2015年10月18日(日) 賀多神社御遷宮奉祝 よみがえった「組立式能舞台」での奉納薪能(鳥羽市鳥羽) (車、徒歩)
鳥羽市鳥羽に鎮座する賀多神社の式年遷宮、昨夕(10月17日)に遷座祭を終え本日は奉祝祭が斎行され、午後からは「組立式能舞台」にて能楽が奉納された。
朝からサツマイモ掘り、会食などでバタバタしていた上に、こちらへ至る途中で松下社(伊勢市二見町松下)に立ち寄っていたので賀多神社へ到着したのは開演予定時刻である2時半直前となった。
参道へ進むと「ふるまい」の文字が見えたが私には「ふるまい」を受ける余裕がなかった。
とにかく受付で本日の能組を受け取るので精一杯だった。
鳥羽の能楽(能楽の起源)
元禄四年(1691)、時の藩主松平源次郎乗邑が鳥羽城に就任してきた際、賀多神社の境内に馬屋を仮設した。
その直後悪疫が流行、巫女をたてたところ、「神域を汚した」との託宣を受けたことから、氏子が悪疫を払うため、鐘・太鼓を鳴らし、更に神事踊りで神様を宮の谷(賀多神社)にお迎えした。翌年から毎年旧暦六月十四日を神事踊りの日と定め、踊りを奉納することになった。
宝永四年(1707)、神事踊りを神事能に改めて奉納したのが能楽の起こりと伝えられている。
廃藩までは毎年、藩主または代理の参観があり、廃藩以降は氏子で奉納が続けられ、盛時には三日間続けて演能され、明治二十六年には四日市に招かれて演能、賞賛を博したという記録もある。
賀多神社には、県の文化財に指定された四十二面の能面と、七十六領の能装束・日本で二つしかない組立能舞台が保存されている。( 『賀多神社御遷宮奉祝 奉納薪能 能組』 より引用 )
式年遷宮に際しての能楽の奉納はこの説明にもある組立式能舞台で演能された。本能舞台は161年前に作られたもので、一昨年の大雪では偶然にも破損の被害を避けることができたさうだ。ただ、平成4年以降は屋根が無い状態で使用され、今回久しぶりに本来の「組立式能舞台」の姿を現してくれた。そんな舞台にて式年遷宮奉祝の薪能が執り行われたのだった。
【参考】
手水舎で心身を清めるとまずは拝殿へ向かうとお参り。「組立式能舞台」の前面は多数の拝観者で埋め尽くされていた。昨日斎行された川原大祓、遷座祭とは大違いだった。
【参考】
- 賀多神社の御遷宮、川原大祓・遷座祭(鳥羽市鳥羽) 2015年10月17日
拝殿からの石段を下るとその途中には水が張られた桶、その周囲には注連縄が張られていた。これは何のために?(この答えは後ほどに・・・)
直ちに奉納薪能の開演となった。
挨拶、祝辞
狂言 以呂波
狂言 しびり
仕舞 養老
仕舞 唐船
狂言 土筆
仕舞 蝉丸
仕舞 錦木狂言 蟹山伏
仕舞 枕慈童
仕舞 三輪火入式
狂言 飛越
狂言 舎弟
狂言 柿山伏能の解説
能 葵上閉会の辞
開会すると
まずは、地元、岩崎町および本町の木遣り衆による木遣り唄が奉納された。
【参考】
- 賀多神社 お木曳・白石持ち(鳥羽市鳥羽) 2015年09月06日
【挨拶、祝辞】
造営委員長により挨拶、・・が終わると能楽の奉納が開始された。
【狂言 以呂波】
まずは、気負って動画を撮影したので・・・。
【動画】 6分08秒( 11.6 MB )
【狂言 しびり】
【仕舞 養老】
【仕舞 唐船】
【狂言 土筆】
【仕舞 蝉丸】
【仕舞 錦木】
【火入式の準備】
【狂言 蟹山伏】
【仕舞 枕慈童】
【仕舞 三輪】
【火入式】
いよいよ火入れの時間となった。これからが本格的な薪能。賀多神社造営委員長と鳥羽市長 木田久主一さんが松明を手にして登場。
宮司が拝殿の奥から運んできた忌火が
氏子総代に手渡されると
松明が点火された。
忌火を灯した松明を手にした二人が
能舞台の両側に配置された篝火へと向かうと
火が入れられた。
点火。
火入れを終えた松明は
先に紹介した桶にて火が消された。
火入式が終了すると能組の後半が開始された。
【狂言 飛越】
【動画】 51秒( 1.6 MB )
【狂言 舎弟】
【狂言 柿山伏】
【出演者の紹介】
残すところ「能 葵上」のみとなった時点で、今までの参加者が紹介された。純真無垢な遊び盛りの子供たち、今後も伝統を守るために能楽を続けると決意した高校生、地元ではないがこちらの能楽に携わる方々、伝統を途絶させてはいけないと鳥羽市能楽保存会を立ち上げた川村光徳さん・・・さまざまなひとびとの思いがこの場に結集していた。
【能 葵上】
そして今夜のトリである「能 葵上」。
まずは、能の解説(途中からですが・・・)。
【動画】 3分02秒( 4.2 MB )
続いては出演者の紹介。
【動画】 1分13秒( 1.7 MB )
そして、「能 葵上」の演能。
(1/2)
【動画】 25分14秒( 34.9 MB )
(2/2)
【動画】 15分54秒( 22.1 MB )
演能が終了すると シテ 長田驍(たけし)さんの挨拶。
【閉会の辞】
その後、弊会の辞となり賀多神社御遷宮奉祝 奉納薪能は終了となった。
私は改めて賀多神社にお参りしてから
しばし演者がいない能舞台に見入っていた。
その後、蔵の前に展示されていた江戸時代の装束を拝見していると照明が落ちた。
能舞台前には誰もいなくなった賀多神社を後にすると
参道ではお土産(?)は手渡されていた。
私もありがたくいただいた。この中には紅白のお饅頭が入っていた。(ごちそうさまでした。)
鳥羽の裏通りを歩きながら
月を眺めて
安楽島大橋を渡った。
何とも素晴らしい奉納だった。
そして歩きながらふと思い出した。「能舞台は耐久性の関係で5年に1度の使用が適当である・・・。」と聞こえたような・・・、屋根付きの組立式能舞台はしばらく目にすることができないのだろうか?