2015年08月23日(日) 近鉄てくてくまっぷ鳥羽三山・赤崎神社コース(日和山省略ルート) (車、徒歩)
多くの目的を持って訪れた鳥羽、それぞれの目的地をつなぐため「近鉄てくてくまっぷ鳥羽三山・赤崎神社コース」を参考に巡ってみた。なお、写真の見出しにある『三重-7 数字』は、てくてくまっぷに表示されている距離を示している。
【参考】 次のリンクにて てくてくまっぷPDF版がダウンロードできます。
このコースどりでは鳥羽の三山をめぐることになっているが、日和山には何度も登ったことがあるので今回は省略して(日和山省略ルート)とした。
【参考】
- 鳥羽の日和山散策 2011年10月22日
- 鳥羽の日和山散策2 2011年11月03日
- 「神島ウォーク」前後の鳥羽散策 2012年10月13日
そのため今回は鳥羽ニ山(城山と樋の山)となった。樋の山に登るのはなぜか初めて。
鳥羽市 市民の森公園を出発すると安楽島橋で加茂川を渡った。そのため、今回はマップの三重-7 4752がスタート地点となった。
最初に訪れたのは、お伊勢さん125社のひとつである赤崎神社(豊受大神宮末社)。こちらではゆかた祭りの日に御神杉を授与していただいている。国道167号に面した参道入口を入ると
慣れた参道を進み石階の下にある手水舎で心身を清めてからお参り。最初が赤崎神社とは幸先がいい。
お参りを終えて石階を下ると途中で次の立札に引き止められた。
これは前回の式年遷宮の際に御遷座を記念した植樹の記し。平成十二年に遷座されたとなると単純に20を足すと平成三十ニ年。以前に見かけた時は摂社、末社の御造営や大修繕について考えも及ばなかったが、この時期にこの内容を見てしまうと次回の御遷座が気になってしまう。いつだろう?
思い入れの強い赤崎神社を後にすると
マップに従って3637(5499)付近にある(鳥羽大庄屋)かどやを目指した。その前に近鉄志摩線 踏切道中之郷第8号にて伊勢志摩ライナーの通過待ち。
踏切を後にして進むと途中にある掲示板にて「賀多神社 式年遷宮」のポスターを発見。今回は式年遷宮に向けた準備が進む賀多神社へのお参りとお木曳行事の詳細な予定を調査することも目的としていた。
さらには、東川材木店付近には「鳥羽なかまち 駐車場」の案内掲示。
その後道なりに進むと松井酒店の前で道はクランクとなり、鳥羽大庄屋かどやの前に出る。いつもなら、かどやを背にしてクランクの先へと進むのだが、
今回はかどやを右に見ながら真っ直ぐ進んだ。
突き当りを左へ折れると細い道を・・・
途中の交差点で左に視線を振ると変形長屋のような出口硝子店の建物が望める。なんとも雰囲気のある建物だ。
さらに先へと進むと蔵、
その入口への石階がお見事。すべてが石で組まれていた。
さらに突き当りにも蔵、この周囲には
蔵、
蔵と貴重な建物が多く残されていた。
近鉄志摩線 踏切道中之郷第2号の手前を左へ折れて線路沿いを進むと
中之郷駅の先へ向かった。
まっぷではこの先も線路に沿って進むことになっているが通行止めとなっていた。
その理由は「平成27年度 旧鳥羽小学校法面崩落防止工事(その2)」の工事。
そのため城山へは、鳥羽城三の丸広場からではなく、中之郷駅付近から急な坂道を登った。坂の上へと進むとその先は旧鳥羽小学校。
校門の脇から中へ入ると
旧校舎をパチリ。
校舎の入口付近を後にすると校舎脇にあり鳥羽城本丸跡へと続く階段を進んだ。
さらにこの上には本丸跡へと続く階段があるのだが、「立入禁止」となっていた。法面崩落防止工事のため重機が使用されているためだった。
そのため、本丸跡の石垣を背にして海とは逆方向を遠望。実はこの方向がこれから向かう樋の山方向で、中央に見えている階段を下ることになった。
本丸跡を過ぎて城山公園へ向かう途中で鳥羽城三の丸広場へと下った。
三の丸広場付近から本来歩いてくる方向をパチリ。もちろんここにも工事看板が立てられていた。
鳥羽城三の丸広場前をまたまた伊勢志摩ライナーが通り過ぎた。
先ほど下った階段を上り返すと城山児童公園に到着。
ここからは大山祗神社へと下った。
大山祗神社では「獅子と天狗の舞」を思い出しながらお参り。
【参考】
- 大山祗(ネ氏)神社 奉納「獅子と天狗の舞」(鳥羽市) 動画あり 2014年04月06日
お参りを終えると先の参道を進んだ。鳥居の先をまっすぐ進むと日和山登山道の入口がある。あれれ、鳥居に近づくと・・・警戒線のテープが張られていた。
その正面へ出ると「がけ崩れの為 通行禁止 大山祗神社」。反対側には何の警告もなかったのに?
