2015年05月31日(日) 伊勢神宮の奉曳車での お木曳(桑名七里の渡し場 伊勢国一の鳥居建て替え) (電車、徒歩)
桑名 七里の渡し場には伊勢国一の鳥居として立派な鳥居が立っている。以前、東海道〜伊勢街道を歩いた際の姿がこちら。(渡し場方向をパチリ)
【参考】 東海道 七里の渡しから富田(近鉄桑名駅~一目連神社) 2013年05月05日
神宮式年遷宮では、内宮および外宮の御正殿 棟持柱として20年間の役目を終えた柱は宇治橋の東詰および西詰の鳥居として生まれ変わる。さらに、宇治橋の東詰および西詰にて建て替えられた旧鳥居はそれぞれ関の追分一の鳥居および桑名 七里の渡し場一の鳥居として第三の人生を迎える。
第62回神宮式年遷宮では、偶然にも宇治橋西詰での鳥居建て替え作業を目にすることができた。
【参考】宇治橋鳥居竣工に向けた西詰に立つ鳥居の建て替え作業 2014年09月30日
伊勢国一の鳥居として生まれ変わり新たな20年の歴史を作り出す鳥居、桑名では一の鳥居建て替えに際してお木曳が執り行われた。今回は神宮から奉曳車を借り、伊勢神宮奉仕会青年部の協力を得て「伊勢のお木曳」のスタイルでの奉曵、これは拝観しない理由はない。ところが数日前にブログ用のサーバでトラブルが発生しその対応に追われた。「もうダメか?」と思ったが、なんとかトラブルを解消させて桑名を訪れることができた。こんなことがあり「桑名七里の渡し場 伊勢国一の鳥居 お木曳」はなおさらに感慨深いものとなった。
9時10分から出発式が開始されると聞いていたので、7時15分宇治山田駅発の名古屋行急行にて桑名駅を目指した。桑名駅へ到着すると東口から・・・
出発式が開催される桑名市民会館へ向かった。周辺の道路はすでに車両進入禁止となっていた。
出発点である桑名市民会館前へ到着すると、前の道路には新しい鳥居の柱、二本を載せた奉曳車が出発を待っていた。
出発式が始まる前に周辺を動きまわっていたら第62回神宮式年遷宮の遷宮諸祭儀、行事にてよくお会いした知人と再会。
【参考】
その方からこれらのパンフレットを頂いたので、掲載。
奉曳車から先頭方向へ歩いてみるとまずは白い幟旗を発見。それぞれに「壱」「弐」「参」「四」。
さらに、その先には赤い幟旗。ここにも「壱」「弐」「参」「四」。
その先は黄色、
そして先頭が緑色。つまり、四色 × 4 = 16 のブロックで曳き手をまとめていた。これも伊勢で特別神領民を迎える際のスタイルだった。伊勢神宮奉仕会のノウハウが活かされていたのだろう。
奉曳車から綱先(先頭)までは約200m、先頭で折り返して奉曳車の近くまで戻った。しばらくすると
出発式が開始された。神職による修祓の後、挨拶が続いた・・・
出発式が終わると綱が引き出された。
「綱は下から支えるように・・・」のアナウンスに従って、
先へ先へと送られた。
しかし、初めてなのだから仕方ない。綱を送るペースのバランスが崩れると途中で弛むことも・・・。
お木曳の参加者、見学者には容赦なく強い日差しが降り注いでいた。実は、近々まで天気予報は雨を告げていたのだが、蓋を開けてみればなんのことはない。焼け焦げる程の晴天となっていた。(実際、私は強い日差しで灼け焦げてしまったのだった。)
鳥居の柱の根元に巻かれた銅板と大きなしめ縄、「太一」の札、さらに青い空・・・。そろそろ奉曵が始まる。
梃子方は身体に綱を巻いて「準備よし!」
木遣り三本で奉曵が開始された。途中の木遣りと曳き始めの様子はこちらの動画で。
【動画】 1分23秒( 6.6 MB )
【動画】 1分10秒( 5.6 MB )
お木曳のルートはこちら。
しばらく奉曳車の後ろから・・・
途中で右手にある路地を入って先回りするとパチリ。
赤い幟旗付近にてパチリ。
さらに先へ進むと右折する交差点へ到着。交差点の向こう側には石取祭車が鉦と太鼓で声援を送っていた。綱先はすでに右折していたので、
綱先を追い越してから折り返すと石取祭車へと戻った。
石取祭車では応援の鉦と太鼓が叩かれていた。この音を聞くと石取祭を体感したくなる。
【動画】 11秒( 0.9 MB )
そろそろ奉曳車が交差点へと近づいてきたので人垣の後ろから手を伸ばしてパチリ。なぜか日傘を差す女性が目立つ。祭りには慣れてないのだろうか?
