2014年12月21日(日) 大神宮寺逢鹿瀬寺跡、天王さんほか(多気町相鹿瀬) (車、徒歩)
度会町棚橋にある蓮華寺を後にすると「坂井の常夜燈」をちらっと見てから多気町の相鹿瀬にたどり着いた。
【参考】
次の目的地は大神宮寺逢鹿瀬寺跡。友人からこの場所に行きたいと要望されて思い出したのは熊野古道伊勢路を歩いた際に見かけた説明板だった。
この説明板は、田丸から熊野古道伊勢路を歩くと最初の峠である女鬼峠を越え、新池の辺りを歩いた先に立っている。この説明板付近には駐車場が無いため、この街道入口付近にある幅の広い路側帯に車を駐めると速やかにエンジンを切った。(民家の塀に「アイドリングしないで・・」の張り紙があったので、迷惑にならないように・・・、しばし駐車させていただいた。)
熊野古道を女鬼峠方向へ進もうとすると
左方向に鳥居が見えた。あんな所に神社があったのか。たまたま通りかかったおばちゃん(プラ等の回収物を集積所へ運んでいる様子だった)に尋ねたところ、「あちらは天王さんで、山の向こうの野中にある神社から分けてもらいこちらでも祭っている」とのことだった。
あの鳥居には後から向かうとしてまずは熊野古道伊勢路を進んだ。懐かしい風景の中を逆行すると
この場所、左側には
先ほど紹介した説明板が今も立っていた。この付近に逢鹿瀬寺跡(説明板では、相鹿瀬寺跡と記されている)があったのだろう。友人とその痕跡を見つけるため周囲を確認したが・・・・?
「残念だけど説明板しか残っていない。」と諦めてこの場を離れると先ほどの鳥居へと向かった。茶畑の縁に続く小径を進むと
鳥居が近づき、その前には空間が広がっていた。
さらに近づくと、石柱のようなものが・・・。
小径は鳥居の脇へとたどり着いたので
前面へ回りこむと
まずは天王さんにお参り。左側には庚申さんが祭られていた。
さらに、石座の左側にはこれは墓石だろうか横たえられた状態になっていた。
お参りを終えると先ほどの石柱へと近づいた。
そして友人と私は顔を見合わせた。なんとその石柱には「逢鹿瀬寺跡」と刻されていたのだった。こんな所に逢鹿瀬寺跡の痕跡が残されていたのだ。最初に遠くに見えた鳥居に気付かなければ街道沿いの説明板を確認しただけでこの場に立ち寄ることはなかった。やはり私達は呼ばれたのだろう。(感謝)
感慨深い対面に後ろ髪を引かれつつ逢鹿瀬寺跡を後にした。パチリ、
パチリ。
車の近くへ戻ると鳥居を遠望し感謝した。(次画像の中央、山裾に望める。)
逢鹿瀬寺跡を後にするとお伊勢さん125社巡りのため鴨神社へと向かった。
【補足】
こちらに天王さんを分祀した山向こうの神社はどこだろう?
訪問時は確認できなかったので、帰宅後に調査した。まず、多気町野中にある神社は・・・西外城田神社だ。逢鹿瀬寺跡に祭られているのが天王さん(→牛頭天王→素盞嗚尊)だから西外城田神社に素盞嗚尊が祭られていればビンゴだろう。
三重県神社庁 にて、西外城田神社の御祭神を確認すると「素盞鳴命」が祭られている。多分ビンゴだろう。なお、こちらには以前にお参りしたことがあった。
【参考】
【 20141221 の記録 】
- 河村瑞賢公園のサンタクロース(南伊勢町東宮)
- 先週に続き再訪の仙宮神社、猿田彦命の体現(南伊勢町河内)
- 蓮華寺と内城田神社(度会町棚橋)
- 大神宮寺逢鹿瀬寺跡、天王さんほか(多気町相鹿瀬)
- 伊勢さん125社、車での外城田駆けめぐり