鳥居をくぐると真っ直ぐには進まずに右方向に架かる大黒橋で妙慶川を渡った。
その近くには鳥羽城唐人門跡があるのでパチリ。
説明書きはこちら。
また、この近くに油圧ピストン式のゲートがあったのでパチリ。型式は「マイターゲート」と記されていた。
鳥羽城唐人門跡をに続いては先ほど紹介した大山祗神社の鳥居の先にある「日和山登山道」登り口まで移動した。今日は日和山には登らないので(なお、まっぷでのルートはここからは登らないが・・・)この案内板を右に見ながら先へと進んだ。
「こんぴらさん」の道標に従うと
左手には鳥羽みなとまち文学館の案内板。これには惑わされずにさらに先へ進むと
【参考】 惑わされた方はこちら、
- 鳥羽みなとまち文学館 2013年09月07日
右手には賀多神社の参道入口。
10月17日に御遷座を迎える賀多神社の様子は別の記事で紹介し、
【参考】
- 式年遷宮の準備が進められる賀多神社(鳥羽市鳥羽) 2015年08月23日
参拝を終えると先を急いだ。来た道をさらに奥へと進むと電柱に付けられた扇野の宿 扇芳閣の案内板の矢印に従い、
次の丁字路を左へ。そこにはこんな案内板が立っている。今まで何度も見たことはあるが金刀比羅宮鳥羽分社へは未だ足を運んだことがなかった。
まずは、この間近にある常安寺を訪れた。
道路脇には立派な説明板がある。
山門をくぐり立派な境内の奥へと進むと本堂にお参り。
平成5年に終えた本堂屋根修復の際に外された旧鬼瓦、鐘楼と比較してもその大きさがわかる。鬼瓦の大きさは高さが2.4mで巾が3m。
常安寺を後にするとお寺の前の道(坂)を進んだ。
しばらく進むと坂の左手には一の滝地蔵尊霊場。多数の地蔵がまつられていた。
この先で道路は左へ大きく曲がり
扇野の宿 扇芳閣の前を過ぎた。振り返ってパチリ。
坂道はまだまだ続く。
こんな分岐があるが左へ進むと私有地へと迷いこんでしまう。右方向へ道なりに進むと
水道施設だろうか、小さな建物を過ぎ、
こんな雰囲気を・・・
その先で「めだかの学校」の看板が目に入った。その下に「あし湯」の文字も見えたので後で立ち寄ることとし、先へ進んだ。
続いては「明治天皇来鳥記念歌碑」の案内板。
さらには扇野の鐘 展望台。
すべてを過ごして先へ進むとヘアピンカーブの先に
伊勢志摩地域観光案内図が描かれた案内板が立っていた。その右手に金刀比羅宮鳥羽分社がまつられている。
金刀比羅宮鳥羽分社へのお参りと樋の山への登頂(これほど大袈裟ではないが)については別の記事にて紹介する。
【参考】
- 金刀比羅宮鳥羽分社、樋の山(鳥羽市) 2015年08月23日
お参りの後、来た道を戻った。
通り過ごした扇野の鐘 展望台に立ち寄ると意味もなく鐘を鳴らしてから
鳥羽湾の眺望を楽しんだ。そして、遅めのお昼となった。今日はおにぎりを持参しなかったので、途中で買った助六弁当、2種類の味付けの助六と太巻き、赤飯のおにぎりがそれぞれ二個ずつで計八個。十分に満たされた。ベンチに座って昼食をとるのも珍しい。
さらに珍しい行動は続いた。それは「めだかの学校 あし湯」へ立ち寄ったこと。
坂道を上る途中で通り過ぎた扇野の宿 扇芳閣が運営しているめだかの学校、その一画には
休憩スペースやあし湯が準備されていた。
無料の貸出タオルがあり、
あし湯も無料だった。ウォーキングの途中で休憩しない私が柄にもなくまったりとしてしまった。
あし湯でゆっくりし過ぎたためか、少し足どりが重い? しばらく下りなので勢いに任せて進むと先ほどの分岐を右へ進んだ。ヘアピンカーブから外へと・・・
その先では斜面に建ち並ぶ民家の先に海が見え、
歩き始めた頃に立ち寄った旧鳥羽小学校の校舎も全体が望めた。校舎に注目していて鳥羽城本丸跡を確認するのを忘れていた。
まっぷに従ってこの細い階段を下へ下へと駆け下りた。
するとここは本丸跡の石垣を背にして遠望した階段だった。これでつながった。
階段を降り切ると用水路の脇から来た道を振り返った。(この掲示板にも賀多神社の式年遷宮ポスターが貼られていた。鳥羽市内にはいたる所で紹介されているが、ネットでは見つからない。)
