2016年12月17日(土) やっと訪れることができた、神内神社(子安の宮)(南牟婁郡紀宝町神内) (車、徒歩)
南牟婁郡紀宝町神内に鎮座する神内神社、巨大な磐座を御神体としている。いつか訪れたいと思っていたが、やっと訪れることができた。丸い石を求めて七里御浜を訪れたのでその流れで・・・
住所「南牟婁郡紀宝町神内1001」を指定してカーナビにガイドを依頼すると迷うこと無くこちらから
さらにその先へ進むと
神内神社(子安の宮)にたどり着いた。道の駅パーク七里御浜から20分くらいだっただろうか。広い駐車場の片隅に車を駐めると
参道の入口へ進んだ。
鳥居の手前にはこのような説明板が立てられていた。
あとで紹介する割拝殿に置かれていたパンフレット『「いこら、まいろら、つれもていこら 神内(こうのうち)」
三重県紀宝町 名所・古跡マップ』から「神内神社」と「佐倉宗吾宮」について引用する。
③神内神社[こうのうちじんじゃ](子安の宮)
<♪神内名所の子安の宮は可愛い産子の守り神>
古くから子安の宮と呼ばれ、安産祈願の神社として、広く信奉を集めている。祭神は天照大神(あまてらすおおかみ)・天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)・瓊々杵尊(ににぎのみこと)・彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)・鵜草葺不会尊(うがやふきあえずのみこと)が祀られていて、御神体は高さ約100mの巨岩。明治39年神饌幣料供進社に指定されている。「神社及び寺院明細帳」に『当社の義は近石と申すところに逢初森(あいぞめのもり)というのがあり、そこに伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を天降らせ、一女三男を生み給う。この神を産土神社と崇め奉る、よってこの村の名を神皇地(こうのち)と称す。いつ頃よりか神内村(こうのうちむら)と言い伝う』とあり、『創立不詳』とある。2010年ビートたけし氏来社・収録、「たけしの教科書に載らない日本人の謎」で当社の全国放映や、宗教人類学者植島啓司氏の「神々の眠る熊野を歩く」(2009年)での評文、「日本の聖地ベスト100」(2012年)で10位にランクされたこと等が、地区民に衝撃を与えた。
鳥居をくぐると、自然石を我が子のように抱く「安産樹」と呼ばれるホルトの大木、「おきたま(魂)」と言われる、オガタマの巨木「神武天皇御社」「明治天皇」「佐倉宗吾宮」の石碑や夫婦杉等があり石段を登ると、拝殿、本殿へと続く。入口には安産御礼のつあて(よだれかけ)、磐座の鎮座するご本殿には白石が多数奉納されている。拝殿左には、蘇りの木(クスの大木)、こうもり(籠る)岩屋がうっそうとした原生林のなかにあり、県指定天然記念物の300種以上と言われる植物が繁茂し、樹木と岩や土が絡み合った神秘的空間である。
「佐倉宗吾宮」の石碑
千葉県から遠方の神社での建立で注目されている、「佐倉宗吾宮」石碑は、鳥居から少し入った右手岩屋の、神武天皇と明治天皇お祀所の右にある。佐倉宗吾は、下総国佐倉藩領印旛郡公津村の名主で、領主堀田正信の課した悪税・重税・新税に悩む
200カ村余の総代となって徳川4代将軍家綱に駕籠訴し、農民の要求は入れられたが、宗吾夫婦と男子四人は死刑に処せられた。(1653年)当時下総国と同様、この地域も重税や飢饉で苦しんでいて、「義挙の人」「百姓の神様」として「小さな祠」を祀り、重税の軽減を願ったのであろう。また当地では供養盆踊りに、「佐倉宗吾口説」が謳われ踊り讃えられている。祀り始めた神内の人達もまた義挙の人であったとも言えるだろう。
鳥居をくぐるとその左右には御神木と思わせる巨木が立ち並んでいる。引用した説明にあるように左手には石を抱き「安産樹」と称されるホルトの木、そして右手にはおきたま(魂)と言われるオガタマの巨木。
鳥居から数m先右手にある佐倉宗吾宮ほかには後でお参りすることとして参道を進むと
左手には夫婦杉がそびえている。
さらに右手には天然記念物 神内神社樹叢の石柱。
生命感が溢れる参道をさらに進むと突き当たりの左側には
川が流れ、
石階が続いている。
こちらが御手洗場なのだろう。こちらで心身を清めた。
また、参道の脇には手水石も置かれている。
川の流れから真っ直ぐに続く石階を登ると
子安の宮の扁額が掛かる割拝殿があり、その通路の左右には多数のつあて(よだれかけ)が奉納されている。安産の御礼として奉納されているそうだ。
拝殿の先へ進むとこちらでお参り。
御祭神は天照皇大神、天忍穂耳尊、・彦火瓊々杵尊・彦火火出見尊・鵜草葺不会尊とある。
巨大な磐座が御神体であり、本殿は無いが小さな祠が置かれている。
御神体を見上げるとこんな感じだ。
少し離れてもパチリ。
割拝殿へ戻るとこちらには立派な殿舎。
また、拝殿にてこちらの案内マップをいただいた。
1日コースで各名所・古跡を巡ることができそうなので、一度巡ってみたい。
拝殿を後にするとその左手へと続く階段の先には「蘇りの木」の看板が有り、その先にはクスノキの巨木が立っている。
裏側はこんな感じで、
近くにある木も魅力的である。
蘇りの木を後にして石階、参道を戻ると神武天皇祀所付近へ戻ってきた。参道を離れ「神武天皇御社」と刻された社号標の先へ進むと
こちらの立札の先
右方向に
佐倉宗吾宮の社号標が建ち、その奥には
大きな石が組み合わされた石の祠の下に祀られている。
また、その左手には神武天皇祀所、
明治天皇祀所がある。
参道入口まで戻ると石を抱く安産樹、ホルトの木を見つめた。
神社の脇の道を進むとその奥にはこのような棚田の風景が広がっていた。
今回は急いでいたため、神内神社の近くにある古神殿(ふるこどの)に立ち寄らなかった。次回はぜひとも訪れたい。