2014年11月08日(土) 遷宮諸祭儀、奉幣(瀧原宮、瀧原竝宮) (徒歩)
昨夜に遷御が執り行われた瀧原宮および瀧原竝宮では早朝に大御饌の儀が斎行された。少し時間を置き次の予定で奉幣の儀が執り行われる予定だったので30分前に再訪した。
瀧原宮
奉幣 11月8日 10:00
瀧原竝宮
奉幣 11月8日 11:00
参道を進むと曇りがちだった空から強い日差しが・・・
造替され素木が眩しい橋までたどり着くと宿衛屋の前には多数の奉仕員が集まっていた。
橋の袂で待機していると
参道の向こう(参道入口の鳥居方向)から別の奉仕員が近づいてきた。
橋を渡ると
宿衛屋の前へと進み
手水を受けた。
その後ろには来賓だろうか、彼らが続き、
同じく手水を受けた。
来賓の方々は手水を終えると、参進が始まる前に参道を進んだ。
なかなか開始されないと思っていたら、列立する奉仕員の前を参拝者がこちらへ戻ってきた。
参道が空の状態になるになるのを待ち、ついに奉幣の儀が開始された。
宿衛屋にて待機していた禰宜が
宿衛屋から順に現れた。
そして、少宮司、
最後に大宮司が登場すると奉仕員が勢揃い。報鼓が鳴らされると
一揖にて参進が開始された。
・・・
参進は宿衛屋のすぐ先、右手にある修祓所へと吸い込まれた。
修祓を終えると参進が再開。
参進の列が見えなくなってからしばらくすると参拝停止が解除され、奉幣の儀の拝観を目的として訪れた人たちは参拝者と共に参道を進んだ。
修祓所の向かい、参道脇の木の根元には先ほど報鼓を鳴らした太鼓が置かれていた。
さらに進むとこの場所で待機となった。ここは旧となった御敷地の手前。
しばらくすると「大御饌の儀」の時と同様に段階的に拝観できる場所が前方へと移動された。
最終的には瀧原宮の近く、プレスの後方で拝観することができた。
【瀧原宮での奉幣の儀】
すでに開扉、祝詞奏上を終え、
幣帛は来賓が見守るなか奉奠された様子だった。
そして、
閉扉。
この後、玉串が奉奠された。
大宮司から順に・・・
玉串奉奠、奉拝を終えると瀧原宮での奉幣の儀とともに御遷宮は終了となった。
奉仕員は瀧原宮を後にすると
引き続き、瀧原竝宮へ移動した。
【瀧原竝宮での奉幣の儀】
瀧原宮から瀧原竝宮への参進は速やかに終了し
奉幣の儀が開始された。
少し離れた場所から、しかも前方は雨儀廊の柱を含め多数の柱で遮られていた。
開扉、祝詞奏上、幣帛の奉奠が・・・
そして、閉扉。
最後に玉串の奉奠となった。
大宮司に始まり、少宮司、禰宜が順に・・・・
玉串奉奠の後、奉拝となると
プレスが場所を移動し始めた。
プレスの垣根の隙間から
パチリ、パチリ。瀧原竝宮での奉幣の儀は終了となり退下となった。これにて瀧原竝宮の御遷宮も終了した。
退下を見送ると
速やかに後片付けが始められた。
瀧原宮からは辛櫃が運びだされた。
まだ遷御を終えていない長由介神社の脇を過ぎると
足元にこちらを発見した。朝から慌ただしく参道を移動していたため気づかなかったが、これらはおそらく昨夜の遷御で使用された松明(しょうみょう)を束ねていた紐が焼け切れて落ちたものだろう。
瀧原竝宮にて後片付けが進められるなか
ひとりの神職が鍵(御鑰と御匙?)を手にして長由介神社の御垣へと入った。
もしかしてと思い、神宮衛士に尋ねると「午後から所管社の遷御が行われる」とのことだった。開始時刻は確定していないとのこと。お伊勢さん125社である瀧原宮の所管社の遷宮諸祭儀はぜひ観てみたい。と思いつつも迷いながら参道を戻ると、昨夜に遷御の儀を終えた古殿地では来賓のためのテントが撤収されていた。
修祓所まで戻ると
そこには辛櫃と五色絹および木綿、紙垂を付けた幣が置かれていた。
さらに参道を戻っていると、知り合いの神職とばったり出会った。所管社の遷宮諸祭儀について尋ねたところかなり前倒しになって正午過ぎから始まるかもしれないとのことだった。
早めの昼食をとり、しばし休憩するため瀧原宮を後にした。
【 20141108 の記録 】
- 遷宮諸祭儀、大御饌(瀧原宮、瀧原竝宮)
- 瀧原宮周辺、熊野古道伊勢路ほか、きままな散策
- 遷宮諸祭儀、奉幣(瀧原宮、瀧原竝宮)
- 初めて拝観した所管社の遷宮諸祭儀(瀧原宮所管社 若宮神社、長由介神社ほか)