先へ進むと突き当りを右へ。階段があり
その途中にはこの案内板があった。
階段を進むとその先には金胎寺の納経所があり、
参道は納経所の手前を左へ続いていた。
この階段を進むと
その先には小さなお堂が建っていた。
境内の左隅には四国八十八ヶ所霊場 順路の案内板があり、階段が上へと続いていた。
その先には第一番から第八十八番までが・・・・。
金胎寺を後にすると先ほどの参道をさらに先へ進んで坂道を下った。
その先には共同水場らしき井戸があり、その奥には石蔵。それは歩いていてよく目にした蔵だった。
鳥羽大庄屋かどやまで戻るとその脇から伸びる路地へ入った。
路地の脇に新たに作られたスペースには西念寺の説明板が建てられていた。
さらに路地を奥へと進むと
こちらが西念寺、鳥羽城から移築された鳥羽藩の菩提寺とのこと。
階段を進むと山門には「鳥羽なかまち」の旗が掛けられ
境内に置かれた椅子には「二行写経 会場 →」と書かれた紙が貼られていた。
毎朝、般若心経を書いている私としてはこの案内は非常に魅力的だった。「二行とは?」
今日は先を急いでいたので本堂にお参りしてから
本堂裏の墓地へと上り、鳥羽を遠望し境内を巡ってからこちらを後にした。
西念寺の山門を出ると右方向へと続く路地へ・・・。
その先には子どもたちの姿があり、
そこが弘法井戸、洗い場だった。
弘法井戸を後にすると先ほどの路地の延長方向へさらに進み、坂道へ。
坂道は右方向へと曲がると左側は京セラ(株)の所有地となっていた。
坂を上る途中で振り返ると
鳥羽湾が望めた。
左側で「ボキ、バキ・・ドザ」と何かが折れて落ちるような音が? その正体は分からないまま先へ進むと
造成地は途切れ、舗装道路も途切れた。この先は地道へと変わり、様相は一変した。
100mほど離れただけでいきなりこんな風景となってしまった。
この変化に驚いていると前方を通り過ぎる物陰・・・。誰だ、いや何だ。周囲の様子を伺うと数匹のサルが走り去っていった。ぶれぶれ写真となってしまったが、
トリミングしたらサルの姿を確認できた。お尻と後ろ足、尻尾、さらに頭の一部。見える人には見える。(当たり前か)
手段だったのでサルを威嚇する声を上げながら先へ進むと新しそうな「←藤之郷 赤崎→」の案内板が立っていた。いまでもこのルートを歩く人がいるのか?
するとその先には奥谷の地蔵がまつられていた。
誰かがこの地蔵さんをお守りしてくれている。
しかし、さらに進んだところ倒木はそのままになっていた。(くぐり抜けられたが)
倒木の先へ進むとコンクリート製の施設があった。
入口の扉が開いていたので恐る恐るなかを覗いてみたが詳細は不明。水道施設跡らしい。
謎の施設を過ぎると倒れた竹が放置されている中をくねくねと進んだ。
竹林を過ぎると民家の跡が続いた。今は住み手もなく朽ちている家屋が・・・
生活感のあるモノも残されていた。
さらに下ると生活感があふれる世界へと戻ってきた。前方には行きに渡った加茂川が望めた。坂道を下り
踏切を渡ると近鉄 志摩赤崎駅に列車が停まっていた。
まもなく踏切の警報機が鳴り始めたのでこの場で待機。今日はどれだけ近鉄の列車を目にしたのだろう。
特急を見送ると国道167号へ出て安楽島橋交差点へ向かった。
この場所、安楽島橋交差点が本日のゴールとなった。ショートカットしたコースだったが、新しい体験が多く非常に楽しかった。
行きに渡った安楽島橋を渡り返すと
鳥羽市の市民の森公園へ向かった。公園に設置されている水飲み場の水がありがたかった。
【 20150823 の記録 】
- 御造替された?志等美神社・大河内神社(共に豊受大神宮摂社)と上社の駐車場
- 御新遷に向けた本殿の御造営 #3(松下社)
- 鳥羽市河内町を訪ねて、河内ダム・棚田跡・山の神・河内神社ほか
- 近鉄てくてくまっぷ鳥羽三山・赤崎神社コース(日和山省略ルート)
→ 式年遷宮の準備が進められる賀多神社(鳥羽市鳥羽)
→ 賀多神社の式年遷宮、お木曳工程と順路(鳥羽市)の確認
→ 金刀比羅宮鳥羽分社、樋の山(鳥羽市)