2014年09月21日(日) 朝熊ヶ岳(朝熊山)経由の伊勢市内巡回ウォーク (徒歩)
目覚めた時は曇りがちだったが、今は雲は薄れ今日は雨は降らない予報だ。「さぁ、どこへ行こう?」「そうだ、朝熊山に登ろう!」とまずは朝熊ヶ岳(通称、朝熊山)に登ることに決定した。しかし、ただ登るだけでは面白くないので、朝熊岳道を登り金剛證寺を経由してから宇治岳道へ下るルートを取る、さらに登り口へのアプローチも歩くことに。しかし、突然思い立ったので昼食のおにぎりがない、しかもすでに8時前。夕方の5時には帰宅したかったので往路のアプローチを短くするため、国道23号と二見街道が交差する場所にあるコンビニまで車で送ってもらった。
よって本日の巡回ウォークのおおよそのルートは国道23号と二見街道が交差点から朝熊岳道の登り口を目指し、朝熊岳道、朝熊ヶ岳山頂、金剛證寺、宇治岳道、内宮・・・で、ゴールは自宅となった。
国道23号と二見街道が交差する場所にあるコンビニでおにぎり(今日は二個、紀州南高梅と日高昆布)を買うと交差点下から国道23号へと歩き始めた。国道23号へ合流するとJR参宮線の線路を左手に見下ろしながら進んだ。すると背後で列車の音、反射的に振り返ってパチリ。
これは黒瀬町交差点の手前の案内板だが、伊勢神宮の英語表記にシールが貼られている。この下に書かれてる文字は? と考えながら・・・
帰宅後に調べてみると 2014年03月15日にはすでにこのシールが貼られていた。それ以前、正解はこちら
『Ise Shrine』と記されていたんだ。
この後、朝熊神社までは次の記録と同様のルートを進んだ。
【参考】
- お伊勢さん125社まいり 五十鈴川めぐり+α 2014年03月15日
最初に訪れたのは、お伊勢さん125社のひとつ、皇大神宮の末社である加努弥神社。こちらでは五穀の守護神 稲依比女命を石神として祭っている。
正面へ回り込むと御垣の中で男性の声が聞こえた「今出ますから、ちょっと待って・・・」。このお社をお守りされている男性が清掃中だったのだ。
お参りをさせていただいた後、その男性としばしお話させていただいた。こちらと鏡宮神社をひとりでお守りされているそうで、清掃はほぼ毎日。竹箒で掃くと玉石まで飛ばしてしまうので、こちらでは手作業で枯れ葉を集め、鏡宮神社は広いのでブロアーを使うとのこと。(感謝)
加努弥神社を後にすると農道を歩いて五十鈴川の左岸へ向かった。この先には鏡宮神社、朝熊神社(朝熊御前神社を同座)がある。
五十鈴川の左岸から朝熊川と五十鈴川の合流点にある鏡宮神社をパチリ。その奥には朝熊ヶ岳が霞んで見えた。
対岸へ向かうためには、少し上流側に架かる堀割橋を渡るしかない。
先ほどお参りした加努弥神社を遠望するとさきほどの男性が清掃作業を続けていた。
堀割橋を渡り、鏡宮神社へと向かった。鏡宮神社の隣には次のように木場の跡がある。
鏡宮神社へは階段を下る。その階段の脇にはヒガンバナが咲き、
アゲハチョウが蜜を吸ってはひらりひらりを繰り返していた。
階段を下ると参道を真っ直ぐに進みお参り。鏡宮神社の開放感は格別だ。
また、社殿の右側を奥へと進むとそこにも石段があり、朝熊川の辺りへ下ることができる。
虎石付近でサワガニをパチリ。
鏡宮神社を後にすると朝熊川に架けられた歩道橋(朝熊橋)を渡り、対岸にある朝熊神社へ向かった。
石段を登るとその先には同じ形状で同じ大きさの社殿が並立している。こちらは奥から朝熊神社と朝熊御前神社であり共に皇大神宮の摂社である。特に朝熊神社は皇大神宮の第一摂社。
お参りを終えて朝熊神社を後にするとここからは朝熊岳道の登り口を目指した。
蟹田排水機場の左側を進み、
朝熊ICで伊勢二見鳥羽ラインをくぐった。
その先には朝熊ヶ岳が霞んで小さく見える。
この道をしばらく進むと「しんななはらはし」にて先ほど歩道橋で渡った朝熊川に辿り着いた。ここでは橋の手前で左折してしばらく右岸を歩くと次の橋で左岸へ移った。
朝熊川の左岸を進むと途中で川とは離れ、近畿自然歩道の道標がある辺りで片側一車線の車道を横切る。さらに道なりに進むと頭上に近鉄鳥羽線の高架が現れる。この右手に朝熊駅がある。
その後、道なりに進み河原地蔵の前で右折。ここには道標があるので迷うことはない。
さらに進むと右手に朱色の目立つお堂がある。こちらは千躰地蔵堂で、この中には数え切れないほどの地蔵がまつられている。
さらに奥へ進む。
見上げる場所に咲くヒガンバナをパチリ。
ほどなくこの分岐に到着する。右へ進むとすぐに朝熊岳道の登り口である。
こちらが朝熊岳道、本日の第一の目的である朝熊ヶ岳への第一歩である。ここからはまずは朝熊峠を目指し、続いて朝熊ヶ岳山頂へ・・・。
歩き始めるとまたまた蜘蛛の巣を発見。このルートは多数の人が歩いているので顔面に浴びることはないだろう。
一町に始まる町石を数えながら歩いて四町。実はこの近くに神社がある。
町石の後ろ側に続く斜面を登ると鳥居が見えるので、さらに進むと
鳥居、祠の脇に「朝熊山神社」と刻された社標が建てられている。時間が許す方はぜひお参りを!
