立岡城跡と地区内のフィールドワーク(度会町立岡)

2016年11月26日(土) 立岡城跡と地区内のフィールドワーク(度会町立岡) (車、徒歩)

地域の資源発見講座 歴史文化編(歴史文化の講座と立岡地区の地域資源)度会町地域資源を守る会(共催 立岡城跡保存会)では、立岡構造改善センターでの講座が終了するとフィールドワークになった。。

私が最も好きな活動はフィールドワーク。今回は立岡城跡保存会の方々が保存活動に注力し度会町指定文化財となった立岡城跡およびその周辺の散策だった。

 

立岡構造改善センターを出発すると立岡城跡保存会の方々の案内で立岡城跡を目指した。

立岡構造改善センターから立岡城跡へ

立岡構造改善センターから立岡城跡へ

 

県道38号を横断すると

立岡構造改善センターから立岡城跡へ

立岡構造改善センターから立岡城跡へ

 

さらにその先へ・・・

立岡構造改善センターから立岡城跡へ

立岡構造改善センターから立岡城跡へ

 

この辺りで左へ折れると突き当たりの右方向に立岡城跡への階段がある。つまり、前方に見えている「こんもり」が立岡城跡である。

立岡構造改善センターから立岡城跡へ

立岡構造改善センターから立岡城跡へ

 

城跡と全く関係がないと思うが、その近くで見つけたものが

立岡城跡付近に奉られていた二見興玉神社の神札

立岡城跡付近に奉られていた二見興玉神社の神札

 

二見興玉神社の神札だった。(なぜこの場所で二見興玉神社の神札を供えるのだろうか? その理由を地元の方に聞こうと思っていて失念してしまった。あぁ)

立岡城跡付近に奉られていた二見興玉神社の神札

立岡城跡付近に奉られていた二見興玉神社の神札

 

私が神札に気を取られている間に説明が開始されていた。

立岡城跡の説明(度会町立岡)

立岡城跡の説明(度会町立岡)

 

子供の頃の遊び場で、詳しいことはわかっていないが400〜500年前の中世の山城(砦)ではないか。誰もがもっと身近に知りたいと思うが、村史には「この砦、何ものかは知るべからず」つまり、詮索してはいけないと記されている。何かあるから詳しいことが伝えられていないのだろう。

 

立岡城跡の説明(度会町立岡)

立岡城跡の説明(度会町立岡)

 

こちらは階段下に立てられている説明板。

立岡城跡の説明板(度会町立岡)

立岡城跡の説明板(度会町立岡)

 

こちらは今回の講座で配付された資料、立岡城跡(配置図)。

立岡城跡(配置図)

立岡城跡(配置図)

 

配置図を手にしながら階段を登った。

立岡城跡(度会町立岡)

立岡城跡(度会町立岡)

 

立岡城跡(度会町立岡)

立岡城跡(度会町立岡)

 

今は使われていない水路には足場を確保するために木の蓋が据えられていた。

立岡城跡(度会町立岡)

立岡城跡(度会町立岡)

 

さらに上に登ると第3曲輪[郭]で

立岡城跡(度会町立岡)

立岡城跡(度会町立岡)

 

その先の少し下ったところには

立岡城の瓦巻井戸跡(度会町立岡)

立岡城の瓦巻井戸跡(度会町立岡)

 

瓦巻井戸跡がある。

立岡城の瓦巻井戸跡(度会町立岡)

立岡城の瓦巻井戸跡(度会町立岡)

 

瓦巻とされるが、見た目には瓦の形状は?だ。

立岡城の瓦巻井戸跡(度会町立岡)

立岡城の瓦巻井戸跡(度会町立岡)

 

主催者から時間が無いからもう時間がないからと急かされたが、参加者は折角訪れたのだから本丸まで行きたい・・。との声が多数上がりいざ本丸へ向った。こちらは本丸の土塁、

立岡城の本丸(主曲輪[郭])の土塁(度会町立岡)

立岡城の本丸(主曲輪[郭])の土塁(度会町立岡)

 

が続く。

立岡城の本丸(主曲輪[郭])の土塁(度会町立岡)

立岡城の本丸(主曲輪[郭])の土塁(度会町立岡)

 

本丸に満足した参加者は一気に城跡を下った。こちらは畝状竪堀の1本目、

立岡城の畝状竪堀(度会町立岡)

立岡城の畝状竪堀(度会町立岡)

 

2本目、あれ3本目は?

立岡城の畝状竪堀(度会町立岡)

立岡城の畝状竪堀(度会町立岡)

 

先行組に追いつかねば! 3本目を探すのは諦めて急いで下ることにした。

立岡城跡から望む旧地名奥殿村方向(度会町立岡)

立岡城跡から望む旧地名奥殿村方向(度会町立岡)

 

下った先にはこんな説明板、駐車場とトイレの場所。(ここに駐車場の案内があってもどうだろう)

立岡城跡見学者用駐車場及びトイレ利用場所の説明板(度会町立岡)

立岡城跡見学者用駐車場及びトイレ利用場所の説明板(度会町立岡)

 

続いては立岡城跡の階段に向って左方向にある立岡墓地の脇を進んだ。

立岡墓地(度会町立岡)

立岡墓地(度会町立岡)

 

数十m先で説明が始まっていた。

立岡墓地近くの石造物見学

立岡墓地近くの石造物見学

 

一歩山道へ入ったところに石造物が残されいる。

立岡墓地近くの石造物

立岡墓地近くの石造物

 

こちらは板碑型供養塔(板五輪)。先日のブラッチェiseで目にしたもの近い?

板碑型供養塔(板五輪)(立岡墓地近くの石造物)

板碑型供養塔(板五輪)(立岡墓地近くの石造物)

 

 村井家の墓所にて五輪塔が刻された墓石(⑨船江の墓地)

村井家の墓所にて五輪塔が刻された墓石(⑨船江の墓地)

【参考】 ブラッチェiseミニツアー 第1回〜勢田川トレイル中流域(河崎〜王中島)編〜 2016年11月23日

 

その隣にはこんな感じで・・・

立岡墓地近くの石造物

立岡墓地近くの石造物

 

私が気になったのは三界萬霊碑の奥に残されていた

三界萬霊碑、地蔵菩薩(立岡墓地近くの石造物)

三界萬霊碑、地蔵菩薩(立岡墓地近くの石造物)

 

板碑形石塔だった。かなりの部分が土の中に埋まっているようだ。

隅に隠れるように立つ板碑形石塔(立岡墓地近くの石造物)

隅に隠れるように立つ板碑形石塔(立岡墓地近くの石造物)

 

石造物を後にすると立岡城跡を右に見ながら立岡構造改善センターまで戻り、解散となった。

立岡城跡付近のパノラマ(度会町立岡)

立岡城跡付近のパノラマ(度会町立岡)

 

【 2016年11月26日 地域の資源発見講座 歴史文化編 の記録 】

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です