2016年03月05日(土) 国指定史跡 長野氏城跡ほかの散策(津市美里町桂畑、北長野) (車、徒歩)
美里ふるさと資料館にて開催されている『松原豊写真展「伊勢・磯部」〜伊勢神宮とは何か〜より』を体感するために津市美里町(旧美里村)を訪れた。
写真展も目的だったのだが、実は「美里ふるさと資料館」周辺の散策についても以前から興味をもっていた。それは以前、次のハイキングに参加した時からだった。
【参考】 2013年10月06日 の記録
- 伊勢本街道 JR伊勢奥津駅〜正念寺(津市歴史健康ウォーク 美杉コース)
- 伊勢本街道 正念寺〜(飼坂峠)〜上多気常夜燈(津市歴史健康ウォーク 美杉コース)
- 上多気常夜燈〜(北畠神社)〜多気宿 町屋(津市歴史健康ウォーク 美杉コース)
- 伊勢本街道 多気宿 町屋〜道の駅「美杉」(津市歴史健康ウォーク 美杉コース)
美杉コースの翌月に美里コースのウォークが開催されたのだが参加できずそのままになっていた。
【参考】
- 津市 平成25年度 歴史健康ウオーク 美里コース・マップ (PDFファイル)
それが今回、松原さんに導かれる形で素晴らしい美里散策を実現でき、さらには当日の予定変更となる事態も発生し予想以上に充実感を味わうことになった。
国道163号から旧道へ入るとこの道標に到着。この前にあるトイレを借りたところ、その壁面に
松原さんの写真展の案内が掲示されていた。
坂道を進むとその先には美里ふるさと資料館、その隣に長野小学校が建っている。
資料館の扉を開けて、挨拶すると女性が飛び出してきて招き入れてくれた。松原さんの写真展を拝見するために訪れ、ついでにこの周辺を散策すると伝えると「長野城跡」を訪れることを強く薦められた。登り口へのルートまで丁寧に・・・
先に紹介した美杉コース・マップでは西の城、中の城、東の城を巡るルートになっているが、国の史跡として指定されている「長野氏城跡」は「長野城跡」、「西の城跡」、「中の城跡」、「東の城跡」で構成されていた。
【参考】
「西の城跡」、「中の城跡」、「東の城跡」は生活の城で資料館の近くにあるのだが、「長野城跡」は戦うための山城だったので資料館から登り口まで歩くと一時間以上かかるだろう。先ほどの女性に教えていただいたように、桂畑文化センターの先の林道を走り、登り口から歩くことにした。(送電線の鉄塔工事に関連して登り口から長野城跡まで林道が敷設されているが、道が荒れているとのことだったが、実際に歩いたところ四輪駆動車でなくても車を走らせることができた。ただし、山城を体感するには登り口から歩くことは必要だ。実際には山道を歩けるのならなおさらだ。)
こちらの資料館には次のパンフレットが準備されていたので、こちらも携えて長野城跡の登り口へと向かった。
美里ふるさと資料館を出て、国道163号の信号を渡ってから振り返ってパチリ。
ここから道なりに・・・
くねくねと進むと前方に長野城跡が望める。(鉄塔が立っている山)
それは桂畑橋の近くだ。橋を渡ると左手にあるのが
桂畑文化センター。
その前に美里ガイドマップが立っていたので、マップ越しにも長野城跡をパチリ。
これから先は林道 瀬戸線(瀬戸林道)へと向かう。
右手に立つ看板を確認すると注意深く林道を走った。
この付近にたどり着くと
直進する林道 瀬戸線から別れるように高狭ケ野線が右手方向へと続いている。(長野城跡へは2.4km)
分岐にある空き地に車を駐めると林道 高狭ケ野線を歩き始めた。ほどなくこの看板。
・> ・> ・>
林道を歩いていると下の方で石が転がる音が・・・。視線を下げると「何?」
ニホンカモシカだ! しばらくじっと見つめ合っていたが、カモシカは興味を無くしたのだろう。森の中へと消えていった。
その後、どんどん高度を上げていった。
空は霞んでいたため、鉄塔をクッキリと見ることはできなかった。
ここまでは滑り止めの横筋が入ったコンクリート舗装路が続いていたが、ここからは地道となった。(轍だらけで普通車では走行が難しいと聞いていたが、歩いたところ轍は全くなく普通車での問題なく走行できる状態だった。ただし、山城を体感するには歩くべき!)
