2014年12月07日(日) 伊勢神宮御萱場とふるさと歴史館めぐり旅(度会町) (車、徒歩)
11月21日の伊勢新聞に「伊勢神宮御萱場とふるさと歴史館めぐり旅」の開催予定が掲載されていた。その記事を見るなり私は迷うこと無く電話を手にした。このめぐり旅では私のお気に入りである久具都比賣神社、さらにぜひとも訪れたいと思っていた神宮御萱場がめぐりの地となっていたから・・・。
久具都比賣神社といえば今年の初詣の神社だった。
【参考】
- 初詣、外宮でも内宮でもなくお伊勢さん125社の久具都比賣神社 2014年01月01日
また、神宮御萱場はいつも機会あるごとに遠望していた。一度だけ近くまで訪れたことがあるが中へは入れないので・・・。
【参考】
- 神宮御萱場(度会町川口) 2012年12月29日
この旅では神宮御萱場を訪れて写真を撮影することができたのだが、インターネット等での公開しないことが撮影条件となっているため、ここでは神宮御萱場の写真を紹介することはできなかった。
また、来年の4月半ば頃には、度会町役場のホームページにて、神宮御萱場をめぐる旅の参加者を募集するそうなので、神宮御萱場を体験したい方は要チェックだ。
【参考】
前置きはこれくらいにして、伊勢神宮御萱場とふるさと歴史館めぐり旅に出発!
宮リバー度会パーク バザールわたらいの正面にある第3駐車場へ集合。受付を済ませると
次の行程表を確認。
目的地を抜粋すると次の通り。
- バザールわたらい産直市
- 久具都比賣神社
- 森添遺跡
- 度会町ふるさと歴史館(旧小川郷小学校)
- レストラン”バザールわたらい 楽膳 日和”
- 神宮御萱場
- 川口五輪堂
バザールわたらい産直市の見学を終えるとマイクロバスにて久具都比賣神社へ移動。
久具都比売橋の手前でパチリ。
橋を渡って久具都比賣神社へと向かう。あとで知ったのだがこの辺り一帯は森添遺跡だった。
ほどなく見慣れ、歩き慣れた久具都比賣神社に到着。
【参考】
神社の社域では落ち葉を払う作業が続けられていた。お疲れさまです。
また、案内人である橋本丈男さん(次の写真で法被を着て、帽子を被っている方)から説明をいただいた。
【参考】
私は体験重視型で知識が伴わないため、このように説明を受けるとすべてが新鮮でありがたい。
こちらは、久具都比賣神社で斎行された新嘗祭の巡回祭典の様子を橋本さんが撮影されたものだった。
このように、神宮の五大祭(祈年祭、6月と12月の月次祭、神嘗祭、新嘗祭)では久具都比賣神社においても祭典が執り行われ、その日時は内宮での祭典の2日遅れで午前9時30分とのことだった。機会があれば訪れてみたい。
最後に全員で参拝。
社殿の右奥には次の注意書きが垂らされていた。「マムシ注意」。
ここには小道があり、その奥、宮川の右岸には倭姫命が巡行時に化粧したとされる小判型の湧水池(姫の鬢水入れ)があるとのこと。
参拝を終えて社域を出ると
続いてはもうひとりの案内人である奥義次さんが登場。度会町ふるさと歴史館(旧小川郷小学校)で森添遺跡について説明するためにまずは現地を紹介するとのこと。実は神社周辺が森添遺跡と呼ばれる遺跡で三重県の縄文文化を知るためには重要な場所なのだそうだ。(ビックリ!)
