2016年08月16日(火) やっと訪れた粥見神社と偶然見つけた大日如来(松阪市飯南町粥見) (車、徒歩)
深野の棚田および周辺の散策を終えると国道166号を奈良方向へ走った。粥見井尻交差点を過ぎ、粥見出鹿交差点を左折するとそこには粥見神社。神社の駐車場に車を駐めるとこちらへ急いだ。
実は今まで粥見神社の近くを通ることは何度も、数えられないほどあったのだが、早朝か夕暮れだったのでお参りすることが無かった。
今回、深野の棚田へは突然の思い立ちで訪れ、それに便乗するかのように粥見神社にお参りすることができた。呼ばれたのだろうか?(笑)
【参考】
まずは粥見神社にお参りを! 道路からこの階段を進み
鳥居をくぐると
右斜め方向に拝殿への鳥居があり石階を進む。
初めてのお参り。いつも通り無心にて!
賽銭箱もそうだが、本殿の御垣も新しい様子だった。
扁額を確認すると
振り返ってパチリ。町並みを見下ろしている、いや見守っている。
石階を下るとちょうど中間あたりだろうか、左方向に常夜燈が列ぶ先に
立派な蔵が建っている。
最初の鳥居近くまでもどると社務所も含めた雰囲気をパチリ。
粥見神社では「てんてん」と呼ばれる神事がありTVでは拝見したことがあるが、ぜひともこの場で体感してみたいものだ。
【参考】
境内の説明板はこちら。
粥見神社神事芸能「てんてん」
飯南町無形文化財 平成七年九月一日指定
例祭に奉納される「てんてん」は七百年の伝統があるといわれている。
鼻欠けは「先駆神(はなかけのかみ)」、天狗は導きの神 猿田彦大神、雄獅子(おんじん)さんは天孫 瓊々杵尊(ににぎのみこと)雌獅子(めんじん)さんは木花開耶姫(このはなさくやひめ)に擬せられる。
例祭に当たり、神様をお迎えして御神威により、里内の悪霊邪気を払い、無病息災・五穀豊穣を祈った。天狗の鼻神で頭を撫でてもらうと無病息災の御利益があると言われる。
「てんてん」の名称は太鼓のリズムからその呼び名ができたと思われる。
現在使われている大太鼓は貞享三寅(1686)年、今から315年以前に作られた物である。
松阪市教育委員会
最後に粥見神社を後にしようとして見かけたのがこちらの常夜灯。
その柱には
奉納 平成二十七年三月 中遷宮記念 粥見神社
と記されていた。
粥見神社を後にするとその前の三差路にはこんな道標が建っていた。
右さんくう 左まつさか 道
つまり、この交差点が和歌山街道(左)と和歌山別街道(右)の分岐点だ。「ああ、街道も歩きたい!」
また、周囲を見渡すと深野でも見かけた飯南コミュニティバスほほえみのバス停があった。
さらにこんな鳥居が目に入った。「鳥居を見たらお参りすべし」の言葉に背中を押されて近づくとどうも神社では無さそうだった。
鳥居の先には宿坊なるものがあり、石柱には・・・(自宅に帰ってから確認すると、ここは仲峯山福信院だった。)
とにかく、この掲示に誘われてこの階段を登ってしまった。
町内一登りにくいかいだん
本堂まで百二十八だん
気を付けてトライ
「町内一登りにくいかいだん・・」「町内一登りにくいかいだん・・」「町内一登りにくいかいだん・・」と念じながら登ると苔だらけとなってきた。
ここですでに三分の二以上は登っただろう。鳥居をくぐると空間が開け、
その正面にてお参り。
こちらの右側に参道が続いていたので先へ進むと左手に水子地蔵菩薩尊、そして突き当たりにお稲荷さん。
お稲荷さんの社殿に立て掛けられていた「此の奥に史跡あり」案内板に誘われるがままに先へと進んでしまった。
雰囲気は山道へと変化し
知らぬ間に見下ろせるほどの高度を稼いでいた。(最初の階段でかなり稼いだか)
こんな道を急ぎ足で進むと右手に赤い柱を見つけた。その木柱には「中山不動明王尊」と記されていた。
さらにその近くには新しい矢印型の案内板があり「大日如来まで200歩」と書かれていた。「m」ではなく「歩」の表現が何とも味がある。ただ、私は歩数を数えることもなく急いで歩いてしまった。
そしてたどり着いたのが、この階段の下、たぶんこの上には大日如来。一歩々々階段を踏み上がりその上にたどり着くと
予想通りの雰囲気だった。
頑丈な覆屋の中に祠がまつられ、覆屋の右側には
大日如来と刻された石が立っていた。
私は祠の中に納められている石に興味を持ってしまった。こちらは?
夕刻も迫ってきたので、来た道を戻ると先の階段の途中から粥見神社を遠望し、
さらには粥見の町並みを眺めた。
思いがけない粥見神社へのお参りに加え、興味深い場所を訪れることができた。計画のない思い立ちと予備知識なしの散策は何とも刺激的で楽しいものだ。次はどちらへ導かれるのだろう。(とはいえ、全ては私の潜在意識のなせる技なのだろうが)