その後、黙々と山道を進むと朝熊登山鉄道ケーブルカー跡に到着。
外界が小さく見える。先ほどは山の山頂が小さく見えたのだから、逆転だ。
ケーブルカー跡に架かる橋を渡り、さらに登り続けると
十一町に到着。ここは朝熊峠までの中間地点だ。あと半分でまずは朝熊峠。
陽光を浴びながらさらに進むと身体も山歩きに馴染んできた。汗が・・・。
お地蔵様を左手に見ながら町石をさらに数えて進むと
この場所へ到着。山道へ張り出す幹の力強さに感動した。二十二町は目と鼻の先だ。
そして、ほどなく二十二町へ到着した。
こちらが朝熊峠からの風景。ここから朝熊ヶ岳へは宇治岳道を歩いてきた男性と歩いた。
その男性は糖尿病と診断され、体重を減らすため週二回を宇治岳道を往復し、理想体重まで減量することができたそうだ。
そんな話をしながら歩いているとこの風景をパチリ。男性曰く「これはあの大きな卒塔婆の材料」(金剛證寺の奥の院へと向かう参道の両脇には所狭しと巨大な卒塔婆が並べられている)とのこと。
ほぼ等高線に沿って水平道を進むと「立入禁止」の看板が立っていたので、その手前を直登するとテレビ中継用のアンテナをパチリ。
そしてこちらが立派な山頂標、「朝熊ヶ岳山頂」と刻されている。
この場所で鳥羽方面、伊勢湾を見ながら
昼食をとった。今日は紀州南高梅と日高昆布の二個。座ると動けなくなるので立った状態での食事。もう慣れたものだ。
昼食を終えると朝熊ヶ岳山頂にある八大龍王社にお参りしてから山頂を後にした。
車道ではなく八大龍王社の左奥から地道を下るとこの分岐に合流し金剛證寺ヘ向かった。
水平道を先を九十九折で下るとこの門をくぐり出た。ここは「八大龍王、経ケ峯参詣道入口」である。振り返ってパチリ。
この門を出て左方向へ進むと奥の院へたどり着くが時間の関係で右へ曲がった。下る坂の途中右手には明星堂があり、
坂を下りきった先には本堂が建っている。
【参考】
本堂を背にして仁王門の前へ進むと振り向いてパチリ。視線の先には連間の池、連珠橋が・・・。
仁王門をくぐり石階を下ってからもパチリ。
石階を下って真っ直ぐ進むとこの場所にたどり着く。しかし、今回はこの歩道橋は渡らずに
仁王門の石段下を右方向へ進んだ。その先には石橋である極楽橋。
極楽橋を過ぎると左側には伊勢志摩スカイライン、一度近づいたスカイラインと別れると坂道を進んだ。ここは宇治岳道だ。
このあとは林道のように道幅の広い山道を黙々と進んだ。時にはこのような町石地蔵を確認しながら。
途中で単独行の二人とすれ違いたどり着いたのは先ほど休憩した朝熊峠。朝熊岳道はここを右折だが、宇治岳道はこのまま直進だ。
朝熊ヶ岳の山頂で休憩していた時、朝熊ヶ岳の一等三角点が話題となっていた。わかり難い場所にあると聞いたのでぜひとも確認しておこうと思った。三角点があるのは朝熊峠から宇治方向へ進むとこの無線中継所に近くにある。
中継所の左横に立つと右後方にある木立の中にある。1mほどの斜面を登るとその奥には次の一等三角点があり、
その手前には「天測点(地理調査所)」のプレートが付けられたコンクリートの塊が立っていた。
三角点を確認するとひと仕事を終えた気分で参道へ戻った。
歩き始めると地蔵町石に対面。
宇治岳道、朝熊岳道には多くの地蔵町石が残されている。以前調査したことを思い出した。
【参考】
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(朝熊岳道) » 神宮巡々
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その2(宇治岳道) » 神宮巡々
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その3(宇治岳道) » 神宮巡々
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その4(宇治岳道) » 神宮巡々
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その5(宇治岳道) 赤福二見支店 | 神宮巡々2
さらに進むと宇治岳道は伊勢志摩スカイラインと交差し、その上を橋で渡る。
橋の上からは絶景。予想以上に車の往来が多い。
