2015年10月03日(土) 宮川流域案内人とともに一之瀬川・上流域 能見坂峠巡りツアー (車、徒歩)
一之瀬川の下流部については何度か歩いたことがあるのだが、上流部は初めての体験。
【参考】
- 宮川流域案内人の会主催行事「清流宮川の支流を歩こう! 一之瀬川界隈散策(度会町)」 2015年06月07日
- 伊勢神宮御萱場とふるさと歴史館めぐり旅(度会町) 2014年12月07日
ほか
一之瀬川の上流部にはおうむ岩、乙女岩、能見坂峠・・・、今回のツアーではおうむ岩を訪れることができた。さらに私が知っていた一之瀬城址は・・・
丸い石を宮川の河原で探してから、集合場所である宮リバー度会パーク バザール度会前駐車場へ向かった。定刻になると本日のガイドを担当してくださった御村一真さんの挨拶と巡りのルート説明で始まった。
【巡りルート】 (→はバスでの移動)
宮リバー度会パーク バザール度会前駐車場 → 一之瀬城址(散策) → 南中村公園(散策、昼食) → おうむ石 → 昇龍の滝 → (野見坂隧道) → 宮リバー度会パーク バザール度会前駐車場
本日手渡された資料はこちら。
説明が終了すると早速バスに乗り込み、最初の目的地である一之瀬城址へと向かった。
左手に一之瀬川を見ながら・・・
一之瀬城址の近く、旧一之瀬小学校の体育館前にバスが停車し、ここから一之瀬城址の散策。
ところが・・・、歩き始めた方向は私が知っていた一之瀬城址とは反対方向だった。
この案内板の矢印とは逆方向、先ほどバスが走ってきた県道22号を横断すると
路地の先にある一之瀬公民館へと向かった。
こちらでは、教諭で三重県文化財パトロール委員や玉城町文化財委員を担当されている廣福寺の北畠さんによる一之瀬城址について説明があった。
一之瀬公民館に向かって左側に見えるこんもりとした場所が青木山城であり、現在では私が知っていた一之瀬城址と合わせて、一之瀬城であったと考えられているとのことだった。青木山城が一之瀬西域で、一之瀬城が一之瀬東域、もしかすると現在は民家が建ち並んでいる場所を含み全体で一之瀬城だったかも知れないとのこと。なお、合祀によりこの地に一之瀬神社が建ってから一之瀬城址は破壊が続けられているため、これらを保護するために保存会を立ち上げ、町指定文化財として登録されるように活動を続けた。最終的には町指定文化財として三重県下で二件目の登録となったそうだ。
まずは青木山城から・・・(ただし、この場所は私有地であり所有者の承諾を得ない限り自由に出入りできないとのこと。町指定文化財に登録されたので今後は状況が変化するかも知れないが・・・)
この地図に従って公民館前の路地を青木山城方向(次の地図では左方向)へ進むと
伝向井将監屋敷跡付近にて
さらに奥へ入るとこの場所には
小さな五輪塔と墓石が残されていた。この奥には恵華山 寿宝院(旧廣福寺)があった。
さらに奥へ左へ巻くように進むと尾根への取り付きがあり
尾根を登って行くと
その先には青木山城の主郭があった。
そこには複数の山頂標。
なお、主郭の周囲には外敵の侵入を防ぐために複数の空堀が掘られていた。土砂をかぶって堀であることが分かり難い場所もあるが、こちら主郭の西側に残されている空堀はそれなりの深さだった。当時はもっと深かったことだろう。
青木城山を後にするとその麓にある
元広福寺(恵華山 寿宝院)跡へ移動した。なお青木城山は恵華山とも撞木山とも呼ばれたそうだ。
伝向井将監屋敷跡付近へ戻ると近くに立派な屋根が望めた。
あちらがこの地の所有者である青木さんのお宅だそうだ。
