2016年04月29日(金) 家所城跡(津市美里町家所) (車、徒歩)
日南田の磨崖石仏群を後にすると美里ふるさと資料館へ戻るために国道163号を目指していたところ、「家所城跡」の案内矢印に引き寄せられて左折した。しばらく走ると左手にこんな光景。これはまさに城跡だ。
近くに車を駐めさせていただくとこの案内に従って
農道を歩いた。
その先には
家所城跡の説明板と
家所城跡
この城は貞治元年(1362)に家所祐歳によって築かれたものである。
家所祐歳は、長野城主工藤氏祐の第三子で、この地方の二十四ヶ村を領治したという。
その後、八代の間(約200年)よく栄えたが、織田信長軍と戦い、敗れ、城も荒廃した。
家所盆地の中心に位置し、孤立した丘陵にあるこの城は、守るによい地形を利用している。主郭は長方形で、土塁をめぐらし、各所に空堀、石塁や、井戸跡が残されている。北側には、家所家の菩提寺であった什心寺跡がある。
津市教育委員会
案内図があった。
現在地である案内図の裏手に続く坂道を進むとほどなくこの案内板にたどり着いた。今回は急いでいたので、什心寺跡と五輪塔群の見学はまたの機会にすることとし、大手門跡へ進んだ。
行く手を阻んでいるよう倒木が越えると右手には「つぶて石」の案内板があり、
正面が「大手門跡」
近くにある説明板によると
次ように記されていた。
家所城は、長野工藤氏の一族であった家所氏の居城として約二百年間にわたり使用されました。三重県の中世城館としては珍しい、城の周囲を四角形に囲った「方形土塁」を備えているのが特徴です。大手門より西側の空堀跡から、家所氏の菩提寺であった什心寺跡、家所三河守の墓と伝えられる五輪塔群を巡ることができます。
中心へ進むと「井戸跡」。
さらに奥へ進むと階段の上には
祠がまつられていた。
祠付近から右方向へずれると「抜け穴跡」、さらにその右手には
「見張台跡」がある。
急ぎ足で城跡をめぐり終えると説明板のある場所へ戻った。
素晴らしい青空の下
あらためて家所城跡を眺めた。目を閉じれば往時が想像される。
【 20160429 の記録 】
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