橋を渡り終えてしばらく進むと後ろから軽快な足音が近づいてきた。そして、足音の主は私が手に持つカメラを確認すると「写真ですか、私もこの辺りが好きです! どの季節でも・・・」の言葉を残すと颯爽と歩き去っていった。
私は相変わらず路傍の地蔵町石を確認したり
辛うじて立木に引っ掛かっている倒木に注目するなどゆるりゆるりと山道を進んだ。
スカイラインの一宇田展望所をパチリ。
空にはロケットのように垂直に立ち上がる(ように見える)ひこうき雲。
再び伊勢志摩スカイラインに近づいては離れた。
水平となった山道をさらに進むと
磯部岳道の分岐に到着。
分岐を過ぎると右手には大黒石。
左手には視界が開ける。
この車はいつから放置されているのだろうか?
今もこんな状態で残されている。今では信じられないが伊勢志摩スカイラインが開通するまでは宇治岳道のルートで登山バスが運行されていたそうだ。
この場所のすぐ近くで山道を整備している男性を発見、しばらくお話を伺えた。この方は1999年に定年を迎えてからほぼ毎日宇治岳道を整備しているとのこと。ありがたいことだ。(感謝)
大きな石も一人で移動させて積み上げているそうだ。ただ、最近は年のせいだろうか、大きな石を動かすのは大変になったとのこと。(手伝いますと言えなかった自分が不甲斐なかった。とにかく、「感謝」)
一丁地蔵町石を過ぎると宇治岳道の終点(始点)が近づく。
宇治岳道を下りきってから振り返ってパチリ。
坂道を下るとこの道標が立っている。
さんくう道の方向へ進むとその先は神宮司庁。通り抜けると
正面の階段を下った。振り返ってパチリ。
この階段下付近にはお伊勢さん125社、共に皇大神宮所管社である大山祗神社と子安神社がある。ここはすでに内宮の宮域だ。最近はメインの参道から足を延ばしてこちらにお参りされる参拝者も多い。(数年前はほとんど人に会うことがなかったのに・・・)私もお参り。
衛士見張所の脇を進み参道を横切ると神苑の小道を進んだ。
神苑の中には秋季神楽祭のために特設舞台が準備されていた。(この記録を書いている時点ではすでに秋季神楽祭は終了している。)
神苑を抜けると手水舎で心身を清めてから第一鳥居をくぐった。
御手洗場の様子をパチリ。
続いて皇大神宮 所管社で石神である瀧祭神にお参り。こちらにも参拝者が増えている。
参道へ戻り第二鳥居をくぐると
御正宮へ向かった。石階下にある御贄調舎をパチリ。
御贄調舎は三節祭(6月・12月の月次祭と10月の神嘗祭)で由貴大御饌の儀にて神饌である鰒を調理する儀式が執り行われる場所だ。
【参考】
御正宮(皇大神宮)にお参りするとともにお伊勢さん125社、皇大神宮所管社である興玉神および宮比神、屋乃波比伎神(共に石神)を遥拝。
続いて荒祭宮へ向かう途中で皇大神宮所管社である御稲御倉にお参り。
その先の外幣殿を過ぎ、御正宮の板垣北御門付近から石階を下ると
その先には皇大神宮第一別宮である荒祭宮。こちらには参拝を待つ列ができている。私は石階下にて遥拝。
メインの参道へ進むと五丈殿の手前には、御酒殿と
由貴御倉。ともにお伊勢さん125社で皇大神宮の所管社。共にお参り。
さらに、皇大神宮所管社である四至神にお参りしようとすると多数の人、いや全員が手をかざしていた。みんな勘違いしているヨ、私は離れた場所で遥拝。
四至神を後にして神楽殿の神札授与所前まで戻るとその正面に続く参道を進んだ。その先にある風日祈宮橋を渡ると
風日祈宮にお参り。新御敷地は簀屋根に覆われていてその変化は?だ。
風日祈宮橋から神札授与所へ戻ると
帰りの参道を進み、あまりの明るさにシャッターを切ってしまった、参集殿。
メインの参道へ戻ると先ほどは裏側から確認した秋季神楽祭の特設舞台。
そして、10月3日には新たな姿に変身する宇治橋の鳥居。この東詰の鳥居には内宮(皇大神宮)の旧宮の棟持柱が再利用され、
( なお、現在の鳥居は桑名の七里の渡しの鳥居として再利用される。
【参考】 東海道 七里の渡しから富田(近鉄桑名駅~一目連神社) )
宇治橋を渡った先に建つ西詰の鳥居は外宮(豊受大神宮)の旧宮の棟持柱がリユースされる。
( なお、現在の鳥居は関の東追分の鳥居として再利用される。
【参考】 東海道五十三次「関宿」の散策 )
内宮を後にすると五十鈴川に沿って下った。赤福の本店脇に架かる新橋を過ぎてから振り返ってパチリ。
また、五十鈴川からおはらい町通りへと向かうカップル。初々しい?
