日南田の磨崖石仏群(六体地蔵、七体地蔵)ほか(津市美里町)

2016年04月29日(金) 日南田の磨崖石仏群(六体地蔵、七体地蔵)ほか(津市美里町) (車、徒歩)

美里ふるさと資料館で実施されるグループ写真展のギャラリートークまで3時間ほどあったので、サルシカ秘密基地を目指したが駐車場問題で断念した。コンビニでおにぎりを買うとアテもなく車を走らせた。

国道163号からグリーンロードを北上しているとこの道標を見かけた。『磨崖石仏群』、この文字に吸い寄せられた。

グリーンロードの道標「<磨崖石仏群まで0.3K┘国道163号線>」

グリーンロードの道標「<磨崖石仏群まで0.3K┘国道163号線>」

 

「磨崖石仏」と言えば、先日に訪れた石山観音を思い出した。

【参考】

 

こんな磨崖石仏をイメージしながら車を走らせたらところかなり走った。「0.3K」なんてかなり超えていた。そしてたどり着いたのがこちら南神山 バスのりば。

南神山 バスのりば(三重交通)

南神山 バスのりば(三重交通)

 

また、このバス停の近くには松島酒造株式会社があった。ここは安濃町、磨崖石仏群は美里町にあるはず・・・。

松島酒造株式会社(津市安濃町南神山)

松島酒造株式会社(津市安濃町南神山)

 

Uターンして引き返すと道路脇にこんな案内板を見つけた。この付近には広い路側帯があったのでそこに車を駐めると案内矢印に従って坂道を下った。

「日南田の六体地蔵」案内板付近(津市美里町日南田)

「日南田の六体地蔵」案内板付近(津市美里町日南田)

 

その先には穴倉川が流れていた。下流方向には大きな石がある。

穴倉川(津市美里町日南田)

穴倉川(津市美里町日南田)

 

近づいたがそれらしい石仏の姿を見ることができない。

日南田の六体地蔵(穴倉川)

日南田の六体地蔵(穴倉川)

 

さらに進むとその石の裏側へ回り込んだ。するとその石には彫り込まれた石仏。

日南田の六体地蔵(穴倉川)

日南田の六体地蔵(穴倉川)

 

他の石仏を探して下流側へ進んだが他の石仏を見つけることはできなかった。この先は歩いていけない。

穴倉川、六体地蔵の下流方向(津市美里町日南田)

穴倉川、六体地蔵の下流方向(津市美里町日南田)

 

諦めて引き返したところ川の中央まで飛び石ができていたので中央まで移動すると

日南田の六体地蔵(穴倉川)

日南田の六体地蔵(穴倉川)

先ほどの石には一体だと思っていた石仏の右側に

日南田の六体地蔵(穴倉川)

日南田の六体地蔵(穴倉川)

 

小さめの石仏が一体 + 四体、つまり合計六体の地蔵が彫り込まれていた。これが六体地蔵だった。

日南田の六体地蔵(穴倉川)

日南田の六体地蔵(穴倉川)

 

この穴倉川を後にすると

穴倉川、六体地蔵の上流側(津市美里町日南田)

穴倉川、六体地蔵の上流側(津市美里町日南田)

 

こちらの道標から車道へ戻った。

「日南田の六体地蔵30m先」案内板(津市美里町日南田)

「日南田の六体地蔵30m先」案内板(津市美里町日南田)

 

実はこの時点で、六体地蔵が磨崖石仏群だとは思っていなかった私は「磨崖石仏群」を探してこの周辺をウロウロしていた。地元の方が見れば不審者だったかも知れない。辰水神社に開運潜門として置かれていたジャンボ干支を見ながら道なりに進んだところ

開運潜門として辰水神社に置かれていたジャンボ干支(津市美里町日南田)

開運潜門として辰水神社に置かれていたジャンボ干支(津市美里町日南田)

 

昨年のジャンボ干支。 さらに進むと

開運潜門として辰水神社に置かれていたジャンボ干支(津市美里町日南田)

開運潜門として辰水神社に置かれていたジャンボ干支(津市美里町日南田)

 

日南田橋(こうぎはらがわ)の袂に

日南田橋(こうぎはらがわ)付近

日南田橋(こうぎはらがわ)付近

 

こんな案内板があった。

日南田の磨崖石仏群(六体地蔵、七体地蔵)の説明板

日南田の磨崖石仏群(六体地蔵、七体地蔵)の説明板

 

六体地蔵 七体地蔵(日南田)
日南田のはずれ、山の中を流れる川岸に、大きな天然石に刻み込まれた磨崖石仏像があります。右岸に七体地蔵が、そして五十メートル上流の対岸には六体地蔵が彫られています。
七体地蔵には言い伝えが残っています。昔、仁木義長と佐々木氏頼、そして土岐頼康が戦った時のことです。
川の近くの小高い山には、伏兵防戦に備えて、多くの石がありました。それらの石を里人は「よせ石」と呼んでいました。そのよせ石のある山で戦いは行なわれたのです。仁木義長は土岐頼康軍に目掛けて山の上から石をころがしました。
戦うといっても、土岐軍はたったの七人。全員が討死しました。その後、戦死者の供養の為に七体地蔵が彫られたというのです。
同じように、六体地蔵も戦国期の武士の供養の為に彫られた、というのです。
今でもその名残として、毎年七月七日に、酒やさかなをお供えをする「べざいさん」という祭を行っています。

