2014年11月08日(土) 初めて拝観した所管社の遷宮諸祭儀(瀧原宮所管社 若宮神社、長由介神社ほか) (徒歩、車)
第62回神宮式年遷宮は、昨年に執り行われた内宮および外宮の各正宮での御遷宮を皮切りに別宮の御遷宮が着々と進められている。来年の3月に風宮が遷御を終えると十四の別宮すべての御遷宮が終わる。
しかし、それで式年遷宮が終了するわけではない。伊勢の神宮(お伊勢さん)には125の宮社があり、そのうちの16宮が御遷宮を終えたに過ぎないのだ。(実際には宇治橋の架け替えに際して饗土橋姫神社は造替されているし、瀧祭神や下御井神社も新しくなっているので16+α)その後は、摂社・末社・所管社の大修繕、造替が執り行わ、その期間は7年とも10年とも聞くが定かではない。(それは、私が知らないだけ)とにかく、これからまだまだ神宮式年遷宮は続く。
午前中、瀧原宮および瀧原竝宮での遷宮諸祭儀 奉幣の儀を拝観した後、所管社の遷宮諸祭儀が執り行われるとことを初めて知った。
お伊勢さん125社を巡っている私にとって摂社・末社・所管社の御遷宮は正宮以上にワクワク感を得られるもの。なかなかその機会に巡りあうことは無いだろうとほぼ諦めかけていたところ、こんなに早く実現するとは・・・。
早めの昼食を終えて瀧原宮へ戻ってきた。
鳥居をくぐり参道を進むと宿衛屋の先にある修祓所を確認。
先ほどに加え、修祓のための大麻と御塩が準備されていた。
まだ、祭典が開催される雰囲気はまったく感じられなかったためこれから遷宮諸祭儀が執り行われる瀧原宮の所管社である若宮神社と長由介神社(川島神社を同座)にお参りすることにした。
古殿地の前を過ぎるとその東側(向かって右)の隅に
造替された御船倉の隣に若宮神社、その向かい参道側に長由介神社が鎮座している。若宮神社は南向き、長由介神社は西を向いている。
こちらが若宮神社。
若宮神社は瀧原竝宮の新宮と隣接している。
こちらが瀧原竝宮の新宮。
さらにこちらが長由介神社、右側に見えるのは参道に設置されている雨儀郎だ。
参道から若宮神社方向をパチリ。
いつから祭典が始まるのか分からなかったのだが何の不安もなく、時を過ごした。
御遷宮を終えた瀧原竝宮と瀧原宮、
瀧原竝宮と
瀧原宮。
これは長由介神社の新しい社殿の前からのパチリ。
この右側上方、石階の上には若宮神社の新しい社殿が建ち、
その石階下には西向きに長由介神社の新しい社殿が建っている。
しばらくするとひとりの神職が若宮神社の新しい社殿へと向かい、
祭典の準備を始めたのだろうか?
雨儀廊を戻り現在の社殿を確認すると
そちらにも動きがあった。
【遷宮諸祭儀 御飾(若宮神社)】
しばらくすると報鼓が鳴らされて参進が始まった。
瀧原宮の旧宮への雨儀廊へ折れると
途中から右方向へ進んだ。
若宮神社の前へ着(著)くと神宮諸祭儀が開始された。
(祭儀の後で確認したところ、本諸祭儀は御飾だった。)
【御飾】
大宮司・少宮司、禰宜・権禰宜・宮掌各二名が奉仕します。まず御塩の清めを受けて本殿に進み、奉遷(ほうせん)用具、御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)を殿内に伝進して出御(しゅつぎょ)の準備をし、八度拝を行います。
次いで新宮に移り、殿内に御幌、御壁代(おんかべしろ)などを奉飾(ほうしょく)して、御装束神宝をお納めし、入御(じゅぎゅ)の準備が整えば大宮司・少宮司これを奉検(ほうけん)し、遷御の用意を終えます。
ここの引用した解説は神宮の正宮での次第であるため、格が異なる所管社では奉仕者に大宮司や少宮司は含まれず、衣装も異なるし、省略されている部分あるようだった。
開扉の後、出御の準備が進められた。(ようだった)
その後、八度拝。
八度拝を終えると現在の社を後にして
新宮へと移動した。
瀧原宮の右手(東側)の高台に建てられた若宮神社の新しい社殿では入御の準備が進められた。
(ようだった。) 何とかこんな感じで遠望することはできたが詳細は?
