2014年10月19日(日) 神倉神社、急峻な石段と御神体であるゴトビキ岩 (車、徒歩)
熊野本宮大社、大斎原でのお参りを終えると国道168号にて新宮市へ戻った。さて、これからどうするか。新宮では巡りたい場所は多いが、今日は【キタヰの妻】を同行していたのでぜひともあの場所に連れて行きたかった。
あの場所とは熊野速玉大社の摂社である神倉神社。
昨年に熊野古道伊勢路を歩き、そのゴール地点であった熊野速玉大社へお参りしてから訪れたのがこの神倉神社。熊野市駅から浜街道を延々と歩きやっと熊野速玉大社にたどり着いてホッとした後に訪れたあの時の感動は忘れられない。
【参考】
- 神倉神社 2013年07月20日(神宮巡々)
神倉山の山上には御神体とされる巨岩 ゴトビキ岩があり、そこまでの参道は傾斜が急な石段となっている。それが約500段。急な石段を登りつめ、あのゴトビキ岩を眺めその隣に建つ拝殿前から新宮の街並みを眺めれば感動しない人はいないだろう。それを【キタヰの妻】にも体験してもらいたかった。
新宮へ向かう途中、車のなかで「300段くらいの石段を登れば到着するから・・」と説明し、神倉神社を訪問することとなった。
ほぼ満車となっていた神社の駐車場に車を駐めると神倉神社へ。
「下馬」の石柱を右手に見ながら橋を渡った。
橋の右手には次の社号標が目立たぬように立っている。
橋を渡ると右手には社務所があるが、社務所には後で立ち寄ることとし、左方向へ進んだ。
参道には
天磐盾の説明板と顕彰碑が建っている。
その奥に建つ手水舎にて心身を清めると次の看板に目を奪われた。
それは参拝の注意書きだった。
ゴトビキ岩へは、自然石を積み重ねた五百段余りの急勾配が続き、上り下りが大変危険です。以下の点に、十分注意下さい。・・・
ここで、先ほど【キタヰの妻】に説明した三百段を思い出した。実は五百段だったんだ。この段数に関しては軽く流して石段下の鳥居に対面した。
登らずとも遥拝できるようにこの場所に賽銭箱が置かれているのだろう。
私達は一歩ずつ石段を登り始めた。途中で振り返りパチリ。
参道がラウンドし、鳥居が見えなくなった。
少し高度を稼いでいた。
急勾配の石段とはこんな感じだ。
急勾配を登りつめると広い空間が現れる。ただし、ここで石段は終わりではない。
この場所には火神社と中ノ地蔵堂が祭られている。
また、前回訪れた時にも見かけた「女坂」の案内板。どこにつながっているのだろう?
再び、石段を登り始めると
上方からの若い女性グループとすれ違った後、おばあちゃんが駆け下りてきた。余りにも軽快過ぎる。こんな急な石段でも慣れるのだろう。
軽快に石段を下る姿を眺めていたら、松明を手にして上り子(のぼりこ)がこの急な石段を駆け下るお燈まつりを思い出した。(次の映像がお燈まつり)
この付近から石段の傾斜は緩やかになる。右手には
千穂ヶ峯登山口の道標が見える。次回訪れた時には千穂ヶ峯から熊野速玉神社へと下ってみたいものだ。
しばらくこんな感じの参道をゆったりと進むと
視線の先には朱塗りの鳥居と垣が見えてくる。
鳥居が近かくなると
その手前に設けられている扉に気づくだろう。この扉はお燈まつりの際に上り子を堰き止めておく扉。
鳥居をくぐると
右手にある手水鉢にて改めて心身を清めた。
こちらが手水鉢の説明板。
手水鉢を後にして先へ進むと右手方向に岩盤、さらに上方には巨岩が聳えている。
石段の先に見えるのが御神体である巨岩 ゴトビキ岩。拝殿が押し潰されそうにみえる。
石段の下から新宮の街並みをパチリ。
他にも参拝者がいたので順番待ちの後、石段を登った。
拝殿前にてまずはお参り。
拝殿内を注視すると、あんな所にカマキリの姿。
そして、視線を左へ振るとこちらが新宮の街並み。先ほどとは大違いの眺望だ。パチリ、
パチリ。
ゴトビキ岩を後にすると鳥居をくぐり返し、その近くからパチリ。
急な石段を注意しながら・・・。【キタヰの妻】は石橋を叩き過ぎて割ってしまい渡れなくなるタイプなので下りには苦労していた様子だった。(お疲れ様)
何とか石段を下りきると
社務所の方へと進んだ。
社務所の前では新宮参宮曼荼羅を掲げ、熊野比丘尼姿の女性が絵解きをしていた。
その理由はこれだった。
二度目の訪問でも素晴らしい体験となった。
【 20141019 の記録 】
- 熊野本宮大社および祓殿王子社跡
- 大斎原付近の熊野川、産田社ほか
- 神倉神社、急峻な石段と御神体であるゴトビキ岩
- お白石持行事の準備が進む瀧原宮への奉曳ルート