2017年08月11日(金) 10月には御遷座を迎える清野井庭神社(豊受大神宮摂社)を訪ねて (車、徒歩)
須原大社を後にすると次の目的地は10月に御遷座を迎える清野井庭神社(豊受大神宮摂社)に設定したが、その前に寄り道。その寄り道先は清野井庭神社の近く(歩いても2〜3分の距離)に鎮座する草奈伎神社および大間国生神社(ともに豊受大神宮 摂社)だった。
今回は特に大間国生神社の後方を確認するために・・・
そのこころは、伊勢古文書同好会のくずし字勉強会のテキスト「宮川夜話草」に記されている清盛堤が気になり、以前に投稿した記事を思い出しながらの訪問だった。すでにその痕跡は無いとのことだが、無いことを確認するために・・・
【参考】
- JR山田上口駅と『平清盛幕張松古蹟』の石碑 2012年08月11日
大間国生神社の後方には何も見つけることができず社叢を後にしたのだが、この石垣が堤の名残であればいいのにと勝手に思ってしまった。
寄り道を終えると本来の目的地である清野井田神社(豊受大神宮 摂社)へ移動した。先に草奈伎神社、大間国生神社での清掃を終えた下田さんがこちらで清掃されていた。
挨拶を交わしてからお参り。
今回は御造替となる殿舎は傷みがひどい。
朽ちるだけでなく一部の部材は欠落していた。
帰り際に、下田さんに挨拶すると台風による被害や社叢の生け垣の刈り込みなど、さらにはこちらのコンクリート製の柵の歪みが話題にのぼった。
今まであまり気にしていなかったが、言われてみるとかなり変形しているように思える。
木の根っ子が張り出し、この柵を道路側へ押し出そうとする力が加わっている様子だった。
来週か、再来週頃から御造替の作業が開始されるのだろうか?
こちらも楽しみだ。