女頭となったのは木下妙子さん(58)で、その「まねき鮑」を白髭神社に奉納する役を担当した女性は地元出身の会社員西村有加さん(20)
とのこと。