地道に切り替わるとすぐ近くにこの道標。あと1.4kmなので、1km歩いたことになる。
道路脇の斜面は崩れやすい箇所も多く、
崩れた土砂が道路脇へと寄せられていた。
見上げてパチリ。
さらに、くねくね・・・
種類の異なる鉄塔があちらにも、
あちらにも・・・
頂上が近づいてくると振り返る方向に
風車が望めた。
風車を背にしてさらに進むと簡易トイレが立ち、
その向かい側には、「長野城跡 170m」の道標がある。
こんな案内板を見ながらさらに進むと
城跡へと・・・
頂上を越えて向こう側へくだるとその前方には
送電線の鉄塔を見上げた。
左方向には「史跡 長野氏城跡 長野城跡」の石碑。
その隣には説明板が建っていた。
石碑を後にして、この道標の「中野方面」へ向かうと
少し下った先に建っていたのがこの鉄塔。
鉄塔を真下から見上げることなんてなかなか無い。首が痛くなるほど見上げた。
鉄塔は好きだ。送電線を追っかけたいほど・・・
鉄塔を後にすると簡易トイレまで戻った。先ほどの資料に
城跡から尾根伝いに北西約300m離れた所には「馬場」と呼ばれる平坦地があり、その一角には湧水も出ています。
と記されていたので、コンパスで方位を調べると先ほど歩いた道から木立の中へと続く踏み跡の先にあるようだった。
踏み跡をたどるとこんな風景が広がる場所にたどり着いた。スギの木は立っているが平坦地が広がっていた。
湧水を探したが、水の流れを見つけることはできなかった。ただし、一部だけ苔が張り付く場所があり、そこには流れの跡が残されていた。この場所が湧水の場所(?)、定かではない。
自分自身では湧水を見つけた達成感を得て、山を下ることにした。
登ってきた道を下るだけなので、昼食の「おにぎらず」を頬張りながらの歩きとなった。
風車を再確認しながら、
さらには登りではあまり意識しなかったこんな場面を気にしながら・・・
ここも。自然の力には逆らえない。
昼食と下山を終えると車に乗り込み、瀬戸林道を戻った。行きに林道の入口付近で見かけたウメの木をパチリ。
桂畑文化センター前まで戻ると美里ガイドマップを見ながら歩いた道を振り返ると共に
ウロウロした長野城跡を遠望した。
「下山したら報告して下さい」と言われていたので
津市立長野小学校の隣にある美里ふるさと資料館へ一度引き返すと、長野城跡からの下山を報告するとともに周辺の散策にでることを告げた。
資料館を後にして最初に向かったのは長野神社方向。最初に見かけた道標に記された経ヶ峰登山口方向へ坂道を進むと
こんな立派な石垣を発見!
「西の城跡」、「中の城跡」、「東の城跡」は東山方向なのだが、長野神社は直進。長野神社でお参りしてからこの場所まで戻った。
道なりに直進すると前方には長野神社の社叢が望める。
長野神社にお参り。(長野神社については別の記事で紹介する。)
長野神社にお参りしてからさきほどの道標まで坂を下るとこんな風景や
こんな風景、
さらにはこんな風景を見ることができた。
先の道標で「東山」方向へ進むとこんな分岐。(結果的には右側の細い坂道を進めば良かったのだが)私はここを直進してしまった。(遠回りしただけで特に支障はないが、)
遠回りしてたどり着いたのは、先ほどの細い坂道を上り詰めた場所だった。左手に墓地を見ながら地道を進むと
ほどなく、この場にたどり着いた。
西の城跡への案内板があり、微かな踏み跡をたどると
頂上にたどり着いた。
ここが長野氏城(西の城)跡。
見上げるとこんな感じで、周囲の視界は開けていない。
西の城跡から中の城跡までは一度下るので、下ってから振り返ると西の城跡を見上げてパチリ。
そしてほどなくたどり着いたのは長野氏城(中の城)跡への分岐。ここは四方向に山道が分かれ、左の坂道は東の城跡への分岐へと続き、直進で中の城跡、右側へ進めば町へと下る道。