実は奥義次さんには初めてお会いする気がしなかったのだが、帰宅後に思い出した。
【参考】
橋本さんが案内人を交代すると久具都比賣神社の北側にある上久具の渡し跡を少しだけ見学。度会町ふるさと歴史館を訪れた際に当時の渡しを撮影した写真を見かけたので後ほど紹介する。
渡し跡からバスへと戻る途中、お参りした久具都比賣神社の社叢をパチリ。この周辺、ここも
ここも、あちらも・・・ 森添遺跡。
バスで上久具から下久具へ向かう途中に、車窓から久具都比賣神社の社叢をパチリ。
集合前に訪れた下久具の大岩の前の道路を通り過ぎて突き当りを右折すると川口交差点に到着。
【参考】
ここを右折して一之瀬川に沿って走った。
・・・
度会小川郵便局付近へ到着すると信号のある交差点を右折。
すぐ左側に旧小川郷小学校が建っている。
校舎の正面(反対側)へ向かうと玄関には「相談支援センターブレスわたらい」看板があり、その下には「度会町ふるさと歴史館」のポスターが貼られていた。
スリッパに履き替えるとそこには「小川郷小」の文字があった。
教室の一部が森添遺跡展示室となっていた。
今回は団体での行動なのでじっくりと見学することはできなかったので、雰囲気だけを紹介することとし、改めて訪問することにした。なお、度会町ふるさと歴史館の開館日時は毎月第1木曜日・第3日曜日の午前9時〜午後4時の月二回なので、お間違いの無いように!
【参考】
見学順路に従って・・・
森添遺跡(もりぞえいせき)の発掘調査
森添遺跡は度会町上久具字森添ほかにあり、宮川の右岸に位置します。そこは上久具の集落がある中位段丘の東につづく微高地で、宮川が氾濫するたびに土砂が堆積した自然堤防です。
上久具には「久具の渡し」がありましたが、渡しにかわって「久具都比売橋(くぐつひめばし)」を架けることになりました。計画では橋にいたる道路部分が森添遺跡にかかわることから、工事に先立って遺跡の発掘調査を行いました。調査面積は約1200平方メートルです。
■1次調査…昭和61年7月21日〜8月31日
■2次調査…昭和61年10月6日〜昭和62年1月31日
■3次調査…昭和62年4月6日〜10月31日
森添遺跡
縄文時代の中期と後期・晩期にわたる遺跡で、最盛期は縄文時代後期末から晩期初頭(約3000年前)と思われます。24層におよぶ土層が認められ、最も深い部分は5mを越えることがわかりました。特に6層と9層で多量の遺物が出土し、竪穴住居跡が10棟あまり確認されています。
森添縄文村の誕生
発掘調査では最下層から約4500年前の大きな深鉢が出土しました。煮炊き用に使ったのか、亡くなった人を葬った棺であったのか、それとも使用後棺に転用したものか、持ち運びも容易でない土器がどのようにして用いられたのか、いろいろ推測することができます。その頃の土器片も若干確認されていることから、初めて森添を生活の拠点としたのは縄文時代中期半ばの人たちでした。
その後、中期末〜後期初頭にも人々が暮らしたことが確認されました。残念ながらその階段の資料は土器以外のものが少なく、具体的な様子はあまりわかっていません。
くらしの道具 土器1
森添遺跡の最盛期と考えられる後期後半から晩期初頭(約3000年前)の西日本一帯では、土器の文様にヘナタリなどの巻貝を用いて、口縁部から胴部にかけて何本も線を引いたり、刻み目や圧痕を施す沈線文や凹線文が流行しました。
器形には深鉢を中心に浅鉢・鉢・注口土器などがあり、深鉢・鉢は煮炊き用、浅鉢は盛り付け用、注口土器は液体を入れるために用いられました。深鉢・鉢の外面が煤けていたり、炭化物が付着しているのは煮炊きしたためです。
森添遺跡の土層
森添遺跡は県内では例のない厚い堆積層を持つ遺跡で、土層は24層を数えました。最下層の文化層は18層で、4mあまりの深さになります。6層や9層では大量の遺物が出土しています。土質は全体に砂質土で、主として宮川の氾濫によって堆積した土層であると思われます。調査の終了後、「剥ぎ取り」という方法で保存したのがこの展示物です。
浅鉢(隅丸方形浅鉢)晩期後葉
約2500年前、北部九州にいち早く、稲作が伝来したころの土器。口縁は真上からみると方形で、横からみると見事な波状を呈する。森添遺跡の土器の中では三本指に入る優品。
