2014年08月02日(土) 荒塩の焚き上げ作業(御塩焼所、御塩汲入所)2014 – その2 (車)
宮川ウォーク・右岸の最終区間(第五区間)に参加する直前、昨夜も訪れた御塩焼所、御塩汲入所を再訪した。荒塩の焚き上げ作業についてはその記録にて紹介したが明るい状態との対比は非常に興味深いと思われるのでここに紹介する。
【参考】 昨夜の記録は、
道路脇にある鳥居をくぐり御塩殿神社の参道を進むと、中央に立つ鳥居の先には御塩殿、その左側には御塩殿神社、そして右側には斎舎が建っている。
御塩殿神社にお参りを済ませてから斎舎の左奥へと伸びる小径を進むと小径は途中で左右に別れる。
その分岐はこちらだ。昨夜は左へ進んだ。この分岐を左へ進むと御塩汲入所、御塩焼所への近道だ。(実はどちらを選んでもほとんど違いはないが・・・。)
ほどなく御塩汲入所が見えるが、その手前に車の姿。通常ならこんなことはあり得ない。
御塩焼所、御塩汲入所に近づいてパチリ。
昨夜の最初のショットはこんなビューだっただろうか。
そして、こちらが荒塩の焚き上げの時だけ開けられる扉。蝶番が取り付けられた部分がそれを物語っている。
鳥居をくぐり御塩焼所へ進むと
平釜からは湯気が立ち昇っていた。
そして、御塩焼所内の右側には寝かされた俵と・・・。
寝かされた俵には会符が付けられ、そこには「平成二十六年 第二号」の文字が書かれていた。手前は「第一号」か?
また、出入口付近には「平成二十六年 第三号」「第五号」と書かれた会符も準備されていた。
御塩焼所を離れ、今朝は扉が閉ざされていた御塩汲入所に注目するとその脇には
御塩浜での採鹹作業で集められた鹹水を詰め、御塩汲入所まで運ばれた樽が並んでいた。樽の側面には「7/23」の文字、
さらに、「7/22」、「7/18」。御塩浜で詰められた日付だろう。
通常は見られない風景、扉が開かれた姿をパチリとしていると
御塩汲入所から鹹水を運ぶために使用される桶が次々と運ばれてきた。空の状態だった。
塩分を洗い落としてお片付けとなったのだろうか?
荒塩の焚き上がりまで時間がかかりそうだったので、昨夜と同様に二見浦側の出入口へ向かった。
今だけ開け放たれている扉から外へ出て二見浦をパ〜チリ。
ここには昨日の記事で引用した
東方に海水浴場、旅館街、立石崎が一望に見わたされ、遥かかなたには神前岬、飛島八島、答志島がのぞまれます。
の風景が広がっているはずだったが、曇りがちで遠くは霞んでいた。
二見浦を背にして、御塩殿神社の社域へと戻ると
この注意看板に注目! 「車を乗り入れないこと」、しかし奉仕者の車は特別だ。
御塩汲入所へ戻ると
これもまた昨日の記事で引用した
御塩汲入所は、松林の中に地際から直ちに萱屋根がふかれるという、建築史上、貴重な様式である「天地根元造り」と呼ばれる構造を現在に留めています。
を再確認した。
また、御塩焼所も同様の建築様式を採用しているので、パチリ、・・。
御塩焼所へ戻ると交替しながら平釜のなかの荒塩を返していた。
炎には安らぎを感じ癒やされる。
そろそろ時間となった。今日も荒塩を引き上げる様子を拝観することはできなかった。
年に2日ほどだけ使用される御塩焼所、そのことを物語る扉を目に焼き付けると来年の再訪を期して、御塩焼所を後にした。
帰り際にも御塩殿神社にお参りをしてから
御塩殿神社を後にした。鳥居をくぐり返すと日常の時が流れ、いつもの風景が現れる。
しかし、忘れてはいけないことがある。頭の片隅、心の片隅にでも置いておこう。
神宮は自給自足を旨としているため独自の神田(神宮神田)、御園(神宮御園)や御塩殿(御塩殿神社の御塩殿、御塩焼所、御塩汲入所)、機殿(神麻続機殿神社、神服織機殿神社の八尋殿)、各調製所(鰒、干鯛、土器)などを有し多くの場所では地元の方の多数の奉仕により成り立っている。また、摂社、末社、所管社では清掃などお守りされている方もいる。私が知らないところでも多くの方が奉仕されているのだろう。
日本にとって、いや世界にとっても大きな存在である伊勢の神宮の営みはこのような奉仕者ひとりひとりの小さな奉仕の集まりで成り立っているのだ。
奉仕されている方々に感謝!