交差点を曲がったところでなんとかパチリ。
交差点を右折するとしばしの休憩となった。綱の長さが約200mで、お木曳参加者が約2000人、さらに見学者が・・・。当たり前だが人人人・・・・・・、道路も歩道も人で溢れていていた。
また、同行する医師も大変だ。法被の上からこのベスト、暑そう!
こちらは綱先で、可愛い子どもたちが先導してくれていた。
休憩を終わると「エンヤー、エンヤー」
新しい鳥居は徐々に七里の渡し場へと近づいていく。
奉曳車の背後には、先ほど声援を送っていた石取祭車が次々に続いた。
奉曳車が進む先には
「↑七里の渡し 0.4km」の案内板。
しかし、この交差点では直進せず、桑名宗社(春日神社)の前を通るために少しの回り道となった。田町交差点を右折すると
春日神社の裏手にて
小休止となった。長い(?)休憩だったので曵き手が綱から離れる。そのため綱は台の上に巻き取られた。巻き取られると綱元ではどんどん綱が短くなり曳き手はどんどん少なくなり力がこもった。
何とか曳き込まれると、綱が地面には直接着かないように細心の注意が払われた。
じっくりと休憩。(奉曳車は記念撮影の場所になっていた?)
私は桑名宗社(春日神社)にお参りしてからその正面に立つ青銅鳥居から楼門をパチリ。
楼門へ戻ると
楼門の下に準備されていた神饌を確認した。
楼門にはお木曳のポスターも貼られていた。
休憩時間も終わりに近づいてきたので奉曳車付近へと戻るとボーイスカウト桑名第三団の子どもたちが参加者に冷たい飲み物をふるまっていた。
そろそろ再開だ。
奉曳車の前に巻き取られていた綱が綱元から綱先へと引き出された。
小さな子どもたちも楽しそう。
それに反して綱を引き出すのは大変だ。
やっと先頭に到着。「200m、お疲れ様!」
木遣りの後、奉曵車が動き始めた。
綱先で先導する子どもたちの足取りはまだしっかりしていた。
医師も綱を曵きながら・・・。
奉曳車は
交差点に予め引かれていた白線上を滑らかに進んだ。
【動画】 48秒( 3.9 MB )
先頭を追いかけるには道幅が狭かったため、奉曵とは別のルートで先ほど訪れた春日神社の楼門前へと急いだ。
楼門前で待機していると
綱先が通り過ぎ、楼門の下では神事が開始された。
その間にもどんどん奉曵され・・・
奉曳車が楼門前へ曳き込まれた。
【動画】 1分12秒( 5.7 MB )
しばし、奉曳車は楼門前に停車。
私は楼門前を後にすると七里の渡し場へ向かうことにした。
この場所(先のマップのHポイント)から七里の渡し場までは道路幅がかなり狭いため、見学者は通行禁止となっていた。
その路地を左に見ながら先へ進むと多聞橋を越えてその先を左方向へと進んだ。
遠回りしてから七里の渡し場に立つ鳥居付近へ到着すると
なんと獅子頭が準備されていた。
奉曳車の到着にはしばし時間がかかりそうだったので、周辺を散策すると
先ほどの獅子舞にかかわる祭車が停まっていて、「八幡神社獅子舞神事」「松ケ島祭車」の札が掲げられていた。
鳥居まで戻ると人だらけ・・・
獅子舞好きな私はお木曳のことは忘れてしまい、獅子舞を拝観できる場所を探していた。
奉曳車が到着する鳥居前(綱を巻き取る台を準備していた)を後にすると
蟠龍櫓をぐるりと回って川口水門へと進んだ。
この場所が獅子舞の拝観に最適な場所だと思って急いだが・・・。特等席はプレス専用となっていた。少人数のプレスに確保された広すぎるほどのスペース。仕方なく規制線の外側、この場所から