御飾を終えると退下となった。
若宮神社での遷宮諸祭儀 御飾が終了し、この後にどのような祭儀がいつから始まるのか?が分からなかったが、しばらくこの場で待機した。
私が古殿地付近に立っていると多量の榊を手にした神宮職員が私の目の前から若宮神社へと向かった。
鳥居に掛けられた榊を取り替えると
続いて、御垣の御門に掛けられた榊が取り替えられた。お伊勢さん125社を巡り5年ほど経過するが、こんな光景を目の当たりにするのは初めての経験だった。
【遷宮諸祭儀 洗浄(長由介神社(川島神社を同座))】
この場でじっと待機していると遠くから報鼓が聞こえた。しばらくすると修祓所にて修祓を受けた奉仕員の列が近づいてきた。予想以上に小規模だった。神職が二名と辛櫃(担ぎ手二名)のみだった。
私の目の前を神職一名と辛櫃が通り過ぎ、
雨儀廊を先へと進んだ。
もうひとりの神職は長由介神社の鳥居をくぐると
奉拝した。
奉拝を終えた神職は
辛櫃の後を追って
長由介神社の新しい社殿へと向かった。
神職二名が長由介神社の前に揃うと遷宮諸祭儀が開始された。
こちらも後で確認したところ 洗浄 であった。
【洗清】
神殿の竣功にともない、新宮を洗い清める儀式です。まず新殿に仮御幌(みとばり)をおかけして、禰宜が殿内の諸具や大床(おおゆか)・殿内をふき清め、権禰宜が大床と御階(ぎょかい)を洗い清めます。
仮御幌をかけること無く祭儀は続けられた。
御錠を解くと
取り外され
開扉となった。ぼんやりとではあるが御船代の姿を望むことができた。
この後、洗浄の所作が執り行われたのだろう。その所作を確認することができないまま閉扉となった。
以上で長由介神社の遷宮諸祭儀 洗浄は終了となり退下となった。と思ったのだが
【遷宮諸祭儀 杵築祭(長由介神社(川島神社を同座))】
参道を戻った神職は再び
長由介神社の現社殿へ戻ると八度拝。前方から失礼してパチリ。神職は真摯な姿は心を打たれる。
洗浄に続き、杵築祭が斎行された。
【杵築祭】
新宮の竣工を祝い、新殿の御柱の根本をつき固めるお祭りです。禰宜以下が御塩(みしお)の清めを受けて本殿に進み、拝礼ののち、新殿の瑞垣御門前で白杖(びゃくじょう)をとり、御床下の柱根を三度づつ杵築きながら三周してつき納め、式を終えます。
現社殿での奉拝を終えると
再び、新しい社殿へと向かった。
杵築祭が開始されると先の説明にあるように「拝礼ののち」、
「新殿の瑞垣御門前で白杖(びやくじよう)をとり」、
「御床下の柱根を三度づつ杵築きながら三周してつき納め」、
「式を終え」た。
文字通りの所作。以前、月讀宮、月讀荒御魂宮にて杵築祭を拝観したが祭儀の様子を確認することはできなかったので、今回は実際に目にすることができ感動した。
【参考】
杵築祭を終えた神職は
再度、長由介神社の現在の社殿へ戻ると奉拝。
【遷宮諸祭儀 後鎮祭(長由介神社(川島神社を同座))】
神職が現在の社殿にて奉拝する間に新しい社殿では後鎮祭の準備が進められていた。
【後鎮祭】
新宮の竣工を鎮謝(ちんしゃ)し、大宮地(おおみやどころ)に坐す大神をお祭りする神事です。まず新殿前に物忌・宮掌が忌物(いみもの)・神饌・鶏卵(けいらん)をお供えし、権禰宜(外宮は宮掌)が祝詞を奏上し、諸員が八度拝。次いで神饌をお下げし、忌物は御床下に奉埋(ほうまい)されます。宮掌二名が天平瓮(あめのひらか)を安置、榊囲(さかきかこい)を奉仕し、権禰宜がこれを検知して祭儀を終えます。
社殿の前には
皮を剥がずに黒木の質感を残した楉案(しもとあん)が準備された。
神職が新しい社殿へと戻ると
まずは先ほど準備された案上に神饌をお供えした。
祝詞奏上の後、八度拝。
奉拝を終えると撤饌となった。
神饌が下げられると続いてはひとりの神職が木鍬を手にして二人で玉垣へと参入した。
玉垣内では桑を振り下ろす所作を繰り返した。この所作は先の説明の「忌物は御床下に奉埋」にあたるのだろうか。
さらにはすでに御床下に置かれていた榊の束(?、こらは榊囲か?)を持ち上げて・・・。この所作は先の解説にある「天平瓮(あめのひらか)を安置、榊囲(さかきかこい)を奉仕し、権禰宜がこれを検知して祭儀を終え」の所作だったのだろうか?
