2014年10月04日(土) 御戸祭(月讀宮、月讀荒御魂宮) (車、徒歩)
第62回神宮式年遷宮、皇大神宮の別宮である月讀宮および月讀荒御魂宮では遷御の儀に向けた遷宮諸祭が次々と執り行われた。
予定は次の通りであった。
【月讀宮】
御戸祭 10月 4日 8:00
御船代奉納式 10月 4日11:00
洗清 10月 4日14:00
【月讀荒御魂宮】
御戸祭 10月 4日 9:00
御船代奉納式 10月 4日12:00
洗清 10月 4日15:00
月讀宮の近くにある実家に車を駐めると御戸祭を拝観するために7時40分過ぎに月讀宮に到着した。御幸道路側の鳥居をくぐると長い参道を歩いた。
手水舎にたどり着く頃にはすでに祭典の開始を告げる報鼓が鳴らされた。
私が手水を受けるまもなく参進は開始された。
宿衛屋の正面に並んでいた神職と小工は祓所へと向かった。
次の写真の左奥に祓所があるが、この場所からではその様子はわからない。
修祓に際して「低頭している?」
神饌と奉仕員の修祓が執り行われている間、先日の疑問の回答を見つけてしまった。
それは、宿衛屋の入口付近に設置されていたこの場所だった。
【参考】
遷御の儀に向けて雨儀廊が準備された月讀宮 2014年09月21日
この上には、手水を垂らす土堝が置かれていた。このためのものか!
私の意識が寄り道している間に修祓は終了し、神饌を納めた辛櫃は新宮へ運ばれると
神職および小工は現宮へ歩を進めた。
その後、宿衛屋の前で待機していた神職二名は御塩で清められると 新宮(20141013訂正) 小工の後に続き現宮へと向かった。
しばらくすると現宮にて儀式を終えた一行が戻り新宮へ向かった。
月讀宮の社殿前に著いた。
御戸祭(みとさい)とは鑿(のみ)と槌(つち)で御扉に鑰(かぎ)穴を穿(うが)つ祭典で御造営の総仕上げ、御戸祭が終了すると新宮は完成となる。
献饌等の後、この作業が執り行われたと思われるがこの場所からでは詳細に拝見することはできなかった。(想像、想像・・・)
月讀宮での御戸祭が終了すると時間を置かずに続けて月讀荒御魂宮の御戸祭が開始された。奉仕員は雨儀廊を下ると現宮がある御敷地へ移動した。この時点での拝観者はこんな感じだった。
奉仕員が新宮へ戻ってくると、
月讀荒御魂宮での御戸祭が開始された。
私は、昨日(10月3日)に竣工された宇治橋の鳥居をくぐるため内宮へ向かうことにした。
御船代奉納式が開始される時間までには戻ってこようと・・・(しかし、祭典の予定は合ってないようなものだ。その件について別の記事で紹介しよう。)月讀宮を後にした。
【 20141004 の記録 】
- 御戸祭(月讀宮、月讀荒御魂宮)
- 中村町公民館前の秋葉神社と横たえられた道標、お白石
- 中村町公民館前から内宮への散策
- 御厩の脇にある小さな屋根?(内宮)
- 三重県産清酒奉納(内宮)の銘柄、製造元一覧
- 建て替えられた宇治橋の鳥居、私のくぐり初め
- 宇治山田神社(那自賣神社を同座)
- 洗清(月讀宮、月讀荒御魂宮)