2015年07月14日(火) 新たに設置されていた橘神社の説明板(伊勢市黒瀬町) (徒歩)
先日、二見街道を車で走り、橘神社の前を通り過ぎた際、チラリと新しい説明板が目に入った。
今年の初めに御遷座を終えるまでは足繁く通ったのだが、その後は神社の裏手に流れる勢田川での水管橋仮設工事を追いかけていて橘神社に立ち寄ることがほとんどなくなっていた。
【参考】 橘神社
- 2014年06月26日 御造営(修繕?)が開始された橘神社(伊勢市黒瀬町)
- 2014年09月30日 御造営(修繕?)中の橘神社(伊勢市黒瀬町)
- 2014年10月08日 御造営(修繕?)中の橘神社(伊勢市黒瀬町)
- 2014年12月06日 御遷座の準備が整った橘神社(伊勢市黒瀬町)
- 2014年12月26日 御遷座の準備が整い、新年を待つ橘神社(伊勢市黒瀬町)
- 2015年01月02日 昼休みウォーキングコースの神社に初参り
- 2015年01月16日 御遷座を終えた(?)橘神社(伊勢市黒瀬町)
【参考】 勢田川水管橋工事 ( 次のリンクに履歴あり )
- 橋台と水管が接続完了(勢田川水管橋架設工事) 2015年06月25日
昼休みウォーキングにて伊勢市黒瀬町に鎮座する橘神社を訪れた。二見街道側から
社号標を目にしながらの鳥居をくぐると
その先には新たに説明板が建てられていた。いつ立ったのだろう?
内容はこの通り。
橘神社・常柑子・八幡宮・勝廣稲荷・天王社の由来
橘神社 祭神 橘諸兄(たちばなもろえ)公
橘諸兄公は敏達天皇の子孫で天平九年(西暦730年)大納言に抜擢され、左大臣になり太宰師を兼ね正一位に進み政治の実権をにぎり、公卿勅使として、天平十年五月と、天平十三年に伊勢神宮に来られたことが、神宮教養叢書にみえている。勢陽五鈴遺響・神都名勝誌等に所載する橘神社の産土神も伝言井手左大臣橘諸兄公の霊なりとなっている。史実から考察すると奈良時代に遡って、黒瀬の地に何か橘諸兄公に対して身近な宿縁があったのではなかろうかと思われるが、実証するすべもない。常柑子
橘神社境内近くに四方石垣をめぐらし、古来から常柑子の木が植えられている、常柑子と橘は同種だと言うが、これは橘神社に縁のあるものとして、橘の樹と言っている、京都紫辰殿の右近の橘と同種説もある。八幡宮
祭神 応神天皇 黒瀬町の八幡宮は、阿弥陀寺境内の八幡大神をお祭したため名前をいただいたとのこと。御鎮座年代が史実の記載が無く詳しくは解らないが、寛永三年(西暦1626年)の手水石が現存することから、江戸時代の初期には、向山の地に鎮座していたものと思われる。勝廣稲荷神社
祭神 倉稲魂神(うめのみたましん) 五穀豊穣・商売繁盛の神として信仰されている。ご鎮座年代は不明である、向山の頂上近く現(伊勢学園高校の敷地に)鎮座していたが、諸般の事情により、平成六年橘神社境内の池を埋立移転された。天王社
疫病等から守ってくれる神だと言われている、ご鎮座年代は不明である。向山の裾に鎮座していたが、諸般の事情により平成二十七年橘神社境内に移転した。
橘神社は言うまでもなく、八幡宮・勝廣稲荷・天王社の説明も興味深い。向山がキーワードとなっている。向山の正確な位置はどこだろう。次の地図では橘神社の南方向、いせトピアの近くに黒瀬八幡社の名を見ることができる。黒瀬八幡社 = 八幡宮 なのだろうか? もしそうであれば、想像できる。
なお、この地図では橘神社の近くを流れる勢田川が五十鈴川と表記されている。(残念)