2015年10月12日(月) 太一御用船による御幣鯛奉納、神社港での歓送迎(伊勢市神社港) (午前は車・徒歩、午後は徒歩)
神宮では御饌に供する多くのものを自給自足している。神宮神田では御稲、御塩浜・御塩殿等では堅塩(御塩)、神宮御園では野菜・果実などがさらには鳥羽市国崎町の御料鰒調整所では文字通り鰒、また御饌の他にも神服織機殿神社および神麻続機殿神社の八尋殿(機殿)では神御衣(和妙、荒妙)、多気郡明和町蓑村の神宮土器調整所ではカワラケなどが・・・。
そして、御幣鯛(おんべだい)とも呼ばれる干鯛は伊勢の地からは遠く離れた愛知県知多郡南知多町篠島の地にある神宮御料干鯛調製所にて三節祭(年二回、6月と12月の月次祭と神嘗祭)のために作られている。干鯛とは内臓を取り除いた鯛を塩水に漬けた後、西風の強い日に天日で乾燥させたものだそうだ。
一度途絶えた海路での奉納は平成10年に復興され、毎年10月12日には辛櫃に納められた干鯛が漁船にて伊勢湾を渡って運ばれる。これら御幣鯛を運ぶ漁船には神宮から授けられた「太一御用」の旗と多数の大漁旗が翻っている。篠島から神社港(伊勢市)へ到着した御幣鯛は神社港から内宮までを陸路で運ばれて奉納される。
私が太一御用船(御幣鯛船)の存在を知ったのは数年前だが、今まで一度もお迎え、お見送りをしたことがなかった。可能な時は昼休みを利用して神社港に停泊している太一御用船の姿を眺めているだけだった。昨年はやっと日曜日となったのだが台風の影響で海が荒れ海路での奉納は中止された。
【参考】
- 太一御用船の歓迎準備 2010年10月11日
- 太一御用船(神社港) 2011 2011年10月12日
- 太一御用船(神社港) 2012 2012年10月12日
- 台風19号の影響で中止となった太一御用船(海路)による御幣鯛の奉納 2014年10月12日
そして今年は体育の日で祝日、しかも文句なしの晴天であった。ワクワクしながら神社港へ向かうと、まずは一色大橋で勢田川の対岸へ渡ると
一色町側から神社港方向を遠望。「歓迎 ようこそ伊勢へ」の横断幕、多数の大漁旗、すでに歓迎の準備は整っていた。
再び、一色大橋へ戻ると
海の駅 神社港から一隻の船が動き始めた。
その船は「かみやしろ港」「神社港 辰組」の幟を立てていた。篠島から神社港を向かっている太一御用船を迎える(両船会合する)ために出発した。
船影はどんどん小さくなり、伊勢湾へと・・・
出迎えの船の姿が見えなくなると私は一色大橋を後にして
神社港側へと下った。太一御用船の到着予定は9時、現在は8時30分頃、一色大橋の下付近からはすでに「通行止」となっていた。
雨の昨日とは一転し、暑いほどに太陽が照りつけていた。
海の駅 神社港へ向かうと
「御幣鯛船歓送迎式典スケジュール」が掲示されていた。
こちらは、伊勢天翔太鼓の皆さん。
8時40分、いつ到着するかわからないので、この辺りで待機することにした。
到着予定の9時を過ぎても到着の気配はなく、それから10分ほど経過すると鼓笛隊の演奏が始まった。
鼓笛隊の演奏が開始されてしばらくすると・・・ 点々と・・・
神社港に先導された太一御用船の船団が大きくなってきた。
ゆっくり、ゆっくりと船列を整えながら
近づいてきた。
出迎えの船が船列を離れると
6隻の太一御用船は一隻ずつ順に港へ近づいた。
【動画】 24秒( 2.0 MB )
船参宮を体験できる木造船みずきとともにパチリ。
【参考】 木造船みずき
- 木造船みずきでの船参宮気分 2010年11月13日
太一御用船は次々と到着。
【動画】 52秒( 4.2 MB )
先頭の船を確認したところ新しい辛櫃が残されていた。(私はこれから辛櫃が降ろされるのだと思いずっと待っていたがそうはならなかった。御幣鯛が納められた辛櫃はすでにテントの下へ移動されていたのだった。)
辛櫃に気を取られていたら最後の船の到着となった。
さすが漁師さんだ。勢い良く突っ込んだが見事にピタッと停船となった。(カッコイイ!)
