2017年07月22日(土) 先日地元の方が結婚式を挙げた高城神社で長官浜を知る(伊勢市二見町今一色) (車、徒歩)
御塩浜を後にすると今一色漁港に寄り道してから訪れたのは高城神社(伊勢市二見町今一色)。
なぜにこちらにお参りしようと思ったのだろう?
それは先月6月25日の伊勢新聞に掲載されていた記事に惹かれたからだった。その記事の見出しは「高城神社で初の挙式」であり、地元で育った若者(卓蒔[たくまさ]さんと里絵さん)が親族や地元住民に見守られ温かな雰囲気の中で挙式したとの内容だった。地元の神社での「初の挙式」、このフレーズで坂社での結婚式をも思い出した。
【参考】
- 羨ましい結婚式、坂社(伊勢市八日市場町) 2017年05月21日
若者で産土神をまつる神社を意識している人はどれくらいいるのだろうか。(確かに私が神社に関心を持ち始めたのは40代半ばだったから・・・)
最近の結婚式はキリスト教徒でもないのにチャペルでの挙式が主流を占める印象がある。(これは個人的な見解だが・・・)まぁ、これはブライダル産業の問題でもあるのだろうが、ニワカ・クリスチャン、これには馴染めないな。神も仏も信心しない人は人前挙式でいいと思うのだが・・・
このような状況の中で産土神をまつる神社にて挙式する若者は微笑ましい。
そのため、その式場となった神社をこの目で再確認しておきたく訪れたのだった。(以前、かなり前に訪れたことがあったので)
こちらが参道の入口、右側には立派な社号標が建ち、左側には
この説明板があった。
高城神社 たかしろじんじゃ Takashiro Shrine
高城神社は、ここ高城浜の砂丘にあり学問の神、菅原道真公と水神(水を主宰する神「弥都波能売神 みずはのめのかみ」)や秋葉の神(火を主宰する神)が合祀されています。
この神社は、以前今一色小学校舎の裏地に祭られていましたが、明治40年の三重県訓令(神社の合祀)をうけ明治41年に溝口区の姫宮稲荷へ西二見地区の氏神様が合祀され、村社二見神社として崇敬されてきました。その後、昭和29年分離復帰し、高城神社として現在の地に移転されました。
現在、新年・節分・春秋の大祭や厄年祭、又、毎月18日に月並祭が行われています。
また、境内には今一色区の生んだ日本画家 中村左洲翁の遺徳を顕彰する筆塚が建てられています。
【参考】
鳥居をくぐると左手にある手水舎にて心身を清めた。次の鳥居をくぐると
左手には歌碑が建ち、その脇には
歌碑を説明する碑があった。
夕霧のゆふべの風の吹はらひ
月澄みのぼる高城の浜 一権祢宜慶彦「高城の浜」は二見が浦の北西辺、今一色海岸で長官浜とも呼んでいます。明治四年(1871)の神宮改革前までは、毎年九月十三日「浜出(はまで)」といって豊受大神宮の祢宜がこの浜に来て祓いを修め、潮水に浴みして見を清めました。
海の上に立ち上がっていた夕霧を浜風が吹きはらって、月がこうこうとさえわたり海面に上ってきた。なんと
美しい高城の浜の眺めだ。 二見町教育委員会
この説明で長官浜なるものが存在していた事を初めて知った。こちらが外宮なら、内宮の長官浜はどこだろう? ネットで調べるとこんな答えが見つかった。
先日訪れた割石のある辺が内宮の長官浜だったのか・・・
【参考】
-
先週にJR参宮線から眺めた五十鈴川の割石との初対面、地元溝口クラブの方々が周辺を整備 2017年07月15日
こちらの鳥居をくぐり
階段を進むと
その先に拝殿が建ち
お参り。
そして社務所の前には
中村左洲翁の筆塚が建っている。
新たな発見をたくさん。高城神社を後にした。
卓蒔[たくまさ]さん、里絵さんお会いしたことは無いと思いますが、
「ご結婚おめでとうございます。末永くお幸せに!」
いいなぁ