2014年01月04日(土) 東海道 四日市宿から伊勢街道 鈴鹿宿(日永の追分〜神戸の見附跡) (電車、徒歩)
東海道 四日市宿から伊勢街道 鈴鹿宿(近鉄四日市駅~日永の追分) の続き。追分から東海道を離れると伊勢街道を歩き本日のふたつ目の目的地である神戸の見附跡へ向かった。
なお、今回の記録は三分割している。この記録で参考にしたマップ類は次の通り。
【参考】 みえ歴史街道 ウォーキングマップ
- 伊勢街道 (PDF)
- みえ歴史街道 ウォーキングマップ
【参考】 てくてくまっぷ 伊勢-1
なお、この記録の写真見出しにある()内の数値は てくてくまっぷ伊勢-1に記されている距離を示す。
日永の追分を後にすると
右手に蔵が見え、
その先、左手には多数の垂れ幕。海星中学校・海星高等学校だ。
ほどなく高架に到着。
この案内板によると、左側が国道23号、右側が国道1号。高架の上で国道が分かれている?
高架をくぐり、さらに進むと
左手に道標が四基。
正面からパチリ。
この方向への道は新大治田道。
道標とその前にあるバスのりばとをパチリ。
大治田バスのりばを後にして工場街を進むと南大治田バスのりば。
寄り道する場所もないので、さらに黙々と歩くと次の分岐に到着。
ここは右だ。
右へ進むと道路は突き当り。
内部川の左岸堤防へ上ると下流側をパチリ。
また、先ほど歩いて来た道の方向をパチリ。
最後にこれから進む方向をパチリ。しかし、ここには導水管?があるのみで、橋は架かっていない。
あそこへ行きたいのに・・・。
ここからは左手(下流側)に架かる河原田橋へ迂回。
河原田橋からこれから向かう先を遠望、パチリ。
てくてくマップには「横断注意」とあるが、このマップが作成された時にはこの歩道はなかったのだろうか? それにしてはこの歩行者専用の橋もかなり老朽化しているようだが・・・。
河原田橋を渡り終えると右方向。
先ほどの導水管(?)の袂まで堤防道路を進むと、又兵衛橋へと下る階段がある。
下って渡ってから振り返って親柱をパチリ。「またべゑはし」と見える。
民家の間を進むと
右手には采女道。(後で、この先にある常夜燈へ寄り道した。)
その先すぐのところ左手にたは内堀道。
さらに直進方向には距離標が立っている。
距離標を確認すると先ほど遠望した采女道へ戻り、先へ進んだ。橋の手前左側には
常夜燈の奥に山神、庚申が祭られ、
その左奥にはこの常夜燈が建てられている。
「天保十四年・・・」
街道へ戻ると、四日市市消防団 河原田分団、
さらには、耐震型緊急用貯水槽、
河原田小学校前を通り過ぎる。
すると、右手に鳥居。ここから河原田神社の参道だ。実は、予めマップで確認したところ河原田神社は街道から離れた位置にあったので立ち寄る予定には入れていなかった。しかし、この光景を見てしまったら私の寄り道虫が勝手に動き出した。鳥居をくぐり
石階を上ると
「河原田神社」の社標の先に境内への石階が見えた。
石階の下には鳥居があり、その隣には忘歸處の由来に関する説明板が立っていた。
かなりの段数だ。
一歩一歩踏みしめながら上るとこんな石を発見した。石を切り出した跡?
