2016年07月16日(土) 修繕に変化なし(?)そこで境内の見どころ紹介、坂社(伊勢市八日市場町) (車、徒歩)
坂社でも御神遷に向けて修繕が進められている。ただし、最近は変化がなかったので余り期待せずに鳥居をくぐった。
すでに拝殿と本殿の足場の取り外されているので残るは
本殿の御垣設営のみだった。予想通りこちらには変化がなかった。
仮殿となっている坂之森稲荷大明神にお参りした際、鳥居の間からもパチリ。
さらには坂之森稲荷大明神越しにも坂社を眺めると
パチリ。しばらくするとこんな光景を見ることはできなくなる。
予想通り変化がなかったので、今日は境内に設置されている説明板を紹介しておく。坂社と坂之森稲荷大明神の間に置かれている手水盤がこちらで、四隅には盃状穴が残されている。
手水盤の説明板はこちら。
手水盤
この手水盤は宝暦十一年(1761)に元常磐町西世古の住人大竹則方氏(明治三年五月十一日卒)の奉納したものです。
大竹家は代々外宮領の神楽師で笛を担当しておりました。同じ年に藤社にも手水盤を奉納しておりましので坂社、藤社の御頭神事に神楽役人として奉仕されていたものと考えられます。又その孫に俳諧を好んだ人があり則方の子芳馨(宇之徳 寛政十二年十一月二十六日卒)は春雨園又豹校と号し四代の孫言近(通称右藤太一 明治六年六月八日卒)は蓬村と号しました。
続いては手水舎の奥にあるこちらの建物。先日斎行された「大祭」の看板が立て掛けられていたのでパチリ。
この建物の近くに隠されるように置かれているのが
こちらの石。「曽祢口」と刻されているようだが、何とか「曽」の文字しか確認できない。その下は土の中?
説明板はこちら。
『曽祢』の石
この石は、昭和二年社地拡張工事中に旧石垣の中から発見されました。
曽祢()一字不明 と刻され、不明の字は『口』とも判読されます。昔は、旧百五銀行八日市場支店付近を曽祢口と称しており、その付近に建てられていたものと思われます。
古来この地方は『坂方』と呼ばれ、曽祢町の一部も当坂社氏子の区域であった関係で当地へ運ばれたと推測されます。
曽祢口には道饗(みちあえ)所があり、悪魔払いの祭りが行なわれた所であります。また、参宮道者の接待所も置かれ、近くに『上座蛭子社』が祀られていいました。
北御門より神宮に参拝するときは、必ずここで下馬したと伝えられています。
そして最後は、拝殿前から眺めた社務所前に立つ銀杏の木。
近づくと
根元付近には次の説明板がある。
坂銀杏
この木は、明治二十年頃お祭の行事を行う時に、杭として末口を下(木をさかさまにして)に打ち込まれたものが根づいて生長した銀杏です。このため枝が普通は上に向かって伸びるのですが、この木の枝が一度下方または横方向に出てから上に伸びておりますのが特徴です。坂社の「さか」とさかさまの「さか」と音(おん)が同じところから「坂銀杏」と名づけております。
説明を読んでから銀杏を眺めるとたしかに枝が横方向に伸びている。「坂銀杏」
最後の最後に、坂社を後にする時いつも気になっているのはこちらの常夜燈だ。棒鋼で補強された姿はいつ見ても痛ましい。こちらは修繕されないのだろうか? 手当してあげて欲しいナ。
【坂社、御遷座までの経過】
- 坂社の御神遷、遷座祭・奉祝祭の日程決定(伊勢市八日市場町) 2015年06月27日
- 御遷座に向けて拝殿、本殿の修繕が開始された坂社(伊勢市八日市場町) 2016年04月30日
- 洗い作業中の坂社(伊勢市八日市場町) 2016年05月14日
- 修繕中の坂社で見つけたふたつのこと(伊勢市八日市場町) 2016年05月28日
- 拝殿および本殿の洗い、修繕はそろそろ終了、坂社(伊勢市八日市場町) 2016年06月04日
- 蕃塀も拝殿前の鳥居も御造替、坂社(伊勢市八日市場町) 2016年06月11日
- 祓所の中心に置かれた石は?、坂社(伊勢市八日市場町) 2016年06月19日
- 祓所のお白石が復活?、坂社(伊勢市八日市場町) 2016年06月25日
- 今週は変化がなかった?、坂社(伊勢市八日市場町) 2016年07月02日
- 拝殿・本殿の足場が取り外された坂社(伊勢市八日市場町) 2016年07月09日