2014年06月07日(土) 内宮と遷御に向けて御造営が進められる風日祈宮 (徒歩)
いくつかの別宮を巡った後、猿田彦神社にお参りしてから神宮会館前の道路を歩いて宇治橋前へたどり着いた。
本記事を書くまでにかなりの日数が経過してしまったので、風日祈宮では6月10日に立柱祭と上棟祭が斎行された。私が訪れた日から三日後のことだった。本記事で紹介している風日祈宮ではまだ祭典は行われていなかった。あしからず。
久しぶりに内宮を訪れたので宮域を一巡した。まずは宇治橋前でパ〜チリ。内宮前も浦田の駐車場も満車だったのに参拝者の姿はそれほど多くない。もしかしたら、おはらい町通りやおかげ横丁に集中していたのだろうか?
内宮周辺の駐車場が有料化されてからどうも遠い存在になってしまった。前回はいつ訪れただろうか?(忘れてしまうほどだ。)鳥居前で軽く頭を下げると鳥居をくぐった。
宇治橋から五十鈴川の上流側、御手洗場がある方向をパチリ、
東詰の鳥居もパチリ。
五十鈴川を渡ると参道は右へ折れ、神苑が広がっている。
参道を外れるとほとんど人がいない神苑内の小径を進んだ。
緑一色だ。ここでは玉砂利を踏む音も聞こえない。
ひとりの世界を楽しんだ後、参道へ戻ると神鶏に呼び止められた。「はい、分かりました。一枚撮らせていただきます。」
火除橋を渡ると
右手にある手水舎で心身を清め、
第一鳥居をくぐった。
第一鳥居をくぐると右手には第一鳥居内祓所がある。
ここでは、皇霊祭遥拝や大祓などの際には神宮の神職による特別な拝礼方法「八度拝(八開手)」を目にすることができる。
【参考】
御手洗場へ向かうと水量が多く、流れは速かった。
まずは御手洗場の近くに祭られている瀧祭神にお参り。瀧祭神は、天照大御神への取り次ぎ役も担っているとされ、最初にお参りされるようだ。以前はこちらを訪れる参拝者を見かけることはほとんど無かったが、最近は待たないとお参りできないほどに参拝者が多くなった。
瀧祭神から参道を戻ると第二鳥居をくぐり、
神楽殿の角に設けられた神札授与所、
さらには神楽殿の御門を通り過ぎようと・・・、したところで
屋根を修繕している作業者を発見しパチリ。(お疲れ様です)
左手に参道から奥まった五丈殿を見ながら進むと
その先では、パワースポットとされてしまった四至神(お伊勢さん125社のうちの一社で、石神さん)に多くの人が集まり、手をかざしていた。(本当に何かを感じるのだろうか? 私には全く・・・)
その先でも別宮遥拝所の脇、荒祭宮への参道にて神宮杉を傷めつけている人たちの姿・・・。
そして、その人たちの頭上方向には御正宮が見えていた。
参道をさらに進むと
御正宮の石階下にある蕃塀の裏側には,、由貴大御饌の際、御贄調理の儀で鰒を調理する場所、御贄調舎がある。
そして、その建物の奥には、御贄調理の儀に際して豊受大御神が降臨するとされる神座が見える。
昨年に遷御の儀を終えてからこの奥、古殿地へはもう入れない。この神宮杉、ツートンだ。以前は参道の中央に配置されていたので、行き交う参拝者から表皮を守るために割った竹を編んだ覆いをまとっていた。その覆いが外された状態が根元に近い部分だ。
御正宮は石階下でないと撮影できないので、蕃塀を参加させてのパチリ。
御正宮(皇大神宮)にお参りの際、興玉神、宮比神および屋乃波比伎神をも遥拝した。興玉神、宮比神については神宮徴古館のジオラマでも確認できるし、昨年のお白石持行事でのお白石奉献の際に所在は確認できた。しかし、屋乃波比伎神については未だ所在をつかめていない。いつも神宮衛士に伺おうと思っているのだが、参拝を終えるとそのことも忘れた石階を下ってします。
今日も例に漏れず、石階を下って籾だね石の辺りまで来てからそのことを思い出した。
籾だね石付近から先ほどくぐった板垣南御門の方向をパチリ。
さらに参道を戻ると別宮遥拝所前に分岐に到着。ここは右で荒祭宮への参道へ入った。