獅子舞を拝観した。ズームで何とか・・・。
(プレスはどれだけの記事を公にできたのだろうか? 権利と義務は表裏一体だ。)
一の鳥居の元で獅子舞が奉納されるなか、「エンヤー、エンヤー・・・」が近づいてきた。綱が鳥居の階段下で巻き取られると曳き手は鳥居前を右方向へ折れて蟠龍櫓方向へと進んだ。(と思われる。)
お木曳の参加者は蟠龍櫓を左に巻き込むと我々の近くへと進んできた。先頭は緑色の幟旗。
鳥居とは反対方向、私達の背面には長良川の河口堰が望める。
「エンヤー、エンヤー・・・」さらに多くの曵き手が進んできた。
しばらくすると遠くに奉曳車の姿を確認することができた。もうすぐ到着。
白色の幟旗が対岸に見えた。
これで曵き手のほとんどが綱から離れた。
そして、最後の曳き込み、到着・・・万歳三唱! お木曳行事は終了となった。
【動画】 1分20秒( 6.4 MB )
プレス専用のスペースが開放されたので、一の鳥居に近づいて「川口水門」の名前とともにパチリ。見納めだろう。
お木曳の参加者は解団式の会場へと向かった。私は彼らとは離れ、奉曳車の背後へと向かった。
奉曳車の背後に到着するとまずはパチリ。
どうも建て替え作業は翌日に実施されるそうで、これらの柱は奉曳車とともに春日神社まで曳き戻されるとのことだった。その移動のためにフォークリフトが準備された。つまり、お木曳はこの場所が到着点ではなかったのだった。
最後まで追いかけることを決意。
準備が整うとフォークリフトにて奉曳車が曳き出された。
【動画】 1分05秒( 5.2 MB )
鳥居前を過ぎるとその先を左折、
さらにその先の丁字路を左折。
あとは桑名宗社(春日神社)まで直進だった。
その途中で声援を送る石取祭車の提灯の上部に取り付けられた御幣の前には、「奉祝 お 木曳」「平成二十七年五月」と記されていた。
進行方向に石取祭車は詰まっていたために停車した奉曳車をパチリ。
フォークリフトとの接続は、この木製の棒が全てだった。単純な方法が最強だ。
進行方向が開放されると奉曳車が動き出した。
桑名宗社(春日神社)の楼門前で楼門と青銅鳥居の間の広場へと左折。
奉曳車が広場(参道)の右側へ寄せられると
規制線が張られた。
多くの見学者に見守られるなか、
まずは、奉曳車から大きなしめ縄が外された。
続いて
鳥居の柱が一本ずつ丁寧に
吊り上げられると
大型トラックの荷台へと移動された。そして、トラックはこの場を離れた。明日の建て替えまで別の場所で安置されるのだった。
続いては神宮から借用した奉曳車の解体が始まり、解体された部品が次々と別のトラックへと載せられた。
最後に車輪が吊られると
荷台へと縦に配置された。
大きなものだ。
奉曳車だけでなく、綱やその他の備品の積み込みが終了すると解散となった。
「お疲れ様でした!」
私も彼らに引き寄せられるように、トラックの出発を待たずに帰路についた。寺町通り商店街を抜けて
タケル遊歩道を桑名駅方向へと歩いていると
八間通交差点の手前で、大型トラックに追い越された。
赤信号で停車したトラックを見ると
荷台に掛けられたオレンジ色のカバー、その下には奉曳車の車輪があることが容易に想像できた。
二台のトラックは八間通交差点を右折、私は直進した。
なんとも感慨深い私だけのエンディングだった。感動をありがとう。桑名!
6月7日の竣工式は拝観できないので、建て替えられた鳥居をくぐるために近日中に訪れたい。