2016年08月07日(日) ブラッチェise ミニツアー パイロット版〜中近世都市山田Market 下座編〜 (徒歩)
昨日に続き、二日連続で実施されたブラッチェise ミニツアー パイロット版、本日のテーマは〜中近世都市山田Market 下座編〜だった。昨日が上座だったので、本日は下座!
日中の暑さを避け、スタート時刻は昨日と同じで午後4時。スタート地点は伊勢市駅のJR改札側となった。
参加者は昨日のメンバーに女性がひとり加わった。案内人の千枝さんと常連(?)になっている山口さん、田中さんと【キタヰ】こと桝屋の3人、さらには千枝さんの伊勢での常宿である伊勢ゲストハウス紬舎(つむぎや)に宿泊している旅人、志岐さんを加えて計5名でのスタートとなった。
まずは駅前に鎮座する世木神社を訪れた。
山田産土八社のひとつと考えられているが、世木氏の個人的な神社とする考え方もあるようで、一概に山田産土八社であるとも言えないそうだ。
境内には、8月21日に行なわれる夏祭りのためにたくさんの提灯が飾られていた。
世木神社は私にとっては思い出深い場所、御頭神事の時は大変お世話になった。
【参考】
- 御頭神事-吹上町町内の巡回(世木神社) 動画あり 2014年01月11日
世木神社の説明板を確認すると、
ここには次の一文があった。
創祀の年代は不詳ですが、この世木氏の氏寺であった光明寺(現岩渕三丁目)にのこる古文書には、鎌倉時代のこの地の盛行を語っています。 (世木神社の説明板より一部抜粋)
世木神社を後にすると、この文で紹介されている光明寺の旧地を訪れた。中央線がある車道から路地へ入ると
こちらの公園が光明寺跡。今回配付された資料の中には開山之塔や各種の石塔などがどのように配置されていたのか示す図面が含まれていた。ほとんどの石塔は現在の地へ移設されたと思われる。
なお、現在は吹上公園となっているこの場所に光明寺があったことを思い起こさせてくれるものは何もない。
唯一あるとすれば、この説明板だけだろう。
続いてはこの車道へ出ると右方向へ進み吹上交差点で左折した。
この道を進めば伊勢商工会議所の前にたどり着く。しかし、素直に進まないのがブラッチェise。
いつも活用しているスマホの無料アプリ「伊勢ぶらり」の山田衢々之図や古地図をもとに世古を選んで進むと伊勢うどん 太田屋の先を左折した。
ここはトクリゼコと呼ばれていたようだが、途中で右へ曲がった。
ここで右折してしてさらに進むと
右手が広場になっていた。山田衢々之図ではこの辺りに「イナリ」と記されていた。
さらに進むと千枝さんが嬉々と指し示していた。その指の先には、地図にはないがまさに世古の典型のような小道が続いていた。小道に迷い込むとゴールに辿りつけなくなるかもしれないため、ここでの寄り道は避けて突き当たりを道なりに右方向へ進んだ。
結局、先ほどの伊勢商工会議所へと続く道へ戻ってきた。
この通りは道幅が広くなっているが、「びっくり世古」、吃驚新聞社があっとことからこう呼ばれるようになったそうだが、それ以前は正壽院世古と呼ばれていたそうだ。
伊勢商工会議所のある交差点を右へ曲がると次の世古を右へ・・・
ここに建っているのは「坊之世古」の道標。「bouno」の音が気に入った千枝さんは、河崎にあるロカンダボーノと絡めてかなり盛り上がっていた。
そんな盛り上がりのなか地面に座り込むほどの探索モードにさせてしまったのは、道標の説明にあった「山田三道場」の文字だった。「山田三道場」とはどこだ? 疑問を解消しないと気が済まないのが千枝さんの性分だ。各種史料(山田惣絵図の説明書、勢陽五鈴遺響など)をバッグから引っ張りだして情報を引き出し始めた。このバックにはどれだけの情報がつめ込まれているのだろう。魔法のかばんに見えてしまう。概要は把握できたようだった。
坊之世古を北上して真光院ノ世古に突き当たる手前で
パチリ。
真光院ノ世古を左へ進むとこの場所で道場世古と交差した。ここは左へ・・・
現在は日本キリスト教団山田協会となっている場所、ここは御師 久保倉大夫邸跡か?
