斎宮ほっつき歩き 平安の斎宮寮跡の外周を巡る!!編

2015年10月10日(土) 斎宮ほっつき歩き 平安の斎宮寮跡の外周を巡る!!編 (車、徒歩)

斎宮を巡ったり、参宮街道(伊勢街道)を歩いたりした時に何度か訪れてみたまちかど博物館 竹茗舎。いつ訪れても閉まっていた。(本日知ったことだが、竹茗舎は5の倍数の日にオープンしている。)また、竹茗舎の代表で宮川流域案内人である渡邉幸宏さんが主催する「斎宮ほっつき歩き」シリーズには以前から興味があったのだが都合が合わずに参加することもできないでいた。

今回の「斎宮ほっつき歩き」は

宮川流域案内人とともに「斎宮ほっつき歩き 平安の斎宮寮跡の外周を巡る!!編」の案内

宮川流域案内人とともに「斎宮ほっつき歩き 平安の斎宮寮跡の外周を巡る!!編」の案内

 

私が興味を持っていた次の3つを一気に実現できる企画だった。

  • 完成した斎宮跡復元建物の見学
  • 映画「ガイアシンフォニー地球交響曲第八番」の鑑賞
  • 竹茗舎の見学

 

少し早めに集合場所である竹茗舎に到着した。

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

 

渡邉幸宏さんに導かれて中へ入ると

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

 

二階の展示室へ案内していただいた。階段を上がるとその先には数々の竹にまつわるモノが展示されていた。

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

 

竹製品をはじめとして書画、絵画、着物・・・、竹の絵が描かれたモノ、竹の形状をしたモノ・・・

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

 

加工品も素晴らしいのだが、私が気に入ったのは素材をそのままに活用した竹筆。

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

 

さらには竹の根元を利用した彫刻。

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

 

展示数が多くてすべてを拝見することができなかったので、次回のためにとっておいた。

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

 

竹茗舎を後にして

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

まちかど博物館「竹茗舎」(明和町斎宮)

 

しばらくすると参加者が・・・。定刻の9時となり「斎宮ほっつき歩き 平安の斎宮寮跡の外周を巡る!!編」が開始された。

斎宮ほっつき歩き 平安の斎宮寮跡の外周を巡る!!編の開始

斎宮ほっつき歩き 平安の斎宮寮跡の外周を巡る!!編の開始

 

今回の斎宮ほっつき歩きでは午前中に斎宮跡で発見された方格地割の外周を歩き、午後は南伊勢町で映画「ガイアシンフォニー地球交響曲第八番」を鑑賞した。

斎宮では斎宮寮の役割毎の区画が約120m四方で構成され、今回は近鉄山田線の北側にある東西5区画×南北2区画の外周+αを歩いた。

斎宮ほっつき歩き 平安の斎宮寮跡の外周を巡る!!編の開始

斎宮ほっつき歩き 平安の斎宮寮跡の外周を巡る!!編の開始

 

渡邉さんによる説明が終了すると早速ほっつきに・・・

竹茗舎の前から続く路地を進むと庚申堂、

 

庚申堂(竹茗舎の隣)

庚申堂(竹茗舎の隣)

庚申堂(竹茗舎の隣)

庚申堂(竹茗舎の隣)

 

その隣に鎮座する秋葉神社の脇を過ぎるとその先の道路は方格地割の外周道路(西側)である。

秋葉神社(竹茗舎の隣)

秋葉神社(竹茗舎の隣)

 

その左(南)側には斎宮の旧家である永島家があり、北の突き当りにはこの後で向かう斎宮の森がある。

斎宮跡、方格地割の外周道路(西側)、旧家永島家

斎宮跡、方格地割の外周道路(西側)、旧家永島家

 

永島家を背にすると近鉄山田線 踏切道 斎宮第一号を渡った。

近鉄山田線 踏切道 斎宮第一号

近鉄山田線 踏切道 斎宮第一号

 

踏切を渡った右手には15mの道路が再現されていて、さらにその奥には最近竣工式を終えた斎宮跡復元建物が遠望できる。今回、外周を巡った最後に訪れる場所だった。

再現された15m道路(近鉄山田線沿線、斎宮駅付近)

再現された15m道路(近鉄山田線沿線、斎宮駅付近)

