2014年06月08日(日) 御遷座に向けて御造営が進められている佐那神社(多気町仁田) (車、徒歩)
第18回大師の里・彦左衛門のあじさいまつり(立梅用水ボートくだり、田んぼの綱引き他)が開催された多気町丹生を後にすると国道42号を松阪方向へ走ると佐奈小学校の手前には佐奈神社。
先日、「長谷の車田」の御田植祭で多気町長谷を訪れた際、次の幟を見かけ近いうちに訪れたいと思っていた。
【参考】
やっとその思いが叶った。国道42号脇の駐車場に車を駐めると参道へ。
鳥居と社標をパチリ。
鳥居をくぐり参道を進むと神宮より下賜された燈籠の脇に手水舎が建っている。
これらの案内板の向かい側だ。また、ここには先ほど紹介した幟が立てられていた。
手水舎で心身を清めると「←御神殿」の方向へ進んだ。
その先はこの通り。左方向には参集所、右方向には御神殿。
参集所の手前には神宮遙拝所、
その奥には
天宇受売命 和魂、
天宇受売命 荒魂
神名社
大山祗命
御神殿に対面すると拝殿が二箇所。
右側の拝殿前には次の立札があった。
この社は西南の役よりこのかた国事国難に殉ぜられた郷土出身の御霊を祀る祖霊社です。
参集所の奥へ移動すると佐奈神社の前には「御神木 手力の大桧」が立っている。
その左方向には、熊野三社遙拝所、
さらに奥には
やすらぎ神 ほこら祠がある。
やすらぎ神 ほこら祠
この神様は、昔本殿の下にお祀りされて居たものです。
優しくなでてから心静かにお祈り下さい
先ほど確認したように右側の御神殿は祖霊社(和玉神社)で、
左側が佐那神社だ。
佐那神社はまだ御造営中のようだが拝殿には参入できた。
拝殿へ入ると
その下では建設資材などが左右に置かれていた。左、
右。
拝殿の手前右手には旧社殿の御扉が置かれ、そこには金物の跡がくっきりと残されていた。
御祭神の一覧は残されたままだ。
御造営中の社殿を確認するため、一旦拝殿を出ると左方向へ回り込み、この場所から遠望した。
ズームでパチリ、パチリ。
御垣の横、扉が開かれた場所もズームでパチリ、パチリ。ほとんど仕上がっている?
仮殿の場所が分からなかったので、まずは右隣りの
和玉神社にお参りした。
お参り後、賽銭箱の奥に置かれていた資料をいただいた。
参拝のしおり、「佐那神社略記」と
【参考】
「さなやしろ五十七号」
さなやしろ五十七号には有意義な情報が掲載されていた。
- 佐那神社の仮殿は和玉神社
- 佐那神社の宮司は山下高史さん
お参りを終えると手水舎付近まで戻り、「御神木 夫婦杉→」方向へ向かった。
参道ので左手に見える御神殿をパチリ。
その先には「手力の池」がある。
この場所から佐那神社の本殿の裏側が望める。
斜め方向からもパチリ。
さらに参道を進むと左手に小さめの鳥居があり、
両側を御垣に挟まれた狭い参道、その先へ進むと
そこには
夫婦杉
江戸時代(西暦1850年頃)よりこの地に植えられここに生き続けている夫婦杉です。
素晴らしい神様もお守りし崇敬の皆様を見守っていられる御神木です。
見上げてお参り。
夫婦杉を後にすると参道をさらに進み、反対側の鳥居をくぐった。
振り向いてパチリ。
鳥居の左側に紀伊藩が建てたとされる「禁殺生」石を見つけた。「禁殺生」石はお伊勢さん125社でもいくつかの神社で見ることができる。「ああ、お参りしたくなった・・・・」
社名は葉っぱに隠されて見ることができなかったが、これが自然。為すがままを楽しんだ。
この近くには地名板があり、
ここは仁田(にだ)。
来た参道を戻ると 再び神殿方向へ向かった。御神木 手力の大桧をパチリ。
さらに、パチリ。
佐那神社の拝殿から新たな御垣の御扉をパチリ。美しい!
こちらも、
こちらも、
・・・
拝殿の片隅に次の「御祭神と御神徳の説明書き」を見かけた。
そして最後に旧御扉を観察した。
この軸、綺麗な円筒形ではない。この粗い仕上げが御扉を開閉する際に「ギ、ギギギィー、ギィー・・・」と音を発する仕組みなのだろう。
また、鍵の構造も確認。仕組みについてはなんとなく理解できたが、鍵を開ける仕組にいては?
いろいろな収穫を得ると国道42号へと車を走らせた。
【 20140608 の記録 】
第18回大師の里・彦左衛門のあじさいまつり(立梅用水ボートくだり、田んぼの綱引き他)
式年遷宮に向けて御造営が進められる丹生神社(多気町丹生)
立梅用水(たちばいようすい)、切り通しのその先は(多気町丹生)
御遷座に向けて御造営が進められている佐那神社(多気町仁田)
「禁殺生」石がある坂手国生神社