企画展『美し国・伊勢志摩の海の幸を天照大神に奉納する「贄海(にえうみ)神事」と四郷』(四郷地区コミュニティセンター)

2015年06月28日(日) 企画展『美し国・伊勢志摩の海の幸を天照大神に奉納する「贄海(にえうみ)神事」と四郷』(四郷地区コミュニティセンター) (車、徒歩)

伊勢市二見町に寄り道していたら開館の9時に到着の予定が、11時半を過ぎていた。こちらは伊勢市楠部町にある四郷地区コミュニティセンター。こちらでは3ヶ月ごとに企画展が展開され、私のお気に入りの場所でもある。

四郷地区コミュニティセンター(伊勢市楠部町)

四郷地区コミュニティセンター(伊勢市楠部町)

 

この建物の前からは神宮神田が一望できる、絶好の場所でもある。

四郷地区コミュニティセンター前から望む神宮神田(伊勢市楠部町)

四郷地区コミュニティセンター前から望む神宮神田(伊勢市楠部町)

 

今回の企画展は『美し国・伊勢志摩の海の幸を天照大神に奉納する「贄海(にえうみ)神事」と四郷』で、以前から名前を聞いたことがある(だけの)贄海神事に関する展示で、とても興味があったのでぜひ拝観したかった。センターの入口を入るとスリッパに履き替えて真っ直ぐ突き当りの部屋が展示室である。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

 

その部屋のほとんどが常設展示で、部屋に入って左側に設置されているガラスケース(ショーウィンドウ?)3ヶ所分が企画展で使用される。企画展のお知らせが置かれていたのでいただいた。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

四郷地区コミュニティセンター企画展のお知らせ
美し国・伊勢志摩の海の幸を天照大神に奉納する
「贄海(にえうみ)神事」と四郷
贄海神事は、建久3年(1192年)に内宮権禰宜荒木田忠仲が撰録し、寛正5年「1464年」に内宮一禰宜荒木田氏経が改訂補足した「皇大神宮年中行事」に記録として残されています。6月の月次祭の前に、内宮の禰宜らが未明に御正殿を参拝のうえ、斎館から出発し、騎馬で五十鈴川沿いの楠部・鹿海の数か所を巡り神事を行い、鹿海の船津(三本松)の渡しからは鹿海の海士(あま)大井さんら数名が操船する屋形船に乗船、小朝熊神社を船上から遥拝し、五十鈴川の支流・江川を下り、二見の神前に上陸しました。そこで禊ぎをし浦々島々の神々を祀り、潮の引くのを待って、御饌(みけ)嶋に渡り、牡蠣(かき)、海松(みる)などを採取しました。その後神前にある朝熊の人々らによって建てられた仮屋で、小浜の海士らによって用意された鯛などで饗膳し、御贄は楠部・鹿海の人々によって作られた苞(つと)に入れ内宮由貴殿に奉納されました。
贄海神事は明治の初め廃止され、神事が行われたあたりでは「神前普請(こうざきぶしん)」といわれた道普請は行われなくなりましたが、今も潜島(くぐりしま)の洞門には神事の場所を清浄に保つため注連縄(しめなわ)を張る行事は、松下の人々によって連綿と受け継がれています。
最後の海士を務めた大井瑞枝さんから贄海神事について記録を残すことを依頼された神宮考証学の泰斗御巫清直が大井家に代々伝わる記録を基に明治25年に自筆で書き記した巻物などを展示していますので、是非ご覧ください。

展示期間 6月1日~8月末日
展示場所 四郷地区コミュニティセンター地域交流室(伊勢市楠部町 伊勢市四郷支所併設)
展示物
・贄海神事を記録した巻物(原本)
・神事を行った経路図
・神都名勝誌に記された関係部分の写し など

 

お知らせの説明にある内容が展示されていた。これらは訪れて観るのがいいのだが貴重な記録なのでできる限りここにも残しておくことにした。

こちらは左側のガラスケース。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

 

このコーナーの説明。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

次のよう内容が書かれていた。

解説
「贄海神事」・・・

本資料は神宮考証学の泰斗、御巫清直の自筆で記され巻尾に「明治廿五年一月廿九日 正八位御巫清直識」
の識語がある。巻末文中に見えるよう明治維新の際、数百年以来代々務めてきた贄海神事が停廃せられ、海士の奉仕も止められたため史実を記録し、後世に伝えんがため、それを筆記してほしい旨、鹿海海士役大井瑞枝の懇望に応じ、八十一歳の老筆をもって記し終えたといい、執筆の意図は明白である。
神事の概要は神嘗祭(かんなめさい)・月次祭(つきなみさい)(六月・十二月)に皇大神宮にお供えする御料の海藻や魚貝類等を、同宮の神主等が海に出て採取する神事で、

祭月の十五日に祢宜は衣冠を着け馬に乗り、美佐河原(楠部町字稲付森東の古名をいう)で解縄(ときなわ)神事の祓を行い一行は鹿海村の鏡宮前から屋形船に乗り、

(後略)

 

贄海神事に使用された屋形船は次のような船と想像され、二見興玉神社の藻刈神事で使用される船と同様のものであると考えられると示されていた。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

【参考】

 

また、下面には、最後の海士を務めた大井瑞枝さんから贄海神事について記録を残すことを依頼された神宮考証学の泰斗御巫清直が大井家に代々伝わる記録を基に明治25年に自筆で書き記した巻物の原本と読み下しは並べられていた。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

 