青木城跡(一之瀬西域)の見学を終えるとひと騒動・・・、数名がヒルに襲われていたのだった。参加者は足元の点検に忙しくなった。
ヒル騒動が一段落するとこの案内板に従って私が知る一之瀬城址へと移動した。
【参考】
- 一之瀬神社の獅子神楽(度会町脇出) 2015年02月11日
- 一之瀬神社、一之瀬城址(度会町脇出) 2012年12月29日
ほか
続いてはこちらの地図を参考に、
一之瀬神社の鳥居をくぐり、石階を上ると
境内を抜けて
社殿の背面へと向かった。
神社の背面にあるこの場所は、一之瀬城の主郭部で一部が削り取られている。なお、神社の御造営に際し最近でもこの部分は数十センチ削られ、さらに削られた土砂で竪堀が埋められてしまった。これは一之瀬城址の破壊の一例であり、小学校の体育館建設等でもかなりの部分が破壊されたそうだ。このような状況を苦慮し先にも紹介した保存会が立ち上げられ、青木山城址と一之瀬城址は町指定文化財に登録された。
この左側の奥が埋められてしまったそうだ。
ただし、主郭周辺には北側3重堀があり、この部分は当時の様子を垣間見ることができる。30〜40kgの武具を身につけ歩くだけでも大変なのに、こんな場所の上り下りを繰り返せば歩くだけで戦意消失となるだろう。
さらにこちらは東側で急な坂の下には田んぼ、さらには一之瀬川が流れ自然が守ってくれている。
急な斜面を登って主郭を越えてから一之瀬神社の社殿前へ戻ると
社殿を背にして真っ直ぐに・・・
その先は見張り台があり、
その場所には「宗良親王御遺蹟」と刻された碑が建っている。
ここにも山頂標。
見張り台を後にして一之瀬神社の社殿へと戻る途中で
石碑についての説明があった。
宗良親王が読んだ和歌について記されているとのこと。(詳細は?)
一之瀬神社、一之瀬城址を後にするとバスまで戻り、次の目的地である南中村公園へと向かった。
途中、車窓からパチリ。
南中村公園への入付近でバスを降りると県道22号を横断して
公園への坂道を下った。
こちらは有志(個人)の方が設営し、その後をグループとしてその活動を引き継いでいるそうだ。近隣から集めた草木1000本ほどが植えられている。
この公園にて1時間ほどのお昼休憩、昼食となった。
私は、昼食後に秋を楽しんだ。(しかし、日差しは強かった。)
なお、「南中村公園」の看板を出るとその近くには「南中村公園付近の予告標示板 通行規制」板があり、この背面が公園の駐車場となっていた。
そこには、「南中村名所案内」板が建っていた。
これから向かうおうむ石も記されていた。
休憩が終わるとバスに乗り込んだ。県道22号を離れると「おうむ石」の案内板に沿って・・・
こちらは林道に入ってから橋を渡った先にある駐車場。かなりの台数を駐めることができる。
駐車場からは歩きとなる。坂道を進むと両側には棚田が続いていた。
進行方向左側、
こちらは右側。
さらに、おうむ石への登り口の手前にはこんな巨石がある。これだけでも感動モノだ。
ここからはコンクリート製の階段を上るとその先は山道となる。
登りの途中でさまざまなポイントがあり、あっという間におうむ岩へ到着する。
まずは「腰掛石」、
続いて「岩かべ出水」。雨が多い時期には岩の割れ目から勢い良く水が噴き出すそうだ。
「おおむ石守る会の標木」
こちらは「清水」で飲める。なお、、コップも準備されていた。
「雨宿り岩」
しばらくすると左手におうむ石が見えてくる。全貌は見えないが大いなる気配が感じられる。
おうむ石に到着後、御村さんによる説明。