こちらが、上久具の渡し(宮川)の写真。貴重なものなので紹介させていただいた。
くらしの道具 石器
縄文人の生活に石器は必需品です。用途も幅広く種類もたくさんあります。狩猟用の石鏃(矢じり)、動物などを解体する削器、木の実などを粉砕する石皿・磨石・凹石、漁労用の石錘・浮子、木材伐採用の磨製石斧、穴掘り用の打製石斧などがあります。
これらの石器はそれぞれの機能・用途に合った石材が選択され、宮川の川原石を利用するだけでなく、石鏃・削器などの小型石器には奈良と大阪の県境にある二上山産サヌカイトが原石で持ち込まれ、盛んに製作・使用されているのです。
私が気になったのはこれらの丸い石。外宮の古殿地で見つけたあの石に似ている。
朱の生産と供給
縄文時代の祭祀具には赤色顔料が多用されています。これにはベンガラと朱(しゅ)の2種類があり、特に朱は採取、精製が難しく希少価値がありました。
伊勢南部は全国に先駆けて朱の生産がおこなわれ、森添遺跡はその有力な生産拠点でした。それを示すのが朱の付着した磨石(すりいし)・石皿や多系統の土器の数々です。それらの土器の出土は森添産の朱が全国各地に流通していた証しと考えられます。
また、展示室の中央には大型の深鉢が置かれていた。
約5000年前の大型の深鉢。
地表下5mの18層から出土した。口縁部は復元による。器面全体に縄文を施し、胴部上半には爪形を刻んだ隆帯(りゅうたい)が幾何学的な構成でめぐる。中に、人骨は認められなかったが土器棺として用いたものであろうか。
全体に施された縄文に加え、
上部にはこのように粘土の紐で作られた隆帯のインパクト!
歴史館には森添遺跡の展示以外にも農機具や民具なども展示されている。
これは藁縄を作る道具のようだ。
ほかにも多数・・・
度会町ふるさと歴史館を後にすると
時間があったので、近くにある小川郷神社にお参り。
こちらには一度訪れたことがあったので懐かしい。
【参考】
この後、バザールわたらいにて昼食だったので、来た道を戻ると栗原付近を通過。この付近には一之瀬川唯一の渡し場があったそうだ。(他の場所では飛び石や丸太・・)
さらにその先で右手に・・・。待望の神宮御萱場が望めた。昼食後のあの地を歩くことができる。気分が高揚した。
バザールわたらいにて茶そば他の昼食。
休憩を終えると本日のメインイベントである神宮御萱場へと出発した。先ほどの川口交差点を右折すると川口の地名板の先で赤い橋を渡り、一之瀬川を越えた。
その先はを道なりに進むと、「←五輪堂」の案内板。帰りはこの道を戻り予定だった。
バズはさらに進むと神宮御萱場が望める橋の手前で停車し、我々は下車した。ここからは歩きだ。
道なりに進むと御萱場がどんどん近づいてきた。
しかしながら、最初に説明したように神宮御萱場の写真をインターネット等で公開することはできない。
興味がある方は度会町が主催する次回のめぐり旅に参加されたし。
神宮御萱場をゆっくりと歩き、管理事務所では束ねられた萱を見ながら説明を受けた。第62回神宮式年遷宮では屋根材としては平成18年より2万3千束の萱が神宮御萱場で採取された。束の直径は約40cmで高さは2mを越える。抱えるのも大変な大きさだった。念願がかなった。
神宮御萱場の散策を終えると別のルートで御萱場を後にした。そのルートは先ほど案内板を見かけた五輪堂へと抜ける山道だった。
御萱場の門を出ると目の前に次の橋が架かっていた。その先には多数の石積みが続いていた。これは棚田。
この付近にも多数の棚田の跡が残されている。
落葉のじゅうたんが敷きつめられた山道を進むと
シダが群生する場所を通り抜け
五輪堂の石段下へ出た。こちらにも訪れたことがある。
【参考】
以上でめぐり旅は終了の予定であったが、時間に余裕があったため五輪堂にも足を運んだ。
お参り。
五輪堂を後にすると宮リバー度会パークへと戻ると
『伊勢神宮御萱場とふるさと歴史館めぐり旅』は終了となった。
また、参加したいめぐり旅だった。主催者、案内人、参加者の皆さんに感謝!
【 20141207 の記録 】
- 下久具の大岩(度会町下久具)
- 伊勢神宮御萱場とふるさと歴史館めぐり旅(度会町)