2017年03月25日(土) 五箇篠山城跡の散策(多気郡多気町朝柄) (車、徒歩)
式年御遷座奉祝祭を拝観するため、多気郡多気町朝柄に鎮座する朝柄八柱神社を訪れた。奉祝祭の準備に忙しい中にもかかわらず、私に参拝のしおりを手渡しながらさまざまに説明してくださった氏子総代の方。ほんとうに感謝です。
その際、手にした参拝のしおりに「五箇篠山城跡より」と題した写真が添えられていた。(次の画像の右側)
「あれが五箇篠山城跡ですか?」と尋ねると「そうです。・・・・」と山城に関連する話が。奉祝祭の道列スタートまで時間があったので、「登れますか?」と問うと「図書館のところから整備された道がついてますよ。」とのことだった。
それはもう登るしかない。朝柄川に架かる橋を渡ると
図書館の前にあるこちらの登り口へ向った。石標の雰囲気とは異なり、山道はかなり整備されていた。
登り口にはこちらの説明板が立っている。
五箇篠山城跡
五箇篠山城(ごかささやまじょう)は、多気町古江字城山にあります。朝柄(あさがら)地区と古江地区との境界にある標高140メートル、標高差にして約70メートルの完全な独立丘陵上にあり、周囲の自然地形を巧みに利用して築かれていました。
五箇篠山城の縄張の中心は山上の尾根を東西に深い堀切で分断して築かれた台状の連郭(れんかく)郡とその周囲に配した帯郭(たいかく)からできています。郭(くるわ)には普通土塁(どるい)はありませんが、西端の郭のみ「コ」の字に取り巻く低い土塁があります。虎口(こぐち)もこの郭に設けられており、おそらくここが主郭「本丸」であったと考えられます。南斜面の東に人為的に掘られた円形の窪みがあります。これは井戸もしくは雨水を貯めた跡と思われます。
防御施設の遺構は丘陵北斜面には比較的少なく、南斜面では特に高所に偏って分布しています。これは、北斜面は地形が単純で急峻なため、また南斜面は谷が多く独立した尾根を造っているため、自然の地形をうまく利用して防御施設を造っていたと考えられます。
鎌倉時代中頃、上野国(現在の群馬県)から移り住んだ野呂氏隆がここに城を築いて以来、野呂氏代々の居城であったと伝えられています。
【参考】
時間的にも余裕はなかったので、今日のところはまずは展望を楽しもうととにかく階段を登り始めた。途中で振り返ってパチリ。
最初の階段を登りつめると
こんな風景。ここの視界はあまり良くない。
さらに頂上へはこの先の階段を約160m。
徐々に高度を上げる。
そして、程なくたどり着いたこちらが頂上。
先ほど手にした参拝のしおり、「五箇篠山城跡より」と題した写真と同じ風景を見たくてその場所を探したら
それはこの方向だった。朝柄八柱神社の社叢が望める。
目的の眺望に満足すると
案内板へ近づいた。
眼下には勢和小学校、勢和中学校、
そしてこの奥には左から烏岳(この写真には写っていない)、白猪山、そして片野の集落の先には堀坂山が望めた。
タイムリミットとなったので五箇篠山城跡を後にすると温故橋のたもとまで戻ると朝柄川を遡上した。