2016年11月03日(木、祝) 光明寺と結城宗廣卿墳墓(伊勢市岩渕) (自転車)
今は吹上公園となっている光明寺跡、この跡にはブラッチェiseでも訪れたことがあったが、その移転先である光明寺(伊勢市岩渕)を訪れたことがなかった。
【参考】 ブラッチェise ミニツアー パイロット版〜中近世都市山田Market 下座編〜 2016年08月07日
近くの赤門寺正壽院を訪れたのでその帰り道に立ち寄った。立派な山門の脇には
石標が二本。
こちらと
こちら。裏面に移転の経緯概要が刻されている。
山門をくぐると
まずは本殿にてお参り。
鐘楼を眺めながら参道を戻ると
特別なお墓?
こちらには「結城宗廣卿墳墓」と刻されている。
これも以前,ブラッチェiseにて訪れた旧跡に関連するものだった。
【参考】
この時に訪れた「結城宗広旧跡」の説明板には「伝」として次の説明が記されていた。
南北朝時代、南朝方の武将であった結城宗広(1266〜1339)は、戦に敗北しつつも再び勝利を期して、延元三年(1338)、大湊から奥州へ向けて船出しますが、途中暴風雨に遭い、伊勢に吹き戻されて病死しました。
流布本『太平記』では、宗広は安濃津(あのつ:津市)に漂着し、この地で没したとありますが、宗広夫人の書状(国重要文化財 光明寺所有)から推測すると、吹上で没したと考えられ、吹上から移転した光明寺(岩渕三丁目)には、宗広の供養塔(市有形文化財)が現存します。
当地は地元で宗広の旧跡と伝わる場所で、数基の石造物が確認できます。刻銘や形態から、いずれも宗広より後世のものと認められますが、天文六年(1537)銘の五輪塔は市内でも古いものです。平成28年3月 伊勢市教育委員会
光明寺の金鼓山てどういう意味金鼓てどういう意味
北村さち子さん、コメントありがとうございます。
正直なところなぜに光明寺の山号が金鼓山であるのか、私は知りません。
山号の付け方を調べると2種類があるようで、ひとつは寺が所在した山の名前または周辺の地名、ほかには仏教用語に因むとあります。
金鼓は地名では無さそうなので仏教用語と考えると「こんく」または「こんぐ」と呼ばれる鰐口や鉦(仏教における楽器のひとつ)であるようです。
答えにはなっていませんが、北村様の疑問から発して調べてみた結果です。
ほかに正解をご存知の方はこちらにコメントをお寄せ下さい。よろしくお願いします。