2015年02月11日(水) 一之瀬神社の獅子神楽(度会町脇出) (車、徒歩)
三重県度会郡度会町の無形民俗文化財に指定されている一之瀬神社獅子神楽、一之瀬神社(度会町脇出)には何度か訪れたことがあったのだがその時はいつもひとりの空間を楽しんでいた。そんなひっそりとした境内もこの日だけは多くの拝観者で溢れかえっていた。以前から拝観したいと思っていた一之瀬神社の獅子神楽をやっと拝観することができた。
【参考】
なお、拝観後の帰途、小俣図書館へ立ち寄って度会町史を探し、一之瀬神社獅子神楽について調べたので、その概要を先に記しておこう。(いつものことだが現地へ向かうのを優先してしまうため、知識は後追いになってしまう。)
三重県度会郡度会町にある南中村、和井野、脇出、市場の四集落には獅子頭一頭、天狗面が二面ずつあり毎年2月14日・15日の両日を祭日として各集落の氏神に獅子神楽を奉納してきたが、現在は毎年2月11日、一之瀬神社大祭にて奉納している。各集落の頭屋や公民館で舞うヤドバン(宿番)と一之瀬神社に奉祀するミヤバン(宮番)があり、ミヤバンは毎年交代して奉仕してきている。
この神楽は地区青年団の男子が中心となって獅子頭をかぶり笛、太鼓、囃にのせて舞う神事であり、その起源は寛文年間(1661~72)といわれているがはっきりしない。古老の話によると愛洲氏が脇出に築城したおり、その城の隅櫓にあった四頭のうち三頭(南中村、和井野へは一頭ずつ。脇出、市場へは共有で一頭)を分けたと言われ、その後脇出は、文化五年(1808)に共有の獅子頭を市場に譲り新調したという。神事に際し、舞人三~五人、笛吹き四人、太鼓打ち一人、口取り(ホック)二人、謡役四人が前日より斎戒沐浴し火の物を断つと、神事の当日は夜明けとともに神社の奉蔵庫より獅子頭を宿に招いて地区でのヤドバンを舞う。宿で舞い終えると笛太鼓を吹奏しながら神社に参進し祭典が終わると社前にてミヤバンを舞う。このミヤバンには氏子の平和、健康、五穀豊穣、相互扶助、繁栄の祈願は込められている。
舞い方は集落により多少異なるが、一番舞から三番舞まである。【舞の順序と種類】
たとえば、南中村では
●一番舞
(1)ホック舞 :ホックが扇子を持ち、一人ずつ二回舞う
(2)獅子舞 :キリ舞い、ミコ舞、フセオコシ舞の順で舞う
(3)幼児成長祈願 :小児の頭を獅子がくわえる
(4)舞いあげ●二番舞
(1)ホック舞 :一番舞とほぼ同じ
(2)獅子舞 :一番舞とほぼ同じ●三番舞
(1)ホック舞 :ホックがナムアビランケンソワカと呼ぶ木製の50センチほどの刀剣を右手に、扇子を左手に持って一人ずつ二回舞う
(2)獅子舞 :キリ舞い、ミコ舞、フセオコシ舞の順で舞う
(3)悪魔祓いの舞●チイメド
・ホックが天狗面をはずし素面で、一人ずつ舞い納めるチイメドが済んでから舞庭で「座」と称する盃事を行う。この他、舞いの間にククメモノがある。
●ククメモノ
・これらはもともと各戸での御頭による祓いに対して供物を捧げたことを引き継いでおり、ここでは金銭を白紙に包んだり、これを榊の小枝に結びつけてお頭の口中に入れて拝する。【舞の呼び方ほか】
・集落により異なり、コメツキ、オオマワシ、フキアゲなどと呼ぶ地区もある。ホック舞(口取り)は「くっとり唄」と笛、太鼓にのった悪魔祓いの舞いで、獅子舞とは独立し剣舞のように勇壮である。また、獅子舞は「獅子唄」と笛、太鼓にのって舞うものである。優雅にみえる舞ぶりからやや荒い舞まであり地区によって差がある。【服装】
・獅子舞は和服に袴をつけ白足袋を履く。ホックはこれに素襖風の舞着、楽人は裃を着用する。【獅子への供物】
・地区によって異なり、南中村では、三宝に鏡餅、串柿、ダイダイ、里芋の親がのせられ、お膳には、大根二本、ダイダイ、水杓、カワラケを数枚稲わらで包んだもの二連が添えられる。脇出では小判型の餅がいくつか縄にはさまれており、エビなども使われ竹籠に供えられる。参考図書: 度会町史、第四章 町指定文化財の一之瀬神社獅子神楽(一之瀬神社)
現在の「一之瀬神社獅子神楽」奉納内容とは一致しない部分もあるようだが、ここで説明されていることが「あっ、これこれ!」となる点も多い。
ここからは、実際に拝観した「一之瀬神社獅子神楽」の様子を紹介する。(なお、ここでは「一之瀬神社獅子神楽」に奉仕する各集落の呼称を「南中村」、「和井野」、「脇出」、「市場」と記す。)
小俣町の官舎神社を後にすると宮川の左岸を走り、途中から一之瀬川の左岸を遡った。一之瀬神社に到着すると社務所前には幟が立てられていた。
手水舎にて心身を清めると
鳥居をくぐって石階を進んだ。
その正面にある拝殿にてお参りしてから境内を眺めると先ほど歩いた参道の左右には獅子神楽のための舞庭が準備されていた。