【動画】 42秒( 3.4 MB )
すべての漁船が停泊すると乗船者の下船となった。
ひとり、ふたりと順に陸へ上がると
先頭の漁船の隣に準備されていた歓迎式典の会場へと集まった。
御幣鯛が納められた辛櫃は参列者の脇に建てられたテントの下に置かれていたのだった。
歓迎式典が開始されると歓迎のセレモニー、神社港側、篠島側からの挨拶や祝辞等が続いた。
なお、堤防の反対(陸)側には御幣鯛と奉納者を内宮まで運ぶためのマイクロバスと
ワンボックスが待機していた。
子供たちの木遣り唄、
神社港自治会長による挨拶、
篠島側からは篠島漁協の副組合長による挨拶。
去る10日に御遷座を終えた篠島の神明神社および八王子社の諸祭儀等で忙しく今回は参加できなかった組合長からの挨拶文を代読された。
【動画】 1分05秒( 5.2 MB )
【参考】
- 篠島 神明神社 公式ウェブサイト
- 篠島の2神社が「御遷宮」 10日から神事と祭礼:愛知:中日新聞(CHUNICHI Web)
- ☆伊勢神宮と御料干鯛 – 詳細表示 – 三河湾国定公園 篠島の宿 「南知多」 – Yahoo!ブログ
祝辞等の紹介の後、歓迎式典は終了となり御幣鯛を納めた辛櫃が内宮へと出発する時間となった。
辛櫃は待機していたワンボックスカーへと運び込まれた。
【動画】 1分25秒( 6.7 MB )
御幣鯛は木遣り唄にて送り出された。
この後しばらく伊勢天翔太鼓が鳴り響いてた。
太鼓が演奏される近くのテントでは篠島の海産物が直売されていた。
多数の人が・・・
私は昼食のために一時帰宅する途中で、御食神社にお参りしたところここでも太鼓の音が聞こえ続けていた。
太鼓の音を聞きながら一色大橋を渡ると
一色町(勢田川右岸)側の階段下にはこんなカゴが置かれていた。午後からの餅まきに備えて置いてあったらしい。
神社港に停泊する6隻の太一御用船(御幣鯛船)をパーチリ。左側の社叢は御食神社のもの。
一時帰宅の途に着いた。
そして午後に再び神社港へ向かった。
一色大橋の下、堤防壁画に描かれた「御幣鯛奉納祭ノ図」を見ながら太一御用船へと近づいた。
【参考】
- 堤防壁画『御幣鯛奉納祭ノ図』(伊勢市神社港) 2014年03月16日
すると堤防の上には多数の段ボール箱が並べられていた。あの中には篠島餅まきのための・・・。
太一御用船が停泊している海の駅 神社港では、出港時にテープ交換するための紙テープが準備されていた。今年は釣り竿を改良した専用ツールを準備して紙テープを陸から船へと渡していた。紙テープを渡す方法も毎年進化しているとのことだった。
こんな感じですでに陸と船(川・海)とは紙テープで結ばれていた。
紙テープは次から次へと渡されていった。
そろそろ紙テープの準備は終了か、
風に煽られた紙テープは複数がまとまって紙テープならぬ紙ロープみたいになっていった。
一方、陸側にある海の駅 神社港の建物付近にはトラックの荷台にステージが準備されていた。
しばらくすると御幣鯛の奉納を終えた空の辛櫃が戻って来た。
船の脇へと横付けされると
それらの辛櫃が甲板へと戻された。
この子は何を思っていたのだろう?
辛櫃を運び終えると続いては赤福のワンボックスカーが到着。
その荷台からは函入りの赤福が運びだされ甲板へと積み込まれた。
その後、漁師さん一行が戻ってきた。
手荷物を置くために船に戻った後、
出港式典が開催されるステージ脇へと集まった。全員が集合すると出港式典が開始された。
挨拶が・・の後、乾杯。
さらには勢田川の対岸一色町で継承されている一色能能楽保存会による子供仕舞が披露された。
餅まき直前でのざわついた環境だったので子供たちはやりにくかっただろうが、指導されている高林白牛口二さんに見守られるなか元気に演じていた。彼らは一色能の後継者だ。
【参考】
- 一色能(一色神社例祭) 動画あり 2012年03月11日
- 一色神社例祭奉納能「一色能」(伊勢市一色町)、「猩々」(動画あり) 2015年03月15日
続いては神社小学校の3・4年生による神社エイサー『島人ぬ宝』。
【動画】 4分34秒( 21.7 MB )
以上が終了するとここに集まった多数の人が待ちに待っていた篠島餅まきが開始された。
こんな大きな餅は誰が手にするのだろうか? パチリ!
まずは大きな餅が投げ込まれた。
するとどうしたことか、誰かに当たって跳ねてきたこのあの大きな餅が私にしか拾えない場所へと転がってきた。「拾ってください。お願いします!」との声が聞こえた。(幻聴?)ほどなくこの大きな餅は私の手の中にあった。(ありがたくいただきます。)
その後も多数の餅が投げられた。
堤防の上からの・・・・・・・・・・・
餅まきが終わると別れの時となる。
船へと戻った漁師さんたちはすでに準備されている紙テープを手に取って
さらには後から投げ込まれる紙テープも・・・
ついに別れの時がやってきた。一隻、一隻と順に・・・・
【動画】 1分09秒( 5.5 MB )
出港となった。
太一御用船は重要な任務を終えて神社港を後にした。
(お疲れさまでした。)
【動画】 16秒( 1.3 MB )
私はこの後も船影が消えて見えなくなるまでこの場所で見送っていた。
太一御用船(御幣鯛船)を送り出した神社港は平静を取り戻した。
先程までいた多数の人々の姿は消え、ここには後片付けの担当者と私だけ。
海の駅 神社港を後にすると御食神社にお参りしてから
堤防壁画「御幣鯛奉納祭ノ図」で本日を振り返りつつ帰途に着いた。
皆さん、お疲れさまでした。
いずれは篠島を訪れ、御遷宮を終えた神明神社および八王子社にお参りしたい。また、できることなら御幣鯛の調整作業を拝観したいものだ。