伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

2016年12月03日(土) 伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永) (車、徒歩)

午後から津市で所用があったため、早めに自宅を出た。予定の時刻まで「第7回三重の作家たち展2016(三重県文化会館ギャラリー)」、「石垣定哉展(三重県立美術館)」を観覧しようと思っていたが、津市へ近づくと別の思いが湧き上がってきた。

それは、拝観しようと思っていたけれども立ち会うことができなかった日永の追分のお木曳行事、知人が手渡してくれたパンフレットを思い出した。津から四日市ならそんなに遠くない。その思いで頭が満たされると車は日永へ向っていた。

【参考】

 

11時頃には到着すると考えたが道路が混雑していたため予想より時間がかかり11時15分頃に日永の追分へ到着。まずは、追分を眺めた。

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

 

そして、まだまだ瑞々しい雰囲気の鳥居へ・・・。

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

 

見上げると素木の表情と深い空がやけにマッチしていた。

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

 

こちらは、以前にも目にしたことがある「三重県史跡 日永の追分」の碑。帰宅後に気づいたのだったが、この碑の裏には、造営年次が刻まれていることを・・・。今回は急いでいたのでそこまで気が回らなかった。表を見たら裏を見なくてはいけないのに。(残念)再訪する理由ができたので、次回は街道を歩くか!

「三重県史跡 日永の追分」の碑

「三重県史跡 日永の追分」の碑

 

道標や常夜燈は以前に訪れた時と同じような雰囲気だった。

日永追分の常夜燈、道標他(四日市市日永)

日永追分の常夜燈、道標他(四日市市日永)

 

そうそう、この鳥居は日永の追分から伊勢神宮を遙拝するために建てられてのだからこの位置から眺めないといけない。

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

 

遙拝しようとしたら日差しが眩しかった。

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

 

昔の旅人を想像しながらパチリ。

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

 

こちらの鳥居は皇大神宮の別宮である伊雜宮の鳥居が拝領されている。

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

 

この通り。

内宮(皇大神宮)の別宮 伊雜宮から拝領した鳥居であることを記す立札、日永追分(四日市市日永)

内宮(皇大神宮)の別宮 伊雜宮から拝領した鳥居であることを記す立札、日永追分(四日市市日永)

 

2014年04月05日時点 (日永の追分に拝領された伊雜宮の鳥居)

伊雜宮

伊雜宮

 

【参考】 御造営が開始された伊雜宮ほか 2014年04月05日

 

2014年11月29日時点 御造替された伊雜宮の鳥居

遷御翌朝の伊雜宮

遷御翌朝の伊雜宮

 

【参考】 遷御を終えた翌朝の伊雜宮 2014年11月29日

 

まずは取り急ぎ、日永追分の鳥居を体感すると津市へ戻った。

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

伊雜宮の鳥居を拝領し御造替された日永追分の鳥居(四日市市日永)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です