石階を上り切ると
境内の空間が広がる。
パ〜〜チリ。
河原田神社にお参り。
社務所の脇、鳥居の右側には階段と忘帰處への案内板がある。
階段を上るとほどなくこの場所に到着。
ここは展望スペースとなっている。
パ〜チリ。木の枝が多いし、空が霞んでいたので遠くは見えなかった。
ズームでもこんな感じ。
社務所先へ戻るとそこにあった鳥居をくぐり、少し坂を下った。そこの鳥居の扁額には「三神山 毘沙門天」、お参り。
河原田神社の拝殿前まで戻るとあの段数が多い急な階段を下った。駆け下りるのはちょっと危険だ。でも、近隣の高校の野球部はこの階段を何往復もするそうだ。(石階を上る前に近所のおじさんとの立ち話で伺った。)何か、青春ドラマみたいだ。
そんなことを考えつつも一歩一歩慎重に下るとその先に見えたのはこの光景。鳥居の上は石だらけ、しかもよく見るとKIRINビールの王冠まで乗っている。
予定外の寄り道でかなり長居してしまった。
それなのにさらにこの後、庚申塔八基を探して街道とこの場を往復してしまった。これを読まれた方が迷わないように解説。みえ歴史街道ウォーキングマップの(2)河原田町ページには
(4)庚申塔八基は、河原田神社の参道を横切る川の堤防を少し民家の方へ下りた場所にある。
とある。
私は一旦、街道へ戻ってからこの場所を探してしまい、ウロウロした。河原田神社の石階を下り、橋を渡ったら右へ、するとこの場所だ。まったく迷うことはない。
堤防道路から左下を覗くと庚申塔が並んでいる。
少し先にある細い道を下ると庚申塔の正面。パ〜チリ。
堤防道路に戻ってもパ〜チリ。左へ下れば街道へ出られる。右へ進めば先ほどの河原田神社の参道で街道へ戻れる。とにかく先へ進みたい人は左、街道をとにかく踏みたい人は右。
街道へ戻ると道なりに進み
県道と交差。
後で分かったことだがこの先に横断歩道があるそうだ。そんなことも知らずに行き交う車に注意しながら横断。横断してから進行方向をパチリ。県道から左へ分かれる細い道が伊勢街道。
分かれた県道がを右に見ながら街道を進むと
JR関西本線 河原田踏切。
踏切を渡り右手方向、線路沿いに進むとその先には県道の高架下にトンネルが見える。
トンネルを抜けてから振り返ってパチリ。そこには高岡神社の社標、さらに線路側には鳥居が見える。さすがに寄り道の繰り返しで時間が押していたのでここでは高岡神社へのお参りを断念。
ショックを感じながら歩き始めたらこの常夜燈を見落とすところだった。が、なぜか振り向いた時に常夜燈を発見!
この笠石はすごいボリューム感がある。
振り向いてこの周辺をパ〜チリ。左に常夜燈、右には先ほどくぐったトンネルとその右側に高岡神社の社標が見える。
鈴鹿川左岸堤防へ合流すると前方に見える橋を目指す。
この橋は
鈴鹿川に架かる高岡橋。
突然、背面ではJR関西本線が走り去った。
嘉永6年にはこの上流(右)側に無銭渡しの木橋が架けられたそうだが、今は無いため高岡橋で鈴鹿川を渡った。
橋を渡り終えると堤防道路を右折。公園を左手に見ながらさらに堤防を進むと
常夜燈がある坂道を下る。
常夜燈には「文化四歳 丁卯正月」とあり、この前には後で掛けられた石階がある。
常夜燈の脇から坂道を下ると
街道らしい雰囲気に・・・、
みえ歴史街道ウォーキングマップによると、この付近は
古代条里制の面影が残る畦道で、一直線に通っている。
とある。
少し進んでから振り向いてパチリ。少し曲がっている?
いや、この先家並みが途切れると視界が全開となり、その先は一直線だ。
広大な田んぼの右手には鈴鹿の山並みが・・・
目いっぱいのズーム。山名は不明だが、谷筋には雪が積もっていた。
広大な田んぼを後にして家並みが見え始めると遠くに常夜燈が見える。
こちらだ。
裏側からもパチリ。笠石の一部が破損していた。そして、常夜燈の奥に見えるのは
鈴鹿市立河曲保育所。
保育所前から道なりに進むとこの場所に到着。道路は左へカーブ。
その先には常盤橋があり、
橋を渡った右手には広場があり、
「三重県指定文化財 史跡 神戸の見付」の説明板が建っている。
広場の脇から続いているのがこの石垣、街道の左右に積まれている。ここが神戸の見附跡。
こちらは、進行方向左手にある石垣をで、隣に阿自賀神社の社標。
社標の裏側からもパチリ。
先ほどの説明板には
・・、両側の石垣には木戸の柵を支えた溝が今も残っている。
と記されていたので、その溝を探したが見当たらず、公園側の石垣の上に上ってみた。(草を踏み倒したトレースが残っていたので、私以外にもこの上に立った人がいたのだろう。)しかし、その痕跡は???
上から駄目なら・・・、とにかく石垣を隅から根気よく確認すると「あった。あった。」「でも、こんなに幅が狭いの?」、その溝は幅が2cmもない狭いものだった。木戸の柵を支えたとあったので幅が5cmはあるとの先入観から簡単には探せないでいたのだ。「だって、人間だもの。」
そして見つけた溝はこれらだ。進行方向に対して左側の石垣の下部分、
そして、同上部分。
こちらは進行方向に対して右側の石垣の下部分、
これが同上部分。
少し手間取ってしまったが、モヤモヤ感を残さずに済んで良かった。
ここからは本日の最終目的地である近鉄白子駅を目指すのみ、最後の記録へ。
【 20140104 の記録 】
- 東海道 四日市宿から伊勢街道 鈴鹿宿(近鉄四日市駅~日永の追分)
- 東海道 四日市宿から伊勢街道 鈴鹿宿(日永の追分〜神戸の見附跡)
- 伊勢街道 鈴鹿宿から河芸コース(神戸の見附跡〜近鉄白子駅)