2017年01月21日(土) 蚊野神社ほかちょっとだけお伊勢さん125社まいり (車、徒歩)
第62回神宮式年遷宮は正宮をはじめ全ての別宮の遷御を終え終了したかに思えるが、摂社・末社での御造営や大修繕が続けられている。現在でも先に紹介した小俣神社(豊受大神宮 摂社)は御造営の途中である。
お伊勢さん125社の摂社、末社の御造営および大修繕は一部の例外を除いては前回、第61回神宮式年遷宮の実績に従って執り行われているようだ。平成8年度に御遷座を終えたお伊勢さん125社で残すは蚊野神社(皇大神宮 摂社)と河原淵神社(豊受大神宮 摂社)。蚊野神社は平成9年(1997)3月5日に御遷座、そして河原淵神社は同年2月12日に仮殿遷座、翌月の25日に本殿遷座となっている。すると今回、蚊野神社は大修繕で、河原淵神社は御造替となる。
前回の順で想像すると仮殿遷座が必要となる蚊野神社が先行するのでは? また、そんな話も聞いているので小俣神社にお参りした後で玉城町蚊野へ向った。また、折角こちらを訪れたので私がお気に入りのお伊勢さん125社にちょっとだけお参りした。
こちらは蚊野神社(皇大神宮 摂社)。
垂直に切り立った社叢の中央には石階があり、その両脇には大きな石が置かれている。
参道へ進むと
様相は一変する。
正面へと続く参道を進むと
蚊野神社(皇大神宮 摂社)にお参り。こちらには蚊野御前神社(同)が同座されている。仮殿を期待して訪れたが特にそんな姿は見られなかった。時期が早かったのか、大修繕の時期がもっと先なのか?
こちらは地面が苔むすほどに湿気が多いところだから猿頭門や殿舎の傷みも激しい。
予想が外れたのだろうか? また、来週も訪れてみよう・・・
そんなことを思いながら「禁殺生」を眺めた。
蚊野神社を後にするとこの近くに祭られている
山神さんにもお参り。
続いて向ったのは蚊野神社付近からでも社叢が望める棒原神社(皇大神宮 摂社)。まっすぐ延びる農道を進み、JR参宮線の前川踏切を渡れば棒原神社はすぐ近くだ。
社叢の裏手にある広場に車を(勝手に)駐めさせていただき棒原神社へ歩いて向かう途中でパチリ。ここにも山神さん。
民家の間を進み
階段の参道を登ると
こちらに
棒原神社と刻された「禁殺生」石が建っている。
二段目の階段をさらに登ると
人の気配はなかったが御門の扉が開かれた棒原神社が待っていてくれた。
私を迎え入れてくれるかのように・・・。私は吸い込まれるように惹き寄せられたが
この場所で冷静さを取り戻した。決して御門をくぐることはなく、この場でお参り。扉が開かれたのは強風のせいだろうか?
そう言えば、以前もこんな経験があった。あれは加努弥神社(皇大神宮 末社)でのことだった。
棒原神社を後にして、上段の階段を下ったところで右方向の水平道を進んだ。その途中から眺める風景は素晴らしい。
先にお参りした蚊野神社の社叢も遠望できる。
水平道を進んで坂道を下ると右方向へ・・・。すると伊勢本街道を合流する。さらに右方向へ進むとこんな不思議な場所にたどり着く。いつも気になっていたのだ。
伊勢本街道保存会による「おいせまいり」札を確認してから
不思議な場所を眺めると石柱を見付けてしまった。それでは確認しないではいられない。その小山に登ると
こちらがその石柱で、南無阿彌陀佛 六字名号碑だった。その建立は弘化五戊申三月(1848)だった。この碑を残すためにこの場所を挟むように道路が・・・、しかし、なぜ二本の道が必要なのかは?だ。まだまだ、疑問は続く!
そして本日の「ちょっとだけお伊勢さん125社まいり」の最後に訪れたのは私のお気に入り度が高い坂手国生神社(皇大神宮 摂社)。道路脇から
参道の坂道には長い石畳が続き、参道入口付近には「禁殺生」石が建っている。
先が見えない程の石畳の先にはこちらの坂手国生神社。
なぜかこの神社がお気に入りだ。
石畳の参道を戻ると清掃奉仕中の男性に挨拶し、雑談させていただいた。
退職する前は週に一度ほどの奉仕だったが退職してからは週の半分ほどは清掃されているとのこと。(感謝)
こちらにはいつ訪れても参道が掃き清められている印象がある。
なぜか嬉しい気持ちのなか帰途についた。