玉垣内での儀式を終えると
以上で後鎮祭は終了となり
退下となった。
神職の退下を見送ってから長由介神社の新しい社殿に振り返ると
玉垣には五色の幣が立て掛けられていた。これは川原大祓のためのものだろうか?
若宮神社、長由介神社の新しい社殿への参道は立入禁止となった。
続いて川原大祓が執り行われるはずだが何時から開始するかは衛士に伺っても確定できないとのことだった。参道を戻り修祓所の前へたどり着くと
そこには長い辛櫃と五色の幣が置かれていた。
所管社の遷宮諸祭儀をこれだけ拝観できたのだから満足、川原大祓の拝観を諦めようかと思っていたところ、宿衛屋の前を通過する際に「2時15分」と大きな声が響いた。そうか、川原大祓は「2時15分」斎行。
一旦瀧原宮を後にすると休憩の後、いい頃合いを見計らって戻って来た。
【遷宮諸祭儀、川原大祓・・・(瀧原宮の所管社)】
【川原大祓】
川原祓所に五色(ごしき)の幣を立て、遷御の諸具を納めた辛櫃、御装束神宝辛櫃(からひつ)三合を居えます。大宮司・少宮 司・禰宜四名は遷御奉仕の装束である束帯(そくたい)を着け、権禰宜十一名・宮掌十八名は同じく衣冠(いかん)を着け、威儀を正して居並びます。まず宮掌 が祓清めを修したのち、祝文(しゆくぶん)を奏して祓所大神(はらえどのおおかみ)の霊威を讃え申し上げます。次いで辛櫃を舁き立てて本殿御床下(みゆか した)に安置し、大宮司以下八度拝を行い退下します。
宿衛屋付近で警備にあたっていた神宮衛士に確認すると「遷御も含めこれから約一時間の祭儀となるため、その間は参拝停止となります。」とのことだった。今が2時半だから日が昇っている間に遷御の儀が執り行われるのだった。
氏神様等の神社での遷御は何度か拝観したことがあるが、日中に遷御の儀が執り行われたのは一社のみだった。
【参考】
- 遷座祭 八幡神社(鳥羽市船津町) 2013年10月13日
私が油断していたら
突然に報鼓が鳴り、参進が開始された。
参進の列はすぐ近くにある修祓所へ入った。
修祓を終えて
参道へ戻る列には、先ほど見かけた長い辛櫃のほかに
白布が確認できた。遷御の際に使用する絹垣となるのだろう。
私は参進の列が見えなくなるまで見送った。
これから一時間ほどは参拝停止となった。
参道を戻り鳥居をくぐり返すとそこには「祝 御遷宮」の幟、その前には昨夜の遷御で使用された資材が運びだされようとしていた。
所管社の遷御を終えると瀧原宮の御遷宮は完了する。
【 20141108 の記録 】
- 遷宮諸祭儀、大御饌(瀧原宮、瀧原竝宮)
- 瀧原宮周辺、熊野古道伊勢路ほか、きままな散策
- 遷宮諸祭儀、奉幣(瀧原宮、瀧原竝宮)
- 初めて拝観した所管社の遷宮諸祭儀(瀧原宮所管社 若宮神社、長由介神社ほか)