伊勢市役所裏の道路へ出ると
そこには御師 三日市大夫次郎邸の土塀が残されている。最も大きいとされる三日市大夫次郎邸で唯一残されたのが本物としてはこれだけである。
MieMuには、三日市大夫次郎邸の復元模型が展示されているがそれはあくまでも模型である。ただ、模型でもかなり大きいので、実際の大きさを知ることはできるだろう。しかし、それに包まれることはできないので残念だ。
【参考】
- 見どころ満載のMieMu基本展示+α 2014年05月31日
伊勢市役所の駐車場を通り抜けてハローワーク伊勢にたどり着くとその隣にある法務局の駐車場へ向かった。
すると駐車場のフェンスの向こう側には豊川が流れていて、見覚えがある光景が・・・。ブラッチェiseに参加する前に茜社を訪れた際に向こう側からこちらを遠望した場所だった。あの時、豊川を追いかけたいと思ったことが、少し実現した。
また、駐車場の片隅にはこちらの小さな祠がまつられていた。ここでも千枝さんが嬉々としていた。「これは三日市えびすに違いない。今まで見つけられなかった・・・」と。(その根拠は、川が交わる場所で、三日市大夫次郎邸の敷地に隣接している・・・)
伊勢市役所前の通りへ戻ると内宮方向へ進んだ。この橋は高倉橋。
豊川について話していると同行の山口さん曰く「10年程前に豊川も清川も制覇した。」さらに「勢田川も下流から源流、水源まで歩いた。」すごい人だ。私などこれから豊川や清川を辿りたいと思っているし、勢田川下流から山裾まではたどり着いたが水源までは行けていない。
【参考】
- 追っかけたくなる「勢田川浄化用水事業豊川導水路・・・」 2016年06月11日
- 勢田川の下流から源流へ 2011年12月30日
伊勢簡易裁判所の敷地の隅に上部越中守邸跡の石碑を見つけた。
裁判所の角を右へ進むと左側にこの世古(茶筅マチ)が望める。今いる場所が六日市場で下座、ここに下座えびすがまつられていたそうだ。
茶筅マチを進むと次の角を左折した。ここはフロヤノセコだった。
フロヤノセコを抜けると伊勢市役所の前から続く御幸道路にたどり着く。その下を流れる豊川は直角に折れ曲げられているが、以前はもっとなだらかな流れだったのだろうか?
伊勢市岩渕1丁目歩道橋で御幸道路を渡るとその上からパチリ。
パチリ。この光景ブラッチェiseに参加する前にも見た。私はどれだけ歩道橋好きなんだろう。
歩道橋を渡り終えるとこれらを背にして
路地へ入った。そして程なく、この世古へ。地図には載っているが、名前などは記されていない。
何とも味のある世古だろう。
こんな場所も行き過ぎると
結局、箕曲中松原神社の社叢を遠望できる位置までやってきた。
箕曲中松原神社方向へ進むと右手にこんな路地を見かけたので、みんなの足は面白そうな方へと進んでいた。
名もない世古,先は正連町。
突き当たると左へ・・・
世古から抜け出たところがこちらだった。この向かいには箕曲中松原神社が鎮座している。
箕曲中松原神社にお参りすると
お参りを終えると
境内各所を巡ってから
近鉄 宇治山田駅へ向かった。
送迎用駐車場の脇に建つ度会府庁跡の説明板と石碑を見学すると
本日のブラッチェiseは終了となった。
今回も奥が深いないようだった。次回が待ち遠しい。
世木神社の日の出旅館側の鳥居の裏に、神社が荒廃し
伊勢市駅前参道がさびれていたときに、なんとか
せねばということで、神社へ寄進し、町おこしに
立ち上がった五名の名前が刻まれています。
三ツ矢議員、上島会長、石川順子(石川商工。
日の出旅館の娘、たかっちの同級生)、
山村賢司(ヴェリンダホームズ。たかっちの同級生)
冨安ふさ子の五名です。
冨安さんは宮川流域ルネサンス協議会
の方でしょうか?
・・・・・
世木神社が荒廃していた時に
何とか綺麗にして、いい“気”を起こさないといけないと
有志で寄付をしたそうです。
なんと、それから伊勢市駅前がどんどん整備されて
きれいになり、日の出旅館も改築して 発想の転換をしたら
お客さんが増えてきたそうです(^^)。
たかっち さん
そうなんですか。全く気づいていませんでした。
次回訪れた時にその鳥居を注意深く見てみます。
ありがとうございます。