2015年07月18日(土) 神社港から勢田川、五十鈴川を越えて御塩浜までの散策、十貫松・戸部の神・大切戸の月の輪堤 (徒歩)
お伊勢さん125社まいり 神社・大湊めぐり にて伊勢市神社港に鎮座する御食神社(豊受大神宮摂社)にお参りしてから勢田川、さらには五十鈴川を越えて御塩浜へ向かった。いつもなら国道23号の勢田川橋で勢田川を越えるのだが今日はなかなか歩く機会が無いルートを歩くことにした。
御食神社から一色大橋へと向かうと歩道へ上る階段を進んだ。
階段を上り切ると目の前へとクルマが近づいてきた。
橋の上からは左岸下流側に先ほどお参りした御食神社の社叢が望める。
こちらも下流側、左手には海の駅 神社が確認できる。
さらに、こちらも下流側、これから歩こうと思っている右岸の先だった。
勢田川を越えると歩道用の階段を下った。その途中、前方には伊勢安土桃山文化村の天主閣を遠望。
橋の下にはSANCO 一色大橋 バスのりば。
停泊している一隻の漁船には「大漁 那智大権現」と白文字で染めぬかれた赤い旗が掲げられていた。
一色大橋を後にして右岸堤防道路を下流側へ進むと
その先には一色渡船場跡の碑が建てられている。
この碑を通り過ぎ堤防道路に沿ってさらに進むと多数の漁船が停泊する船着場がある。
今日はこの堤防道路を歩き、勢田川から五十鈴川へと向かった。程なく左手に次の場所を発見。
そこの説明板には
十貫松の美談
昔[1450年頃]、ここ向崎岬は松林のある船着場で一本の大きな松が生えていました。
商用を兼ね伊勢参りに来た船道者が両宮を参拝し、取引先で集金したお金十貫文入った巾着をその松の枝にぶら下げて船待ちをしていました。[船が出るぞ]の声でそのまま急いで船に乗り込んでしまいました。
その船道者は、船が走り出しても気付くことなく船旅を続け、しばらくして巾着を忘れたことを思い出しましたが、どうすることも出来ません、仕方なく諦めかけていましたが、翌年も集金に来て、その松の木を見ますと巾着がお金も入ったままで松の枝に油紙で保護されてそのままぶら下がっていました。
それからいつしか誰言うとなく、村人の善行を称えてこの松は「十貫松」と呼ばれるようになりました。
一色に伝わるいい話です。1498年の明応大地震で向崎岬も崩壊し、明治になってその松も消えてしまいましたが、私達の心には今も消えずに語り継がれています。
平成21年1月建立 一色町自治会
さらに進むと左側は海とも思える川、右側は田んぼを縁に水路(?)。
常時閉じられている防潮扉から望むと前面は水・水・水・・・。まるで海、この付近は左側から流れ込む勢田川と右側から流れ込む五十鈴川の合流地点だろうか。
その背面には、こんな風景が広がっている。青々とした田んぼが広がっていた。
堤防道路をさらに進むと右側には
大きな溜池がある。
池を過ぎてさらに進むと新設された「五十鈴川戸部神排水樋門」がある。排水樋門付近から振り返ると通り過ぎた堤防の近くに鳥居が望めた。
なお、この「五十鈴川戸部神排水樋門」は平成25年5月完成していた。
鳥居がある場所を確認するとここには戸部の神が祭られていた。
説明板はこちら。
戸部(とべ)の神(かみ)
戸部の神は一色神社の末社である。
もともとは風水害、地震等で堤の被害が度重なるために、一色神社から稲荷大明神、戸部命、津彦命を鎮守の神(三神)として奉ることとして、1722年(享保7年)に祭ったものである。
近年までその位置は、今よりも少し南の月の輪堤付近にあったが、排水機場の設置にあたり、月の輪堤が除去されたため、現在の位置に移された。
毎年7月の土用に入った最初の「亥」の日に豊作祈願して祭りが行われる。
平成17年5月建立
この説明にある排水機場は祠の目の前に建っていた。この一色排水機場の設置のため月の輪堤(後で登場する説明板にて紹介されている)が除去されてしまった。排水機場の銘板には昭和45年3月竣工と刻されていた。
五十鈴川 2.2kmポストを過ぎて上流方向へ進むと
右手にはこんな風景が次々と現れた。
水路は遠くまで真っ直ぐに続いている。(勢田川とつながっているのか?と思わせる程に・・・)
また、左方向、五十鈴川の対岸にはこれから向かう御塩浜へ川の水を引き込むための御塩樋管が望めた。(白い軽トラックが通り過ぎているあたり)
視線を右手方向へ戻すと堤防道路脇の斜面の様子が一変した。この先は護岸工事はされず自然な状態となっていた。なぜだろう?
さらに進むと池が堤状のもので仕切られていた。
その堤状の一部には石積みが確認できた。
さらに進むと
月ノ輪堤と刻された標木の隣に説明板が建てられていた。
大切戸(おおきれど)の月の輪堤
昔は、鶴松浜新田の東に流れる汐合川(現五十鈴川)から田を守るために、堤には二ヶ所の「圦(いり)」(一色ではユルと言う)があった。
堤も圦も貧弱で風水害、地震等により度々欠壊し、その都度、奉行所へ願い出ては借金して修復した。
一色古文書によれば、1849年(嘉永2年)の修復では、より堅牢なものを造ろうと、大切戸と戸部の二ヶ所に月の輪型の水門が二重になっている仕組みの堤を工夫した。
作るに当たっては、再三専門家の意見を聞き、また奉行所へも工事修正などを申し出て作った労作である。
今残っているのは、この大切戸のもの一ヶ所である。
平成17年5月建立
つまり、先に紹介した戸部の神がもともと祭られていた月の輪堤(今は除去され排水機場になっている)と同様のものがここに残されている。
堤防道路を挟み、月の輪堤の向かい側には
五十鈴川大切戸排水樋管が設置されている。平成20年3月に完成している。
この先に見える橋は汐合大橋で、内宮の御手洗場から流れている五十鈴川の最下流側の橋である。
川辺へ下ってみるとこんな風景。流木などが多い。台風11号の影響もあったのだろう。汐合大橋の向こう側には汐合橋が見えていた。御塩道は汐合橋を歩くことになる。
視線を上げると親子連れと思われるサイクリストが通り過ぎていった。懐かしい。
神社港から堤防道路を歩いてやっとたどり着いたのが汐合大橋(五十鈴川)の西詰。
長い橋を渡ると
汐合大橋東詰交差点を左折し、御塩浜へと向かった。
(伊勢市内でさえ、まだまだ知らないことだらけだ。)
【 20150718 の記録 】
- お伊勢さん125社まいり 神社・大湊めぐり
- 神社港から勢田川、五十鈴川を越えて御塩浜までの散策、十貫松・戸部の神・大切戸の月の輪堤
- 採鹹作業が開始されていた御塩浜
- 御塩浜から堅田神社までの散策
- お伊勢さん125社まいり 二見めぐり
- 御塩道ウォーク
→ 橘神社から向山を探しての寄り道(伊勢市黒瀬町) - お伊勢さん125社まいり 外宮・宮川めぐり
→ 移動していたお気に入りの丸い石+α(外宮古殿地)