私は一人で浦田橋の下まで辿り着き、パチリ。今日も車が多い(参拝者が多い)。
河川敷から堤防道路へ上がると今日歩いてきた宇治岳道の方向を遠望した。ちょっと感動。
堤防道路をさらに進むと前方にはアパートの奥に丘陵である社叢が望める。こちらはお伊勢さん125社、皇大神宮摂社である宇治山田神社(うじようだ)[皇大神宮末社である那自賣神社を同座]の社叢で「興玉森」と呼ばれているそうだ。
アパートの裏へ回り込むと左側、民家の間にこのような参道が続いている。
さすがにこちらには誰もいない。一人だけでお参り。
宇治山田神社を後にすると、続いては月夜見宮へ向かうために来た道とは逆方向へ向かった。パチリ。
民家の間を通り抜けると国道23号 月読宮前交差点にでる。
月讀宮に関しては第62回神宮式年遷宮の遷御の儀に向けて準備が進められていたので、別の記事で紹介する。
月讀宮にてお参りを終えると御幸道路へと出て倭姫宮を目指した。伊勢自動車道の高架をくぐると坂道を進み、御幸道路に立つ大鳥居の下でパチリ。
倭姫前交差点にて左方向へ。
倭姫宮の表参道にある鳥居をくぐった。
振り返ると鳥居の先には神宮文庫の表門(旧御師福島みさき大夫の邸門で、通称、黒門)が望める。
谷筋を辿るように参道を下ると最後には石階を登ることになる。
石階を登ると左手にある手水舎で心身を清め、さらに先へ進むと右手には倭姫宮の新御敷地があり簀屋根で覆われている。今は槌音も聞こえず中の様子を図り知ることはできなかった。
倭姫宮にお参り。
倭姫宮でのお参りを終えると後は帰途に着くだけなのだが、この後も寄り道が続いた。
まずは、倭姫宮の近くにある神宮農業館に立ち寄った。
すると入口には長期休暇の案内が貼られていた。
長期休暇することは知っていたが、開始時期を把握していなかったので・・・。
掲示内容は次の通り。
神宮徴古館および神宮農業館は耐震工事のため長期休館中です。
工事期間 平成26年8月25日(月)から平成27年10月30日(金)まで
神宮農業館を後にすると伊勢市消防本部付近から裏道へ入ると塩江変電所脇を通り
JR参宮線 大町踏切に到着。
どちらを望んでも直線だ。
踏切を渡ると三重県立伊勢工業高等学校の校庭を左に巻くように進むと勢田川に架かる中橋を渡った。
その先で河崎本通りへと入ると
河邊七種神社お参り。
鳥居の脇には次の立札があった。
平成二十七年十一月吉日
御神遷
河邊七種神社
また、境内にはお白石が準備されていた。
河邊七種神社にお参りした後、左隣りにある吉家稲荷神社にもお参り。
そして、河邊七種神社を後にすると最後に八間道路を横切り船江上社へ向かった。
船江上社の鳥居をくぐると
すぐ右手にはこちらもお伊勢さん125社、豊受大神宮摂社である河原淵神社。
お参り。
隣の船江上社にお参りした後、朧ヶ池をパチリ。かなり日が傾いていた。
船江上社を出ると帰宅予定時刻に設定した17時に間に合うように足早に歩いた。
何とか間に合いそうだったので、自宅近くに戻ったところでパチリ。
さらに、今日歩いた朝熊岳道、宇治岳道を思い出しながら朝熊ヶ岳を遠望した。
ズーム。
ズーム。
長い一日がかりのウォークが終わった。
【 20140921 の記録 】
- 朝熊ヶ岳(朝熊山)経由の伊勢市内巡回ウォーク
→ 遷御の儀に向けて雨儀廊が準備された月讀宮