 

15m道路を右手に見ながらさらに進むといつきのみや歴史体験館の先を左へ折れた。

1/10史跡全体模型(斎宮跡)へ

1/10史跡全体模型(斎宮跡)へ

 

その先には斎宮跡の1/10史跡全体模型が展開されている。

1/10史跡全体模型(斎宮跡)へ

1/10史跡全体模型(斎宮跡)へ

 

模型といっても大掛かりなもの。

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

 

説明板のところでまずは全体を把握。

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

 

【参考】

 

内院付近を巡ってから・・・

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

 

ここは1/10史跡全体模型での斎宮駅で、前方に見えるのが実際の斎宮駅。

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

 

こちらは「薬司(くすりのつかさ)・蔵司(くらのつかさ)」区画でその西側には遺物が見つからない広い場所があり、花園・牧場・薬園と考えられているそうだ。

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

 

さらに、ここは1/10史跡全体模型の斎王の森で、その先に見えるのが実際の斎王の森。

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

 

1/10史跡全体模型を後にする際、

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

 

私には次の区画「水部司(もひとりのつかさ)」が気になった。

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

1/10史跡全体模型(斎宮跡)

 

斎宮跡は東京ドーム30個分とされているがその規模は?だ。「斎宮跡の上を通過している送電線の鉄塔、何本目まで!」で体感できる。現場では体感できたがそれを写真で表現するのはなかなか難しい。

斎宮跡の上を通過する送電線

斎宮跡の上を通過する送電線

 

古代米(赤米・黒米)の栽培田の間に作られた田んぼ道を通って 1/10史跡全体模型を後にした。

1/10史跡全体模型から斎王の森へ(斎宮跡)

1/10史跡全体模型から斎王の森へ(斎宮跡)

 

その際、

古代米(赤米・黒米)の栽培田

古代米(赤米・黒米)の栽培田

 

田んぼに鳥の足跡を発見、誰?

古代米(赤米・黒米)の栽培田に残された足跡

古代米(赤米・黒米)の栽培田に残された足跡

 

方格地割の外周道路(西側)へ戻ると斎王の森へ向かった。

斎王の森(斎宮跡)へ

斎王の森(斎宮跡)へ

 

こちらは車道の脇にあり斎王の森の鳥居へと通じている道路、13mの幅だったとか?

斎王の森前の13m?道路(斎宮跡)

斎王の森前の13m?道路(斎宮跡)

 

そして、西側と北側の外周道路が交差する場所にあるのが史蹟 斎王宮阯(斎王の森)。

史蹟 斎王宮阯(斎王の森)

史蹟 斎王宮阯(斎王の森)

 

こちらには

史蹟 斎王宮阯(斎王の森)

史蹟 斎王宮阯(斎王の森)

 

黒木鳥居が建てられている。

史蹟 斎王宮阯(斎王の森)の黒木鳥居

史蹟 斎王宮阯(斎王の森)の黒木鳥居

 

その内側にある案内板がこちら。

史蹟 斎王宮阯(斎王の森)の説明板

史蹟 斎王宮阯(斎王の森)の説明板

 

また斎王宮阯の隣には大伯皇女の歌碑「わがせこを やまとへやると さよふけて あかときつゆに われたちぬれし」が二上山の方角に向けて建てられている。

大伯皇女の歌碑

大伯皇女の歌碑

大伯皇女の歌碑

大伯皇女の歌碑

 

斎王宮阯(斎王の森)を後にすると北側の外周道路を・・・。しばらくは歩きながら

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)

 

右方向に見える復元建物をチラチラ。

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)から遠望する復元建物

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)から遠望する復元建物

 

さらに先へ進んでも

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)

 

チラチラ。

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)から遠望する復元建物

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)から遠望する復元建物

 

所々で南北に伸びる方格地割の名残を感じながら。

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)

 

そしてこの辺りは、1/10史跡全体模型を後にする際に私が気になった「水部司(もひとりのつかさ)」の区画らしい。

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)付近、水部司跡?

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側)付近、水部司跡?

