2014年06月22日(日) 赤崎祭で授与される御神杉(赤崎神社) (車、徒歩)
鳥羽にある赤崎神社はお伊勢さん125社のひとつ、豊受大神宮(外宮)の末社である。
毎年6月22日には赤崎祭が斎行され、夏の到来を告げる。この日、赤崎神社から近鉄中之郷駅方向へと続く道路は歩行者専用となり多数の露店が軒を並べる。また、鳥羽の市民が浴衣姿で家内安全や厄除け祈願に訪れるため「ゆかたまつり」とも呼ばれるそうだ。
昨年の記事にも記したように、2011年に赤崎祭の存在を知ってからは、この日にだけ特別に授与される御神杉を求めて赤崎神社を訪れている。
【参考】
お伊勢さん125社でありながら独自の崇敬会や奉仕会が個別に授与するケースは珍しい。私の知る限りでは他に一例、伊勢市神社港にある御食神社でのものだ。御食神社では毎年初辰の日に境内にある井戸(辰の井)から御神水が汲み上げられると希望者に配られる。さらに「神札」や「防除辰之井守護神符」も授与される。
【参考】
ちなみに、赤崎神社で授与される御神杉については、赤祭神社にていただける次の資料に説明されている。
(抜粋)
その昔この地方に流行病が発生した際、この宮域内の杉の小枝を門戸に吊るした家々が難を除れたという言い伝えから、毎年例祭日にこの宮域内の杉の小枝を授かり、流行病除厄祈願としてこの杉の小枝を家々の門戸に吊り下げる習わしが今日まで続いている。
3年間(3回)授与していただいた御神杉、ここで途絶えさせる理由がない。今年も赤崎神社へ向かった。
鳥羽市民の森公園から加茂川に架かる安楽島大橋へ向かうと、私の目の前には橋の上で談笑するおばあちゃん達、右側の方は何本もの御神杉を納めた白い袋を手にしていた。
御神杉に思いを馳せながら安楽島大橋の上より赤崎神社の社叢を望んだ。
社叢への入口の正面に近づくと、それらしい場所でパチリ。御神杉は社域への入口付近で授与されている。
安楽島大橋を渡り終えると次の道路案内に従い、横断歩道を渡ってから左折し「賢島、磯部」方向へと進んだ。
進行方向はこんな感じ、
赤崎神社の近くを通る近鉄志摩線の踏切近くに二本の幟が立っていた
こちらが赤崎神社方向。
神社へ向かおうとすると電車が通り過ぎた。伊勢志摩ライナーだった。パチリ。
踏切の警報が消えたので踏切を背にして赤崎神社へと進んだ。こんな数の高張提灯が登場するのは年に一回だけなのだろう。
社域への入口にたどり着くと、真正面には先ほど遠望した御神杉授与所があった。
御神杉は参拝後に授与していただこうと考え、まずはお参り。
参道を進むと右へ直角に折れる。
右へ折れるとすぐ左手に手水石がある。
手水を受けてから石階を登ろうとすると
女の子のふたり連れが通り過ぎた。
石階を登り切ると石階の脇には手水を受けるための手桶が置かれていた。祭典に利用されたものだろう。
普段はこの社標と社殿のみだが、
今日は天候の変化にも対応できるようにだろう。神前には2種類のテントが建てられていた。
すでに拝殿となっている前方のテントへ移動するとお参りした。
お参りを終るとしばらく余韻に浸った後、御神杉を授与していただいて赤崎神社を後にした。
まだ、早い時間帯であったが、御神杉を玄関脇に吊るす例を探そうと近鉄志摩線 中之郷駅方向へ進んだ。道の左右には露店が建ち並び、所狭しの状態であった。
露店が続くなか、道路がクランク状に曲がる場所には鳥羽大庄屋かどやの建物がある。
道標には「←700m 鳥羽城跡」、「赤崎神社 550m→」とあり、玄関脇の格子窓に架けられた御神杉が私を呼んでくれた。
思わず、パチリ!
左右に建ち並んでいた露店が途切れるとこの場所から歩行者天国が始まっていた。
ここからは国道42号を歩いて安楽島大橋(加茂川)まで戻った。
対岸を望めば、白い袋を揺らしながら歩くおじいちゃん、あれも御神杉。その隣にはおばちゃん。
また、安楽島大橋でも白い袋を手にした方が二人。
子供連れと・・・。
そして私の手にも御神杉が授与されていた。
帰宅後に今回授与して頂いた御神杉と一年の風雨に耐え忍んでくれた御神杉の共演、ビフォーアフターだ!