拝殿を背にして左手(東)、
そして右手(西)の二箇所。
こちらでは4地区の集落(南中村、和井野、脇出、市場)が獅子神楽を奉納するため、同時に二つの集落が奉納し時間差で次の二地区が奉納するとのことだった。
獅子神楽の奉納は12時開始の予定だったので11時半前に到着したところ、しばらくすると遠くから太鼓の音が聞こえてきた。急いで社務所前の階段を下ると目の前には軽トラック、さらに前方から・・・
早足で近づくと先頭には太鼓を担いだホックが二名、その後ろに・・・
【動画】 32秒(1.5 MB )
こちらは脇出の方々だった。
石階を上り、
拝殿前にお参りを済ませた。
脇出が西側の舞庭へ移動して準備を始めると
別の太鼓の音が聞こえてきた。
先ほどと同じ場所へ向かうとこちらは市場の方々だった。
後ろのホックが担いでいる供物は餅とエビ。(脇出と同じようだ)
こちらが獅子頭。
石階を上ると
お参りの後、東の舞庭へ移動すると
獅子頭が準備された。
東・西の舞庭で同時に獅子神楽が執り行われるのでどちらを拝観しようか?迷ってしまう。
(今回、脇出の獅子神楽(最初から最後まで)を三脚に固定したコンデジで動画撮影した。しかしあまりにも時間が長いためどのように公開しようか思案中、ここでは手持ちのカメラで撮影した動画を紹介)
定刻の12時、役場のチャイムがなると脇出の獅子神楽が開始された。
続いて、市場の獅子神楽も開始された。
まずは、ホック舞。
【動画】 1分02秒(2.9 MB )
【動画】 1分35秒(4.5 MB )
石階から拝殿へと続く参道、拝観者は背中合わせ。
ホック舞が終了すると獅子舞が開始された。
脇出、
【動画】 2分59秒(8.5 MB )
市場、
【動画】 1分56秒(5.5 MB )
脇出の獅子舞が開始されてから約30分、獅子頭が屈みこんで大きな口を開けると
小児が獅子にくわえられた。これは「幼児成長祈願」。
しばらくすると、次に獅子神楽を執り行う和井野の方々が登場した。
獅子舞が終わると
【動画】 51秒(2.4 MB )
ホックが来賓、拝観者、・・・の頭を扇子で叩いて回った。
【動画】 29秒(1.4 MB )
そして、最初の獅子神楽を終えた獅子頭、こちらは脇出、
こちらが市場。
次の獅子神楽の開始まで少し時間があったので、手水舎前に建つ掲示板へ向かった。私が到着した時には貼られていなかった
この掲示が新たに貼り出されていた。「例大祭 二月十一日(水曜日)」
これによると、次が南中村が東で、和井野が西。
なお、近くに停まっていた軽トラックの荷台には次の供物が載せられていた。
境内へ戻ると南中村と和井野による獅子神楽が開始された。
まずはホック舞、
【動画】 34秒(1.6 MB )
続いて、獅子舞。
また、獅子舞が一段落すると南中村でも小児が獅子に噛まれた。
その前に榊が・・・、
これは先の説明にある「金銭を白紙に包んだり、これを榊の小枝に結びつけてお頭の口中へ」のククメモノだろうか。
続いて小児の噛み。ここではククメモノと幼児成長祈願が同時に行われたのか?
隣の舞庭へ移動すると太鼓が力強く打たれた。バチを持つ手のタメが素晴らしい。左右の肩甲骨の動きが目に浮かぶほどだ。
地に頭を擦り付けるようなしぐさの獅子、この体勢で一周してから
一気に頭を持ち上げる。この所作が繰り返された。
和井野でも獅子舞が一段落するとククメモノと噛み。
この後、場が清められると
舞い上げられた。
獅子舞が終了すると、ひとりの舞手が供物を担いで舞庭を回ると、続いて太鼓を担ぎあげてその動作を繰り返した。
南中村、和井野の獅子神楽が終了すると境内にはそわそわした雰囲気が漂っていた。それはこれから餅まきが行われるから?
そんななか、境内では獅子の座であり、舞手の控え場であるウマヤが片付けられていった。
一之瀬神社例大祭での獅子神楽奉納が終了すると、最後に舞姫による豊栄の舞が奉納された。
以上ですべての奉納が終了し、拝観者が待ちに待った餅まきが開始された。
私は撮影に徹しようと思っていたのだが、偶然にも目の前に多数の餅が飛び落ちた。『取ってくれ!』と言わんばかりだったので、次々とアウターのポケットへ、右が一杯になり、続いて左へ・・・。
ヘルメットを被っている人達がいたのだが、その必要性を思い知った。餅に気を取られていると頭に餅の直撃を受けた。しかも二回も。「餅は痛い!」、私の教訓になった。
餅まきが終了すると
拝観者は一気に石階を下った。
境内は静けさを取り戻し、徐々に日常へと戻るだろう。
私も一之瀬神社を後にした。
帰宅後にアウターのポケットから餅を取り出すと表面の汚れを取り除いた。何と、知らない間にこんなに拾っていたのだった。しかも紅白が半々に近い。美味しくいただこう!