 

つまり、先ほどの六体地蔵を含め、七体地蔵とともで磨崖石仏群になっているらしい。

 

日南田橋の先へ進むと御堂が見えたので

日南田の地蔵堂付近(津市美里町日南田)

日南田の地蔵堂付近(津市美里町日南田)

 

近づいて

日南田の地蔵堂(津市美里町日南田)

日南田の地蔵堂(津市美里町日南田)

 

お参り、地蔵堂。

日南田の地蔵堂(津市美里町日南田)

日南田の地蔵堂(津市美里町日南田)

 

地蔵堂を後にして、家々が建ち並ぶ細い路地へと進むとこんな祠を見かけた。

日南田の祠(津市美里町日南田)

日南田の祠(津市美里町日南田)

 

格子扉から中を覗くとその内部に小さな祠があり、その中には桶のようなモノがまつられていた。

桶がまつられている?祠(津市美里町日南田)

桶がまつられている?祠(津市美里町日南田)

 

祠の前には湾曲した道に沿って旧家(?)が建っていた。

立派な旧家?(津市美里町日南田)

立派な旧家?(津市美里町日南田)

 

先ほどの地蔵堂まで戻ると川の向こう側に日南田 バスのりばがあり、道路を挟んだ向かい側には

日南田 バスのりば(三重交通)

日南田 バスのりば(三重交通)

 

「日南田の七体地蔵60m先」の案内板を見つけた。

「日南田の七体地蔵60m先」の案内板

「日南田の七体地蔵60m先」の案内板

 

七体地蔵への案内に従うと

日南田の七体地蔵へ

日南田の七体地蔵へ

 

田んぼの間を抜けて

日南田の七体地蔵へ

日南田の七体地蔵へ

 

川沿いを・・・

日南田の七体地蔵へ

日南田の七体地蔵へ

 

途中で左へ折れると

日南田の七体地蔵へ

日南田の七体地蔵へ

 

この場所にたどり着いた。獣害防止用のネットを丁寧に外すと通り抜けてから元に戻した。

日南田の七体地蔵へ

日南田の七体地蔵へ

 

七体地蔵まで60m。

「日南田の七体地蔵60m先」の案内板

「日南田の七体地蔵60m先」の案内板

 

木々の間を抜けると

日南田の七体地蔵へ

日南田の七体地蔵へ

 

穴倉川の右岸へ出た。

穴倉川、七体地蔵付近(津市美里町日南田)

穴倉川、七体地蔵付近(津市美里町日南田)

 

そこには大きな岩があり、

日南田の七体地蔵(穴倉川右岸)

日南田の七体地蔵(穴倉川右岸)

 

その近くにはこんな跡があった。後で地元の方に確認したところ、以前はこの場所に橋が架かっていたとのことだった。つまり、これらは橋の跡だった。

穴倉川右岸に残された橋跡(日南田の七体地蔵付近)

穴倉川右岸に残された橋跡(日南田の七体地蔵付近)

 

岩を確認すると確かに七体の地蔵が彫られていた。

日南田の七体地蔵(穴倉川右岸)

日南田の七体地蔵(穴倉川右岸)

 

これらの地蔵は穴倉川を見下ろしていた。橋を見守っていたのかも?

日南田の七体地蔵付近(穴倉川右岸)

日南田の七体地蔵付近(穴倉川右岸)

 

先ほどの橋跡を別の角度からパチリ。

穴倉川右岸に残された橋跡(日南田の七体地蔵付近)

穴倉川右岸に残された橋跡(日南田の七体地蔵付近)

 

視線を上げれば、空が切り取られていた。

日南田の七体地蔵付近(穴倉川右岸)

日南田の七体地蔵付近(穴倉川右岸)

 

また、川の上流方向を望むと先ほど歩いた場所だった。

七体地蔵付近から望む穴倉川の上流方向

七体地蔵付近から望む穴倉川の上流方向

 

以上で磨崖石仏群をすべて見つけたことになる。

 

七体地蔵を後にすると先ほどの獣害防止ネットの場所を通り、

「日南田の七体地蔵60m先」の案内板

「日南田の七体地蔵60m先」の案内板

 

例のジャンボ干支までもどると 羊くんにお礼を述べてこの地を後にした。

開運潜門として辰水神社に置かれていたジャンボ干支(津市美里町日南田)

開運潜門として辰水神社に置かれていたジャンボ干支(津市美里町日南田)

 

【 20160429 の記録 】

 

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