 

この車道を横断するとその先で丁字路に突き当たる。そこを右へ折れると東側の外周道路となる。

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側→東側)

斎宮跡、方格地割の外周道路(北側→東側)

 

東側の外周道路を南下。

斎宮跡、方格地割の外周道路(東側)

斎宮跡、方格地割の外周道路(東側)

 

しばらく歩くと?

楠森神社跡(斎宮跡)

楠森神社跡(斎宮跡)

 

ここは楠森神社跡。

楠森神社跡(斎宮跡)

楠森神社跡(斎宮跡)

 

「斎宮寮の長官が内宮(荒祭宮)と外宮(多賀宮)を勝手にこちらにおまつりした・・」とのことだった。

楠森神社跡(斎宮跡)

楠森神社跡(斎宮跡)

 

なお、この十字は写真の右から左へと斎王らが歩いた道とのこと。右方向へ進むと復元建物の方向。

楠森神社跡付近の十字路(斎宮跡)

楠森神社跡付近の十字路(斎宮跡)

 

ここでは少し寄り道して近鉄 踏切道 斎宮第八号付近にある

斎宮跡、方格地割の外周道路(東側)

斎宮跡、方格地割の外周道路(東側)

 

呉竹の藪跡へ。

呉竹の藪跡付近

呉竹の藪跡付近

呉竹の藪跡 中町の案内柱

呉竹の藪跡 中町の案内柱

 

呉竹は淡竹(ハチク)で奈良の天香具山から持ち込まれたそうで、1000年前には竹の都として栄えたと・・・。

呉竹の藪跡の石柱

呉竹の藪跡の石柱

 

呉竹の藪跡から先ほどの十字路まで戻ると

呉竹の藪跡付近

呉竹の藪跡付近

 

斎宮跡復元建物の方向(西)へと歩いた。すると竹神社の社叢が望める場所には

内院の説明板(斎宮跡)付近

内院の説明板(斎宮跡)付近

 

内院の説明板がある。この付近は斎王の御殿があった場所。

内院の説明板(斎宮跡)

内院の説明板(斎宮跡)

 

車道を越えるとその先には復元建物が・・・

完成した斎宮跡復元建物付近(明和町斎宮)

完成した斎宮跡復元建物付近(明和町斎宮)

 

しばし見入ってしまった。

完成した斎宮跡復元建物(明和町斎宮)

完成した斎宮跡復元建物(明和町斎宮)

 

15m道路を含めてパーチリ。

完成した斎宮跡復元建物付近(明和町斎宮)

完成した斎宮跡復元建物付近(明和町斎宮)

 

道路側からもパチリ。

完成した斎宮跡復元建物(明和町斎宮)

完成した斎宮跡復元建物(明和町斎宮)

 

ここは、史跡公園「さいくう平安の杜」と呼ばれ、期間と時間限定で公開されている。

完成した斎宮跡復元建物付近(明和町斎宮)

完成した斎宮跡復元建物付近(明和町斎宮)

 

今回は時間外であったが特別に拝観することができた。その内容については別の記事で紹介。

【参考】

 

斎宮跡復元建物を後にすると

完成した斎宮跡復元建物付近(明和町斎宮)

完成した斎宮跡復元建物付近(明和町斎宮)

 

15m道路を方格地割の外周道路(西側)へ向かった。

再現された15m道路(近鉄山田線沿線、斎宮駅付近)

再現された15m道路(近鉄山田線沿線、斎宮駅付近)

 

その途中で、方格地割の東西、南北の道路が交差を再現した場所を通過、電車も通過・・。

東西と南北に走る15m道路の交差点

東西と南北に走る15m道路の交差点

 

振り返ると復元建物をパチリ。

完成した斎宮跡復元建物の遠望(明和町斎宮)

完成した斎宮跡復元建物の遠望(明和町斎宮)

 

いつきのみや歴史体験館付近へ至ると

いつきのみや歴史体験館付近(明和町斎宮)

いつきのみや歴史体験館付近(明和町斎宮)

 

工事のために斎王御館之道蹟の石碑が一時退避となっていた。

斎王御館之道蹟の石碑

斎王御館之道蹟の石碑

 

以上で、午前の部は終了となった。

この後、希望者のみが車に分乗すると映画「ガイアシンフォニー地球交響曲第八番」を鑑賞するために南伊勢町へと向かった。

 

【 20151010 の記録 】

 

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