2014年07月20日(日) 御塩道を歩くために伊勢市二見町へ向かう (徒歩)
今日は「御塩殿(二見町荘)から外宮へと御塩(堅塩)を護送するために利用された(される)道、御塩道」を歩くために寄り道しながら御塩殿のある御塩殿神社を目指した。
自宅を出ると近所の河原神社にお参りし、国道23号へ出た。国道23号を歩くと左手には伊勢三座 青苧座跡と北向き地蔵が現れる。
【参考】
国道23号をさらに勢田川方向へ進むと
勢田川橋を渡る。
実はこの上流側、阿竹の渡し跡があった場所には「勢田大橋」という名前の橋が架かっている。ところが大橋とは名ばかりで勢田川橋と比較すれば実体は「勢田小橋」である。。
【参考】 阿竹の渡し跡、勢田大橋については、
勢田川橋を渡ると左手に見える社叢へ向かうため、この階段を下った。
こちらは、栄通神社だ。
【参考】
栄通神社では通り能が奉納され、いつも清掃が行き届いた私のお気に入りの神社である。
【参考】
( 栄通神社でのお参りの記事はこちら、
【参考】 美しい箒目と新たな旅立ち、栄通神社および山之神社にて(伊勢市通町) )
お参りを終えると栄通神社の前の道を五十鈴川方向へと歩いた。民家が途切れるとその先は田んぼが広がっている。
この看板の先では田んぼの中に堤(中堤)があり、蛇行しながら左右に伸びている。中堤は通町と一色町の境界であり、栄通神社側は伊勢市通町、五十鈴川側が一色町。
【参考】
堤の上で、左(一色町)方向をパチリ、
こちらは、右(国道42号)方向をパチリ。
なお、この中堤はかなり蛇行している。
国道42号へ近付くとその手前付近には次の木標が立っている。
中堤を後にすると国道42号を左へ、緩やかな傾斜の坂道を上った。
坂を登り切るとそこには橋。
この橋は五十鈴川に架かる汐合大橋だ。
下流側右岸(前方左側)を遠望すると微かに御塩浜の杜が望める。
橋を渡ると「汐合大橋東詰」交差点を左折して、五十鈴川の右岸を歩いた。
まず最初に現れるのが2つのゲートを有する
浜田排水ひ管。
さらに進むとそこには御塩浜専用の樋管が準備されている。それが御塩樋管。管理者に注目すると興味深い。
御塩樋管から堤防道路へ上がるとその先には
御塩浜が広がっている。
御塩浜では先日採鹹作業が開始されたが、今日は昨日の雨の影響だろう。塩分濃度を高めた海水(鹹水)が溜まる沼井にはブルーシートが掛けられ、採鹹作業は中止となっていた。
【参考】
御塩浜の正面へ回ってみるとテントは建てられた状態であるが誰もいなかった。
この塩田では、天日で海水の水分を蒸発させる方法を採用しているので進行具合はすべて天候次第である。
鹹水はあの樽にはどれくらいできているのだろう?
誰もいない御塩浜で感慨に耽った後、二見総合駐車場の近くにある二見浦観光案内所(伊勢市二見生涯学習センター内)を目指した。できる限り今まで通ったことがないルートを選択しながら・・・。
この道標の「西 右 汐合道」に従って、次の丁字路を右折。
伊勢安土桃山文化村に復元されている天守閣を遠望。
水路を越えると
次の農道を左折し、しばらくは道なりに進んだ。
右手に天守とマッチするよな外観の建物が現れた。これは?、農業集落排水の荘クリーンセンター。
さらに先へ進むとこの場所に出た。ここは見覚えがある。前回御塩道に歩いた場所だった。
【参考】
右方向へ少しだけ御塩道を歩くと次の路地へ左折した。
何となく先へ進み左方向を望むと見たことがある風景。でもこの道は通ったことがなかった。
ズームでパチリ。この先に見える鳥居は御塩殿神社の鳥居だった。つまり、御塩道を歩き始める鳥居だった。
鳥居を左手に見ながら先へ進むと狭い路地をくねくねと進んだ。
美味しそうなブドウ!
