2015年08月23日(日) 金刀比羅宮鳥羽分社、樋の山(鳥羽市) (車、徒歩)
近鉄てくてくまっぷ鳥羽三山・赤崎神社コース(日和山省略ルート) にて訪れた金刀比羅宮鳥羽分社。以前から存在は知っていたのだがなぜか訪れる機会を作れないでいた。
今回、てくてくまっぷに従って歩くと決めたことでその機会を作り出し、初めて訪れることができた。
先日、自宅のベランダから鳥羽みなとまつりの花火を遠望しながらTVのライブ放送を聞いていた。その時に初めて鳥羽みなとまつりは鳥羽樋の山に鎮座する金刀比羅宮鳥羽分社の例大祭の神事であることを知った。このこともあり金刀比羅宮鳥羽分社にはぜひともお参りしたかった。
【参考】
- 第60回鳥羽みなとまつりの花火、自宅ベランダからの観覧 2015年07月24日
常安寺の前から続く坂道を延々と(1kmほど)進んだ先にある、それが金刀比羅宮鳥羽分社。
階段の前へ進むと右手には「讃岐 金刀比羅宮鳥羽分社」と刻された社標が建ち、
階段の左手には掲示板。そこには金刀比羅宮鳥羽分社および境内末社である白龍稲荷神社の御由緒が記されていた。
先の階段を進み鳥居をくぐると
右手には手水所があった。
水道の蛇口に陶器が置かれた簡素なものだが、柄杓を受ける竹の組み方がいい。
手水を受けて心身を清めると早速お参りした。
お参りを終えて振り返ってパチリ。遠くは霞んでいたがここはかなり高い場所。
拝殿の階段を下って右方向へ進むとその先には御守所がある。本日はこの場所には担当者不在で御用の方は社務所へとなっていた。
サンプルとして壁に掲げられていた海上安全の旗が印象的だった。流石に海の守護神を待つているだけある。
この御守所を背にして真っ直ぐに進むと参道を越えた右側には「平成十六年 讃岐金刀比羅宮御遷座祭 奉賛者御芳名」板があり、
さらにその先には「平成十七年 金刀比羅宮鳥羽分社御鎮座五十周年記念事業 奉賛者御芳名」板があった。
これだけでもどんな経緯があったかを知ることができる。
さらに進むと今度は左手に「鳥羽十景 樋の山扇野からの展望」説明板。
その奥には展望所があり
鳥羽の海、島々を望むことができた。「しかし、ここはまだ樋の山の山頂ではない。」と思っていたら
つぎの案内板を見つけた。これは登るしかない。(とにかく、どこからか登る予定だったが・・・)
金刀比羅宮鳥羽分社との境界に建つコンクリート柵に沿って進むと
柵から離れる辺りでこんなものを発見。
これは何だろう。人為的?
この先はよく踏まれた山道を迷いなく進むと左手に石畳を発見。
これは何か神事に関わる遺跡だろうか?(結局、後で神社の方に伺ったところ、狼煙場跡だと考えられているそうだ。ここは海に面し、島が多いため伝達手段として使用されていた・・・)
この先でパ〜チリ。
高度が上がると少しずつ見え方も変化した。
歩き始めて5分ほどで山頂らしき場所(周囲より高い)へ到着した。
この場所にはこのように何かが割れた遺物が散乱していた。何だろう。しかし、山頂を示すものは皆無だった。
しかし、周囲をウロウロしていたらこんな札を見つけた。左下の文字は「アオキ」と読める。するとこれは各地の山頂に山頂標を残している「イセAOKI」さんのてによる山頂標だったのだろうか?
イセAOKIさんによる山頂標の例
【参考】 赤井神社(伊勢市上野町) 2015年04月12日
ここは山頂と自分で決定して展望を楽しんだ。この方向に見えたのは
神島だった。
また、神島を訪れたくなった。
【参考】
- 神島ウォーク 2012年10月13日
視線を左へ振ると小浜方向が遠望できた。
山頂でのひとときを終えると先ほど登った道を下った。その途中で私に迫ってくる謎の物体。羽音を鳴らしながらキラキラと・・・・。何だ? 危険を感じつつもカメラを向けた。これではわからないが、
トリミングしたものがこちら。
それは空飛ぶタマムシだった。
貴重な(?)体験を終えて鳥居前まで戻ると
境内末社である白龍稲荷神社へと向かい
お参り。
以上で、金刀比羅宮鳥羽分社 初体験は終了となった。
【 20150823 の記録 】
- 御造替された?志等美神社・大河内神社(共に豊受大神宮摂社)と上社の駐車場
- 御新遷に向けた本殿の御造営 #3(松下社)
- 鳥羽市河内町を訪ねて、河内ダム・棚田跡・山の神・河内神社ほか
- 近鉄てくてくまっぷ鳥羽三山・赤崎神社コース(日和山省略ルート)
→ 式年遷宮の準備が進められる賀多神社(鳥羽市鳥羽)
→ 賀多神社の式年遷宮、お木曳工程と順路(鳥羽市)の確認
→ 金刀比羅宮鳥羽分社、樋の山(鳥羽市)