2015年11月14日(土) 遷御の翌朝に斎行された大御饌の儀(神服織機殿神社および同社末社八所) (車、徒歩)
去る10月4日、神御衣(絹)奉織作業を拝観するために神服織機殿神社のを訪れた際、社殿に架けられている簀屋根を目にした。
【参考】
- 神御衣(和妙・荒妙)の奉織作業(神服織機殿神社、神麻続機殿神社) 2015年10月04日
その時から御造替が開始され、先週に訪れた際にはすでに御造替が完了していた。毎週のように訪れていたためその変化を体感することができありがたく思っていた。前回の訪問から約一週間、すでに遷御を終えられただろう。新しい社殿にてお参りするために神服織機殿神社を訪れた。
参道入口の鳥居前に立つとなぜかいつもと異なる雰囲気を感じた。「雨だから?、いや違う!」
鳥居の前に設置されている車止めが取り外されていた。
恐る恐る参道を進むと参道脇には神宮司廳の名前が記されたワンボックスカーも停っていた。
さらに進むと祓所には神職の姿が望めた。車の近くにいた方に状況を確認すると「昨日に遷御を終えて、今朝は大御饌・・・」とのことだった。なんという偶然、いや必然だったのかも知れない。今朝は激しい雨が降っていたため、いつもより一時間ほど遅く家を出たのだった。(一時間早く到着していたら、この場に立ち会うことはできなかっただろう。)
修祓が終わり、参進が開始されるところだった。
雨儀のため油単が掛けられた辛櫃を先頭に神職(3名)、さらに奉拝者が続いた。
辛櫃と神職は神服織機殿神社の前まで、奉拝者は鳥居の脇に建てられた奉拝席(テント)へと移動した。
神服織機殿神社の前には遷御の儀のために準備された雨儀廊としてのテントが張られていた。
傘をたたんでテントの下へ入ると献饌となった。
一方で、先ほど修祓が執り行われた祓所では案等が片付けられた。
こちらは八尋殿の前面、鳥居脇に設置されていた奉拝席。奉拝者は3名だった。
神服織機殿神社の前には三方向(西向き、北向き、東向き)に案が準備され
それぞれ神饌が準備されていった。
こちらは神服織機殿神社末社八所である「雅産霊」「笛宮」に。
神服織機殿神社とその両脇にまつられている末社八所のうちの二所「春日」「八幡」にも、
こちらは「四宮」、「奏社」、「寅社」、「石神」のために。
献饌を終えると
祝詞が奏上された。(低頭していて頃合いを見計らって頭を上げるとしばらくして奏上が終了した。しかし、さらに二回(?)短めの祝詞が奏上された。三方向分?)
祝詞奏上が終了すると
八度拝による拝礼が続いた。
奉拝者も共に。
八度拝を終えると撤饌となった。
案の足元に捧げられていた玉串が回収されるとともに
神饌が案の上から撤っされた。
すべてのものは
このワンボックスへ。
撤饌が終了すると
瑞垣御門に掛けられていた御幌が取り外され
御門の扉が閉じられた。
出先での祭典では神職も御幌や茣蓙の後片付けに携わるとは素晴らしい。
以上すべてを終えると
神職は退下となり
祓所での一揖により大御饌の儀は終了となった。
祭典の片付けが終了したことを見計らい、遷御の儀、大御饌の儀を終えた神服織機殿神社および神服織機殿神社末社八所に無心でお参りした。(ありがたいことだ。)
お参りを終えてから、神服織機殿神社と仮殿となっていた八尋殿とを結ぶ雨儀廊を記録に残しておくことにした。パチリ、パチリ・・・
昨日斎行された遷御の儀を想像しつつ神服織機殿神社を後にした。
【参考 神服織機殿神社ほかの御造替・・・】
- 御造営(大修繕?)の準備が開始された神服織機殿神社(皇大神宮所管社) 2015年10月04日
- 昨日に仮遷座を終えた神服織機殿神社、同末社八所の解体(皇大神宮所管社) 2015年10月24日
- 御造替が進められる神服織機殿神社(皇大神宮所管社)ほか 2015年10月25日
- 御造替が進められる神服織機殿神社、同末社八所(皇大神宮所管社)その2 2015年10月31日
- 御造替が進められる神服織機殿神社、同末社八所(皇大神宮所管社)その3 2015年11月03日
- 御造替が完了した神服織機殿神社、同末社八所(皇大神宮所管社) 2015年11月07日
- やはり御遷座はまだだった神服織機殿神社、同社末社八所(皇大神宮所管社) 2015年11月08日
【 20151114 の記録 】
- 遷御の翌朝に斎行された大御饌の儀(神服織機殿神社および同社末社八所)
- 御造替が進められる神麻続機殿神社(皇大神宮所管社)
- 紅葉したイチョウ(王中島公民館)