先ほど言った「神宮杉を傷めつけている」光景がこちらだ。根元付近は触られまくってツルツルに光っている。(可愛そうだ)
すぐ近くにある御稲御倉には神様が居られるというのに、こちらにお参りする人を見たことがない。御稲御倉には御稲御倉神が祭られ、神宮神田で収穫された抜穂は外宮の忌火屋殿とこちらに奉納され、三節祭の際に御料として使用される。
そして、こちらは外幣殿、二世代前の御神宝類が保管される建物でこちらには神様はいない。
外幣殿を過ぎて左へ下る石階が続き、その先には荒祭宮の社殿が微かに見える。
石階を下るとその途中には次の石がある。これは「踏まぬ石」と呼ばれ、天から降ってきたとの節もある。
「踏まぬ石」を過ぎて石階を下り切るとすぐ目の前に石階がありその上に荒祭宮が祭られている。
幄社の中央でお参りしたい方々が長い列を作っていたので、私はその脇を素通りし、賽銭箱からはかなり遠い場所でお参り。
旧宮がなくなり、覆屋のみとなった古殿地と共にパチリ。
荒祭宮を後にすると四至神の方へ・・・。四至神の手前右手には次の建物が並んでいる。向かって左側が御酒殿で右側は由貴御倉だ。
こちらが由貴御倉。
かなり傷んでいる。
そして、こちらが御酒殿。御酒殿祭の際にはこちらで祭典が執り行われる。
【参考】
- 御酒殿祭(2012年12月)
- 御酒殿祭(2010年10月)
こちらもかなり傷んでいる。
四至神は多くの人に取り囲まれていたので人々の後ろで遥拝の後、忌火屋殿の前庭で一息。
神楽殿の左隣りにある御饌殿をパチリ。
風日祈宮へ向かおうと神札授与所前を左へ曲がろとすると
頭上に何かを感じた。
「あ、あああっ、・・・」
美味しそうな柑橘系の果物。名前は?だが、この光景は以前どこかで見たことがある。
そうだ、あれは私が好きな風宮(外宮)近くだった。
(2014年03月29日、 外宮の風宮付近にて)
【参考】
柑橘系の爽やかさを想像しながら風日祈宮橋へ向かい
渡ると
島路川の下流川をパチリ。この先で五十鈴川と合流し、御手洗場へと流れている。
橋を渡り終えると
やっと今日の目的地である風日祈宮に到着。
この時点では三日後に立柱祭と上棟祭が斎行される新御敷地を確認した。
そう言えば、風日祈宮の新御敷地にある覆屋の姿を見るのは初めてだった。
お参りを終えて風日祈宮橋を渡り返すといつも目に入るのがこの節くん。ここには絶対何かが息づいていると思う。いつも話しかけられた感覚になり、立ち止まってしまう。さて、この木はどこにあるでしょうか?
風日祈宮橋を背にして神札授与所付近へ戻ると帰りの参道へ進んだ。
神楽殿の左側に続く帰り道を進むと真新しい屋根の御厩が見えた。
近づくと修繕の作業中だった。
今は文明の利器が活躍してくれるので、本質を外さなければ作業も楽になったことだろう。
参集殿の脇を通り過ぎ
参道から離れた場所を進むと
この先には宇治橋東詰の衛士見張所が見える。
衛士見張所で右折して道なりに進むと突き当り、石階の上が神宮司庁だ。
お伊勢さん125社である子安神社、大山祇神社にお参りするためには、その途中で右へ。
こちらが敷地の奥側に祭られている大山祗神社
そして、こちらが子安神社。
以上で、宮域内でのお伊勢さん125社参りは終了となる。
宇治橋を渡って・・・
擬宝珠の止め金具に魅せられた。
宇治橋を渡るとお伊勢さん125社内宮めぐりのために、タクシー待機場付近へ向かった。
【 20140607 の記録 】
遷御に向けて御造営が進められる月夜見宮
遷御に向けて御造営が進められる倭姫宮、ほか
遷御に向けて御造営が進められる月讀宮
牛谷坂、宇治惣門跡ほか(古市街道)
平成の御遷宮が開始された猿田彦神社
内宮と遷御に向けて御造営が進められる風日祈宮
御稲御倉、この部位の名前、役割は?
忌火屋殿の煙を抜く構造
お伊勢さん125社、饗土橋姫神社ほか
寂れた合格神社(伊勢市宇治今在家町)
第62回神宮式年遷宮 お白石持行事の名残ではなく、今後のために(伊勢市桜木町)
伊勢市立伊勢古市参宮街道資料館