分岐にある案内板で行く先を確認するとこの方向に進み、中の城跡を目指した。
地面に設置された案内板の近くには、こんな案内板も掲げられていた。
こんなルートを黙々と進むと
凹な部分に「堀切跡」の看板があったので、
横方向からパチリ。度会町にある一之瀬城址のことが思い出された。
【参考】
- 宮川流域案内人とともに一之瀬川・上流域 能見坂峠巡りツアー 2015年10月03日
堀切跡を過ぎると続いては凸の部分が現れる。右方向へ巻いてたどり着いたのが
こちら、長野氏城(中の城)跡だった。
近くの木にはこんな山頂標のような案内板が掛けられていた。
先ほどの凸な部分は土塁跡なのだった。凹凸の繰り返し・・・。
中の城跡を背にして先ほどの分岐まで戻るとこんな雰囲気の坂道をくだった。最後の東の城跡を目指して。
今までとは雰囲気の異なる山道を進むと滑りやすそうな丸太の橋が一箇所、二箇所。足元に注意しながら歩を進めると
東の城跡への分岐にたどり着いた。「←順路」の案内に従うと
さらにこんな道標。横たわっていたが行くべき方向は明らかだった。
ふかふかな落ち葉のじゅうたんを
楽しみながら坂を上ると
しばらく平坦路が続いた。
そしてたどり着いたのが東の城跡。これで、長野氏城跡(「長野城跡」、「西の城跡」、「中の城跡」、「東の城跡」)を踏んだことになる。
なかなか視界は開けていないが、木々の間から少しだけ町並みを見ることができた。
先ほどの道標が横たわっていた分岐まで戻るとそこには立派な道標が建っていた。その奥には切通し。さらに、左手には石垣が・・・。ところが、東の城跡から戻る途中でマムシを踏みつけそうになった(まさに、本日は啓蟄)ので、早くこの場を離れたい気持ちが勝ってしまった。
そんな理由で、国道へのルートを急いだ。
->->->
山道にこんな綺麗な石。
視界が明るくなるとそこは
国道163号に立つ道標付近だった。「長野宿まで0.4km。」
道標に従い、伊賀街道 長野宿方向へ進むと旧道との分岐付近に
次の場所がある。マップに、看板、木標、石標。
国道163号の長野新橋を渡るとその先、右手方向に架かる前田橋(?)を渡り、旧道へと向かった。
この辺りの長野川をパチリ。
橋を渡って旧道(伊賀街道)へ合流するとそこにはバスのりばがある。
美里ふるさと資料館への分岐へと長野宿を歩くと
左手に川へと通じる小径を見つけた。思わず駆け下りると
しばらく川の流れを眺めていた。下流方向に
上流方向。
伊賀街道へ戻ると
こちらがふるさと資料館への分岐だが、曲がらずに直進。
北長野自治会所の前に
この地図があり、
延焼を防ぐために設置された火除け土手の位置が示されていた。ただし、今は当時の面影はほとんど残されていない。(ふるさと資料館には写真とスケッチで当時を知ることができる。別の記事で紹介)
前方に
地図の現在地から火除け土手跡の方向へ進むとそこには郵便局がある。左側の土手は郵便局に変わり、右側の土手は高さをかなり削られていた。
数段の石垣が残された右側の土手跡は小公園となり、その片隅には石祠などがまつられていた。
火除け土手跡からさらに進むと左手の路地の先に黄色い手すりの橋を見かけた。誘われるように進むと小さな祠、その隣にも・・・
橋を渡ってから振り向いてパチリ。
橋の上からも。
そろそろ散策を終える時間となった。北長野 バスのりばの先を右へ折れると
小学校の下へと続く小径へ入った。
懐かしい雰囲気を楽しみながら、本日三回目の訪問となる「美里ふるさと資料館」へ戻った。
【 20160305 の記録 】
- 国指定史跡 長野氏城跡ほかの散策(津市美里町桂畑、北長野)
→ 長野神社(津市美里町北長野)
→ 長野氏城跡ほか散策の復習(美里ふるさと資料館) - 松原豊写真展「伊勢・磯部」〜伊勢神宮とは何か〜より(美里ふるさと資料館)