2015年11月28日(土) お伊勢さん125社まいり 田丸めぐりをちょっとだけと+α (車、徒歩)
伊勢文化舎が発行しているガイドブック 別冊 伊勢人「お伊勢さん125社めぐり(P.57参照)」を片手に玉城町役場を起点としてその周辺に点在する125社を【キタヰの妻】と巡ろうと計画していたのだったが・・・
予定では玉城町役場を午前10時に出発するはずが、さまざまな寄り道が繰り返されたために午後1時15分となってしまった。3時間以上も遅れてしまった。
予定では本書の田丸めぐり(13km)にて狭田国生神社・小社神社・奈良波良神社・鴨下神社・坂手国生神社を訪れる予定だったが、時間の関係で途中変更となった。しかし、そのおかげで新しい発見があった。
玉城町役場の駐車場を出発すると村山龍平記念館にて田丸城八代城主「久野純固とその周辺・その時代」展に寄り道した後、改めて出発となった。
大手門橋を渡り、先へと進むと
左手には赤門久野屋敷跡。
右手にははせ街道・熊野街道 合流点 紀州街道の道標が建っている。ここは熊野古道伊勢路を歩いた時に通り過ぎた場所。
【参考】
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(伊勢神宮外宮から田丸まで) 2013年05月25日
- 「熊野古道伊勢路図絵」を片手に熊野古道伊勢路を歩いた記録のまとめ 2013年05月〜07月
あの道標を通り過ぎ、百五銀行の門をカクカクと曲がると田丸磁石橋跡に到着。
伊勢本街道を進むと右手には三縁寺の参道に建つ禁殺生石をパチリ。
JR田丸駅へと交差点を横断すると
ここも直進。
武者隠しの名残を感じながら先へ進むと社叢が望める。
まずは、狭田国生神社(皇大神宮摂社)にお参り。
狭田国生神社を後にすると外城田川の辺りに出て、外城田川から極楽橋へと
左岸を進んだ。
極楽橋で右岸へ渡ると
JR参宮線 田丸・宮川間 外城田川架道橋の下をくぐり・・・
左側に広い墓地を見ながら道なりに進むと
県道13号を横断。農道を道なりに進むと突き当りが左へと曲がっている。
さらに進むと「岡出」の地名板。
右手前方に小社神社(皇大神宮末社)の社叢が望める。左、右へと進むと次の丁字路を右へ
その後は社叢を目指して・・・。社叢を左へ巻くと参道の入口に到着する。
参道へ入ると直角に右へ折れる。
光に照らされていたこちらは注連縄に見えてしまった。
小社神社にお参り。
お参りを終えて社叢を出る際に手水石を確認したところ、周囲の葉っぱにまで水が跳ねていた。誰が?もしかして鳥の仕業か?
小社神社を後にすると宮古方向へと進んだ。途中で振り返ってパチリ。
歩道橋のある交差点から玉城わかば学園方向へ歩くと左手をパチリ。
東海農政局 宮川用水土地改良区 宮古操作所、城田分水工と下外城田分水工付近で道路の向こう側に立つ宮古の地名板を確認した。
分水工の脇を先へ進むとこの交差点、玉城わかば学園の敷地の角だ。奈良波良神社(皇大神宮摂社)へ向かうにはここを直進だ。しかし、奈良波良神社を経由して坂手国生神社(皇大神宮摂社)を巡ると玉城町役場に戻る頃には暗くなりそうだったので【キタヰの妻】と相談して今日のところは125社めぐりを終えてここを右折し、帰路に着くことにした。(しかし、私たちのウォークはそんなに簡単には終わらない・・・)
右折して道なりに進むと珍しい「農林水産省」の境界標を発見。突き当りを左へ折れると
こんな風景となり、その左側の土手に登ると
宮川用水の押野池が広がっている。
池を背にするとこの案内板が設置されていた。
押野池を後にすると田丸城址に立ち寄ろうと先へ進んだ。右方向が田丸城址、ところが左方向には社叢が望めた。あれは鴨下神社(皇大神宮末社)の社叢だった。この距離なら寄り道しても大丈夫、【キタヰの妻】の了解を取り付けると田丸城址とは逆方向へ進んだ。
勝田の地名板を過ぎると農道をカクカクと進み
鴨下神社を目指した。
鴨下神社にお参り。
鴨下神社を後にして、来た道とは逆方向へ進み社叢を右へ巻くように進むとこんな時季にサクラが花を咲かせていた。(狂い咲き?)
