2017年08月14日(月) 念願の乳の宮(ツチの宮)参り(玉城町積良) (車、徒歩)
大日山〜的山南峰〜的山〜国束山のように縦走する予定だったが、大日山〜的山南峰のルートが大荒れだったため、予想以上に時間がかかってしまった。また、遠方からの同行者が夕方には帰らないといけないとのこと。的山から国束山へ向かう途中にある積良への分岐でエスケイプした。
下界へ到着し、獣害防止用フェンスの扉を開けるとその近くにはもうひとつの扉があった。そのフェンス扉の前には[乳宮入口]と記した標柱が建っている。
ここは玉城町史でも紹介されている乳の宮(ツチの宮)、以前からアプローチしていたがどこにあるのかわからずじまいだった。
乳の宮
中央の池の西の端に、昔楠の大木があって神木とあがめた。枯れあとに植えた楠の木は直径30cmほどの大木になり、その根本に小さなほこらを建てて乳の宮とあがめている。
荒木田二門は宇治に移って山宮神事は楠部で行われるようになった。
荒木田氏の山宮神事は、五穀豊穣と子孫繁栄を祖霊に祈る祭りであった。村人はここが中谷の神事場であったとして祠をたてて土の宮をあがめ、豊作と子孫繁栄を祈った。
作物の種の魂をゆり動かしてみのらせる母なる土。ここを土霊の宿るミヤコ(霊力ある神の住居)としてツチの宮といったが、いつしかチチの宮に転訛して乳の字を当て、子供を育てる母乳(チチ)の宮とあがめるようになった。【引用】 玉城町史 上巻 pp.24-125より
そのため、今回のエスケイプは私にとっては幸いだった。
他の二人はフェンスの外から鳥居が見えた?・・・と言っていたが、私は訪れたくてどうしようもなかったので、フェンス扉を施錠しているチェーンを外すと扉を開けた。私が足を踏み入れると他の二人も・・・
整備された参道(山道?)を進むと
左手に手水石が置かれていた。
手水石には安政の年号と世話人三名の名前が刻されていた。
さらに進むと白い鳥居の奥には一本の木がまつられていた。
まずはお参り。
その木は御垣に囲われ、
その根元には金属製の鳥居が多数、供えられていた。
また、参道の一部には焚き火の跡が見てとれた。まつりが執り行われた証か?
お参りを終えると先の鳥居を遠望してからフェンス扉まで戻った。
乳の宮を後にするとフェンス扉をチェーンでシッカリと施錠した。
振り返ると左奥には溜池があり、中央には先ほど山から下りてきた時に出た扉、さらに右手には乳の宮の扉。これらを背にすると
伊勢自動車道のトンネルをくぐった。
このトンネルは「勢和多気37」
くぐり抜けるとその先には、積良の家並みが広がり、右手には津布良神社(皇大神宮 末社)の社叢が望めた。
乳の宮を探すために、このトンネルの入口までは訪れたがこの先へ入ることはなかった。これからはロープが張られていてもその先を探索してみよう。怪しまれない程度で・・・