テニスコートの間や民家が立ち並ぶ狭い路地を通り抜けてから振り返ってパチリ。
ほどなく、二見総合駐車場に到着。
御塩道に関するマップをいただこうと・・・、伊勢市二見生涯学習センターに設置されている二見浦観光案内所へ向かった。
以前、二見浦観光案内所を訪れた際に御塩道のマップを見かけたので、今日も頂こうと扉を開けた。パンフレット等が置かれているテーブルには見当たらなかったので案内係の方にうかがった。どうも無さそうだったが、その男性は資料が詰められたダンボール箱から一枚のコピーを取り出して「一枚だけありました!」とこの写しを渡してくれた。(探す努力に)感謝!
お礼を述べて二見浦観光案内所を後にして隣にある伊勢市二見生涯学習センターへ向かうと『外宮にぎわい会議主催の関連事業 第15回 御塩道を歩く』の案内が置かれていた。7月27日に歩くようだ!
伊勢市二見生涯学習センターを背にすると、二見支所方向へ進んだ
二見総合支所の正面入口を過ぎるとその先には堅田神社の社叢がある。
左手にある「SANCO 二見総合支所前 バスのりば」を過ぎ、
国道42号を渡るとこの電信柱の先には堅田神社の入口が見える。
参道へ近づくと右手には定の札、鳥居は建てられてはいない。
参道を進むとお参り。なぜか、この「御塩みち マップ 絵地図」でのスタート地点は堅田神社となっている。
御塩殿で焼き固められた御塩(堅塩)の護送は御塩殿神社を出発するので、私は御塩殿神社をスタート地点に選択した。なにゆえ、堅田神社がスタート地点になっているのだろう。
その理由は、このいわれによると思われる。
小冊子「神宮広報シリーズ(三) 神宮の御塩」によると
一、御塩の起源と沿革
伊勢の神宮では、『祭祀集覧』に「朝夕供進の御饌(神様のお供え)は、黒米の蒸飯、二見浦の堅塩、天忍井の御水、是の三種なり」と記されているように、生命の源である米・塩・水は太古から大御神の大切なお供えとされてきました。
とりわけ、二見浦の御塩は、お祭りの際、お供えとして捧げられるだけでなく、お清めの塩としても使用されてきました。
この二見浦から御塩を供進したことは、第十一代垂仁天皇の御代、皇大神宮(内宮)ご鎮座当時に始まったと伝えられています。
倭姫命が天照大御神のおともをして諸国をめぐられ、北伊勢から南にお進みになり、驚(*)取の小浜から二見の浜に出られた時に、土地の神、佐見都日女(さみつひめ)がお迎えして、堅塩を奉ったところ、命はこれを愛でられ、その地に堅田の社を定められました。この社が二見町江にご鎮座の皇大神宮摂社、堅田(かただ)神社で、二見から御神に御塩を奉る起源となっています。(後略)
(*: 驚 は 鷲?)
堅田神社を後にして国道42号を横断するとそのまま直進した。途中で堅田神社の社叢を振り返るとパチリ。
さらに道を進むと突き当りを右折、すぐ左折。
二見夫婦岩表参道へ出るとこれらの道標には従わずに、右手に見える路地を海岸へ出た
「伊勢志摩国立公園 名勝 二見浦」の案内板が立派だ。
先ほどの二見夫婦岩表参道へ戻ると
二見浦海水浴場を通り過ぎ、さらに松林を抜けると
御塩殿神社へ向かった。
おかげバスの御塩殿神社前 バスのりばをパチリ。
そして、本日の御塩道歩きのスタート地点である御塩殿神社前に到着。
参道を進むといつもながらスバラシイ光景が広がっている。
【 20140720 の記録 】
- 毎日の清掃奉仕に感謝、河原神社(毛理神社を同座)
- 御塩道を歩くために伊勢市二見町へ向かう
→ 美しい箒目と新たな旅立ち、栄通神社および山之神社にて(伊勢市通町) - 『御塩みち マップ 絵地図』を片手に、御塩道
→ 御遷座造営中の二見神社(姫宮稲荷神社)(伊勢市二見町溝口) - 「皇太子同妃両殿下・愛子内親王殿下 御参拝臨時祭」の案内掲示(外宮)
- 外宮正宮の解体と土宮の御造営ほか
- 御造営が進められる月夜見宮
- 河崎天王祭(伊勢市河崎)2014