さらに進むと遠くに勝田農村公園が望める。公園の脇を通って田丸城址を目指すのだが、公園にトイレを見つけると一時休止となった。
こちらの出入口から勝田農村公園を出るとその前に鎮座する
庚申堂ではおばあちゃんがお参りしていた。話を伺うと平成17年からすでに10年間毎日お参りしているとのことだった。先日、こちらの階段を踏み外して肋骨を折ってしまったとも。(お気を付けて!)
私たちもお参りを終えるとおばあちゃんの後を追い、おばあちゃんが次にお参りする地蔵堂へ向かった。小さく見える鳥居は千引神社のもので、おばあちゃんが歩いている道路の左側に地蔵堂が建っている。
地蔵堂にお参りすると
先ほどの鳥居をくぐって参道を先へ。参道の左側には「千引神社祭礼 御寄付者御芳名」が掲示されていた。千引神社の社名を示すものはこの掲示だけだった。
この先には手水石、さらには自然石の常夜燈があった。
常夜燈を過ぎると右手方向には建築ブロックで囲われたなかに注連縄が掛けられた石が置かれていた。
お参りしてから参道を戻ると鳥居をくぐり返した。こちらには初めてのお参りだった。
千引神社を後にすると田丸城址へと向かう道へ戻りその脇に建つ鳥居をくぐった。結局、寄り道の連続、私のペースに持ち込んでしまった。こちらは八柱神社。
坂道の参道を進むと坂の上にはある程度の空間が広がり、注連縄が掛けられた石が多数と
中央の奥にはこちらの社殿が建っている。
お参りを終えると急いで参道を下った。
八柱神社を後にすると
NTT DoCoMo 玉城南無線局の脇を通り
田丸城址を目指した。天守跡にはイルミネーションが準備され、角度によっては天守閣が再現されたのではないかと思わせる程の状態になっていた。
田んぼの間の道を進むとこちらは外城田川に架かる色白橋。
天守閣(?)
こちらは外城田川。
橋を渡るとふたつ目の路地を右へ折れて道なりに進んだ。こちらがJR参宮線 外城田・田丸間城山架道橋。線路をくぐり左方向へ進むと
そこはすでに田丸城址で、ここからは搦手道が続いている。
階段を一歩一歩踏みしめながら進み、途中で振り返ってパチリ。
もうすぐで登りは終了。
登り詰めるとこんな風景が迎えてくれた。
こちらは玉城中学校のグランド越しに町並みの眺望。
反対側にはこんな石垣が続いている。
この後、イルミネーションの準備が進められている天守跡へ向かった。(その様子は別の記事で紹介予定)
田丸城址の天守跡を後にすると玉城町役場へ戻り、今回の巡りは終了となった。
お伊勢さん125社としては、狭田国生神社(皇大神宮摂社)、小社神社(皇大神宮末社)、鴨下神社(皇大神宮末社)の三社にしかお参りできていないが、予想以上に寄り道が多くなってしまった。
「庚申堂でお会いしたおばあちゃん、階段には気をつけてお元気で!」
【 20151128 の記録 】
- 新嘗祭、神服織機殿神社・同社末社八所(皇大神宮所管社)
- 新嘗祭、神麻続機殿神社・同社末社八所(皇大神宮所管社)
- 御造替が進められる神麻続機殿神社・同社末社八所(皇大神宮所管社)
- 旬菜 野の花亭(度会郡玉城町勝田)
- 田丸城八代城主「久野純固とその周辺・その時代」展(村山龍平記念館)
- お伊勢さん125社まいり 田丸めぐりをちょっとだけと+α
- 天守跡イルミネーションの準備(田丸城址)