ここでも磯部の鸚鵡岩と同様に語り場、聞き場がある。
【参考】
- 磯部町上之郷、鸚鵡岩ほかの散策(志摩市磯部町) 2015年09月20日
芸達者な方々が歌や踊りを披露し、参加者みんなで楽しみながらおうむ石の効果を確認した。
こちらのおうむ石はその上に立つことができる。ただし、おうむ石の上から落下した事故があったそうで石の縁への立ち入りを制限する有刺鉄線が張られていた。これより先へは行けないので、有刺鉄線の前からパチリ。南中村の家並みが遠望できた。
おうむ石を後にすると下り、下り。
駐車場のバスへ戻ると続いては能見坂越え県道22号旧道の野見坂隧道へと向かった。
旧道にはこんなヘアピンがある。
ワインディングロードを抜けるとその先はトンネルだった。ここが野見坂隧道入口、度会町南中村側。
隧道の入口付近にはこのようは仏像。誰かが「左側は薬師如来だ」と言っていた。
ここではまず「昇龍の滝」案内板に従って滝へと向かった。
ここからも山道を進んだ。
昇龍の滝へ近づくと「小ノ滝入口」の案内板、
さらに、「幸ノ石 いつ生たの今日も元気二ツ石」案内板。
その先、行き止まりとなった場所に落ちているのが昇龍の滝。ここでもヒルが暗躍してきた。
ヒルの危険を回避するため早速引き返すことに・・・
ただし、「幸ノ石」の案内板が気になっていたので、これだけパチリ。おそらくこれが「幸ノ石」?
来た道を隧道前まで戻ると再びのヒル騒動、みんなで足元を点検。
『野見坂隧道を歩いてもいい。』とのことだったので
希望者は隧道へと吸い込まれた。
照明はなく、前後の入口からの明かりだけなので、さすがに暗い。
振り返ってパチリ。後続者が・・・・・・・
隧道の中間付近で頑張って撮ってみると、手掘りの様子がよくわかる。モルタルが吹き付けられているのか?写真ではよくわからないが、形状がまさに手掘りの凹凸感だ。
こちらはもうすぐで南伊勢町への出口、
やっとくぐり抜けた。何か空気感が異なるような、こちらは海、度会町側は山、そんな違いを反映しているのだろうか?
野見坂隧道入口(南勢町側)にはこんな看板、
役行者像、常夜燈・・・、その隣には御木本幸吉が5,000円を寄付したことにより隧道の掘削が開始され旧道が開通したこと称える碑が建っているとのこと。碑文は劣化していて全く読めなかった。
こちらは役行者の像。常夜燈とともに旧の旧道に置かれていたが、人通りが多くなるこちらへ降ろされた。
なお、近くには「南島町」の地名板。今は合併して南伊勢町だが?、ここまで手がいやお金が回らないのだろうか?
この場所から道方山を見上げて「ああ、歩きたい!」。1時間半〜2時間の行程らしい。
せっかくなので海を目にしてから帰るためバスは隧道を戻らずに南伊勢町方向へと進んだ。
野見坂南トンネルへ左折すると県道22号を度会町方向へと進んだ。
野見坂南トンネルに続き、新野見坂トンネルを抜けると
先ほど旧道へ入った分岐を通過、
さらに一之瀬川を渡ると
出発点であった宮リバーパーク内 バザール度会前駐車場へ戻った。
解散、皆さんお疲れさまでした。
今度は、旧道の旧道を歩いてみたいし、本当の能見坂峠を越えてみたい。
【 20151003 の記録 】
- 宮川の河原で見つけた丸に近い石
- 宮川流域案内人とともに一之瀬川・上流域 能見坂峠巡りツアー
- 久具都比賣神社(皇大神宮摂社)と宮川の上久具渡し場跡
- 鳥居が建てられて御造替終了、打懸神社(豊受大神宮末社)
- 撤饌された?、上社(伊勢市辻久留)
- 屋根に銅板が葺かれた松下社(伊勢市二見町松下)