こちらは中央のガラスケース。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

 

贄海神事の経路図が壁面に掲示されていた。この地図は伊勢郷土会第100会例会記念の復刻古地図に赤い線が引かれていた。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

(1)内宮御正殿
(2)斎館
(3)月讀宮
(4)大土御祖神社、国津御祖神社
(5)美佐河原(楠部町字稲付森)、解縄神事
(6)岡林河原
(7)三本松の渡し 船津
 乗船場(三本松渡)
(8)鏡宮
(9)小朝熊神社
(10)江湊
 下船場(松下社)
(11)贄海神事の場所
(12)潜島
(13)神前神社
(14)粟皇子神社
(15)内宮由貴殿

(下船場は、松下社だったのか。先ほど訪れたばかりだった。独り言)

 

そして、左右の壁にはポイントの説明が記されていた。かいつまんで・・・

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

神前普請(こうざきぶしん)(写真:伊勢市からの提供)
神前神社の下にある潜島(くぐりしま)は海蝕洞門で、贄海神事が執り行われた御饌島、笏立石などに隣接しています。
二見町誌には、「神前普請」と称し、この潜島までの岩道の道普請が、贄海神事の奉仕活動の一環として二見町松下地区の人々総出で、6月1日の潮を見計らって行ったとあります。
時代の推移とともに、道普請は行われなくなりましたが、現在でもこの日に、住民が総出で、贄海神事が行われた海岸に集結したのち、洞穴の前に大注連縄を張り替えています。大注連縄を張り替え続けることで、海岸の前の海はその昔神事が執り行われた神聖な場所であることを、松下の人々に語り続けられていくことでしょう。

 

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

神事場(じんじば)について
古くは、岡村河原・美佐(みさ)河原で神事が行われました。中世、稲付森(いなつけのもり)(字東郷)に変更されたといわれます。

 

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

解縄神事(ときなわしんじ)(楠部の東部。古くは神事場)
左よりの縄と右よりの縄を2本づつ示し、祓詞(はらいことば)のあと、左の縄を左手に、右の縄を右手に取り、口にくわえて解くという祓いの神事といわれます。

 

そして、下面には、神事で使用されたとされる道具類が展示されていた。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

 

こちらは鯛を入れた箱。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

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鯛を入れた箱
牡蠣などの採取と際、鯛を「まな板石」の上で江の煮炊きの役の人たちが調理したことが明治初年に著された「神三郡神社参詣記」に記されています。
この箱の所有者である鹿海町の大井家の口伝では、神事のとき箱に鯛を入れていたとのことですので、調理の前後に使われていたものかも知れません。

 

さらに、扇・鏡・内宮神事御用の札。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

扇・鏡・内宮神事御用の札
大井家に伝わっているもので、贄海神事の際に使われていたものといわれています。

 

鏡・内宮神事御用の札と

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

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扇。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

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最後のガラスケースがこちらで、古地図ほか。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

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企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

神楽歌・湯立歌
○伊勢志摩の 海人の刃祢らが 焼く火の気 おけおけ
○焼く火の気 磯良が崎に 薫りあふ おけおけ

磯良が崎はおそらく神前岬であろう。この岬の近くには伊介御厨、浮島御厨、松下御厨があり、この一帯は伊勢神宮ぶ最も近い御贄所であったのである。
「神鳳鈔」

 

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

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贄海神事歌

○淡良岐(あわらぎ)や 島は七島と申せども
毛無併(けなしか)てては 八島なりけり

○我がや漕ぐ 一の帆筒(ほづつ)の滑車(せみ)の上に
寿(とし)を千歳(ちとせ)と云ふ 花の咲いたる

○我が君の 御坐(おはしま)さむことは
細石(さざれ)の巌(いはほ)となりて
「皇大神宮年中行事」より

この歌は神事を終えて神官達を乗せて威勢よく船を漕いで帰る人達の歌である。淡良岐は七島、草木の生えぬ岩島を併せて八島と云っているが、これは、二見浦の東端、神前岬の先にある飛島のことである。この海域よりける途中、船の帆柱の上に瑞祥の鳥が止まり。めでたいめでたいと歌いつつ又船長の長寿をも・・・・・

 

こちらは、供田地図。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

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企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

供田(きょうでん)
伊勢神宮の御厨などについて書かれた神鳳抄(じんぽうしょう)によると二見町の字小井戸口には、贄海神事に先立ち、毎年6月1日に贄海神事の料として、玄米2斗4升(36kg)を神宮に納めていた供田(※松下厨)がありました。
注 字界変更により現在は字長瀬

 

最後は苞。難しい漢字だ。「つと」と読むらしい。

企画展「贄海(にえうみ)神事」と四郷(四郷地区コミュニティセンター)

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苞(つと)
贄海神事の際、御饌島に渡って採取した牡蠣、海松などは、楠部の若ノ山で刈り取ったススキで、楠部や鹿海の人々が作った苞に入れ内宮由貴殿に納めました。
なお、苞に関しては、四郷地区に記録が残されていなかったことから、想像して再現しました。
制作協力者 鹿海町 下野花子 氏
上野玉子 氏

 

8月末まで開催されているので、時間を作って再訪したい。

 

【補足】


 

「神都名勝誌」については、早稲田大学の古典籍総合データベースにて公開されている。次のリンクにて「神都名勝誌」で検索すると三冊のデジタルアーカイブを見ることができる。(感謝)

 【参考】


 

 

【 20150628 の記録】

 

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