宮川流域案内人の会 総会・10周年記念植樹・交流会(大紀町阿曽公民館、交流館たいき付近)

2016年04月09日(土) 宮川流域案内人の会 総会・10周年記念植樹・交流会(大紀町阿曽公民館、交流館たいき付近) (車、徒歩)

本日は、宮川流域案内人の会の総会が阿曽公民館(度会郡大紀町阿曽)にて開催された。今年は本会が発足10周年を迎えることから総会に引き続き、交流館たいき付近では記念植樹が実施され、昼食の後は公民館へ戻ると交流会にて会員の親睦が深められた。

【参考】

 

私は一昨年の「宮川流域案内人養成講座」を受講してからの入会なので、入会後まだ2年も経過していない。ところが先日、宮川流域案内人の会の巽会長から「運営委員になってくれないか?!」との打診があった。会長直々の依頼でありお断りする理由もないし、「新しい事は大変だろうけどオモシロイ!」の精神で即断でお引き受けすることにした。なお、後から分かったことだがFBF(Facebookの友達)である度会町の御村一真さんも新たに運営委員に就任することになっていた。(ただし、この時点では総会の信任を得ていないので・・・)

【参考】

 

総会の開始は10時だったが、運営委員による準備は9時とのことだった。瀧原宮に寄り道しながらも8時45分には総会の開催場所である阿曽公民館に到着したところ、すでに多くの方(会長をはじめ、副会長、その他の運営委員)が準備を始めていた。看板の設置や幟の準備、会場内のテーブル、椅子の準備などやるべきことは多かった。

宮川流域案内人の会 総会の会場案内

宮川流域案内人の会 総会の会場案内

 

公民館の外で作業していると熊野古道伊勢路(公民館の目の前が熊野古道)を旅人が行き過ぎた。以前に熊野古道伊勢路を歩いたことを思い出し、彼の後ろを付いて行きそうになった。

熊野古道伊勢路を歩く旅人(阿曽公民館付近)

熊野古道伊勢路を歩く旅人(阿曽公民館付近)

 

【参考】

 

「いかん、いかん」。今回の私の役割は、総会の参加者が国道42号 阿曽温泉前交差点を通り過ぎてしまわないようにすること。交差点では邪魔にならず、なるべく目立つようにこの幟を振りながら立っていた。

国道42号 阿曽温泉前交差点での道案内(宮川流域案内人の会 総会)

国道42号 阿曽温泉前交差点での道案内(宮川流域案内人の会 総会)

 

定刻になると総会は開始された。案内看板や幟を撤収して公民館へ戻ると総会はすでに開始されていた。

宮川流域案内人の会 総会(阿曽公民館)

宮川流域案内人の会 総会(阿曽公民館)

 

巽会長の挨拶に続き、議長が選任されると

巽幸則会長(宮川流域案内人の会 総会)

巽幸則会長(宮川流域案内人の会 総会)

 

(1)平成27年度活動報告について
(2)平成27年度会計報告について

が承認された。

 

その後、

(3)平成28年度活動計画案について

は筒井敏さんによる説明。

筒井敏さん(宮川流域案内人の会 総会)

筒井敏さん(宮川流域案内人の会 総会)

 

筒井さんは長年、運営委員を努められ、今回勇退されることになっていた。つまり、私を含む新任二名との交代であった。

実は私が宮川流域案内人の活動を目の当たりにし、興味を持ち始めたのは筒井さんの案内を受けたことが大きなきっかけとなっていた。また、筒井さんが案内する企画には何度も参加し大変お世話になっていた。企画とは全く関係がない、(出張)遺跡の資料を後日郵送していただいたり・・・。

【参考】

 

そんな筒井さんと交代して宮川流域案内人の会の運営委員になるのだから身が引き締まる思いだ。

 

そんな私の思いなどとは関係なく、総会は進められ

(4)平成28年度予算案について

(5)会員の慶弔に関する申し合わせ事項について

も承認された。

最後に、私もドキドキしていた

(6)役員の改選(承認)について

も滞りなく承認を得られた。これで、正式な運営委員となったので、より身が引き締まる思いとなった。

ただ、役員の改選については「任期を設定しては?」との提案があり、会場の了解を得て任期を設定する方向で運営委員会にて検討することとなった。

また、その他には、総会への参加・不参加を伝えるハガキには各会員の近況を添えてもらい、総会の場でそれぞれの近況をまとめた文書を配付してはとの意見や行事のための保険についての質問が寄せられた。

 

定刻も近づき総会が終了すると記念植樹のために、歩いて数分の距離にある旧阿曽小学校の交流館たいき前へ向かった。

記念植樹のために交流館たいき付近への移動

記念植樹のために交流館たいき付近への移動

 

こちらが旧阿曽小学校の校門で校庭の脇を進むと

旧阿曽小学校の校門(大紀町)

旧阿曽小学校の校門(大紀町)

 

交流館たいきの前に準備された記念植樹会場へ集まった。

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

記念に植樹される木はヤマモミジ。

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

 この後に実施された交流会では、この木を選んだ巽会長から次の説明があった。

このモミジは幹が複数あるが、根はひとつ。まさに様々な得意分野を持つ人々が集まる宮川流域案内人の会のようなものだ。根本はひとつだけど様々に展開される。

今回、植樹で記念撮影したが、15周年、20周年の記念撮影が楽しみだ。

 

そんな巽会長の思いはこの時点では知らされていなかったが、まずは巽会長が

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

スコップを手にすると

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

土をすくい、

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

根元へ。

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

スコップが巽会長から宮川流域ルネッサンス協議会事務局の世古口局長に手渡されると

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

スコップで土をすくい、

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

その根元へ。

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

以上で記念植樹行事は完了となり、皆さんで記念撮影となった。

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

すべての土が埋め戻されたヤマモミジをパチリ。

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

宮川流域案内人の会 10周年記念植樹(交流館たいき付近)

 

阿曽温泉の食堂で昼食を終えると約一時間の休憩の後、阿曽公民館へ戻り交流会となった。総会参加者は36名、午後から都合が悪い方もみえたので交流会の参加者が26名となった。

宮川流域案内人の会 交流会(阿曽公民館)

宮川流域案内人の会 交流会(阿曽公民館)

 

まずは、宮川流域案内人としてフォークアンサンブルを展開する浜口素則さんにより二曲「ありがとう宮川(作詞 浜口素則、作曲 橋本博行)」と「ふるさとは今もかわらず(作詞・作曲 新沼賢治)」が演奏された。

浜口素則さん(宮川流域案内人の会 交流会)

浜口素則さん(宮川流域案内人の会 交流会)

 

浜口素則さん(宮川流域案内人の会 交流会)

浜口素則さん(宮川流域案内人の会 交流会)

 

浜口素則さん(宮川流域案内人の会 交流会)

浜口素則さん(宮川流域案内人の会 交流会)

 

その後、参加者の自己紹介が続いたが、定刻である15時には納まりきらず、紹介できない方も出るほどに活発な交流となっていた。

 

微力ながら少しずつでも頑張っていこう!

私が大好きな東浦奈良男さんの言葉を座右の銘として

人生は一歩の中にある。歩巾の中に全てを賭ける。人生は一歩に尽きる。

 

【参考】

 

【 20160409 の記録 】

 

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