2016年01月11日(月) きままな伊勢街道歩き(松阪駅から宮川橋経由で自宅へ) (車、電車、徒歩)
しばらくは神社にお参りできないので週末も時間を持て余している?
平日はブラインドが下ろされて空調の効いた会社に閉じ込もって仕事しているので、週末ぐらいは太陽の下で自由に歩い回りたい。時間があるのなら読書に勤しむことも得策なのだが、どうも身体が許してくれないようだ。
結局は外に出てしまった。久しぶりにぶらぶらと伊勢街道を松阪から伊勢まで歩くことにした。通常なら平均歩行速度が約3km/hなのだが、今回は寄り道も少なめだったので約4km/hとなった。ただし、撮影枚数はいつものように700枚/日ほどとなった。撮影していなければ歩行速度はもっと上がるだろう。歩くことが目的ではないからこんなものだ。
伊勢街道については以前も歩いているので、街道の詳細についてはその記録に譲るとして今回はちょっと変わった視点で捉えた写真を列挙することにした。
【参考】
- 伊勢街道 松阪商人の町を経て国史跡斎宮跡コース 2014年12月27日
- 伊勢街道 斎宮跡からいよいよ外宮コース 2014年12月28日
- 桑名 七里の渡し跡から内宮へ、東海道・伊勢街道を歩いた記録のまとめ
自宅から伊勢市駅前で車で送ってもらい、松阪駅までは近鉄で移動した。今回の出発点はこちらJR松阪駅前。駅前に置かれている巨大な駅鈴のモニュメントを背にした歩き始めた。出足が遅かったので10時20分頃。
松阪市駅前通り商店街を抜けると日野町交差点を左折。直進する和歌山街道との交差点には次の道標が建っている。こんな感じで書き始めると街道歩きを思わせるが、この後は・・・
「左 さんぐう道」に従い、伊勢街道(参宮街道)を進むとすぐ近くにはこの地名標がある。
「湊」の文字に誘われて、説明書きを確認するとこんな感じ。伊勢の大湊が大いに関係していた。
日野町から平生町までの参宮街道筋の町名。城下建設の際、伊勢大湊より商人を誘致して成立した町という。移住した商人に角屋七郎次郎があり、次男七郎兵衛は寛永八年(1631)二十一才で安南国に渡り、海外貿易に従事、故国を見ることなく生涯を終えた。
周囲には電柱など架線がなく、
足元を確認するとさまざまなモノが埋設されているようだった。
さらに進み、愛宕町西交差点を過ぎると頭上に電線が現れた。
近くに寿司屋の店頭には次の掲示がポツリ、ポツリ。愛宕山と
節分丸かぶり。今年の恵方は「南南東」!
驚いたのは回収用のゴミがこんな感じで置かれていたこと。
小津安二郎青春館を過ぎて三角公園付近へたどり着くと足元にこんなマンホール蓋を見かけた。駅前で見かけた駅鈴がモチーフにされている。さすがに本居宣長の街だ。
三角公園を後にすると歩くことに集中していたが、やはりこんな場所は気になる。右手の路地の奥にレンガ塀があったので見学。
街道に閻魔堂が面している信楽寺、さらには
神戸神社を過ぎた辺りで振り返るとパチリ。
神戸神社の遙拝所がある徳和自治会公民館を過ぎると金剛橋で金剛川を渡った。
橋を渡る手前側にはこんな風景が広がっていた。
その先の常夜燈付近からJR紀勢本線をパチリ。(今回はあえて常夜燈を紹介せず。)
徳和駅付近にあるJR紀勢本線徳和踏切を過ぎると
街道を・・・、こんな風景も
あんな風景も
・・・
常林寺では珍しい形の常夜燈はあえて紹介せずにこちらをパチリ。
こんな広告も「10日で5キロ むりなくやせる法!」
こちらは、愛宕權現鎮護札。この後、ところどころで見かけた。
こちらは「おもん茶屋跡」、
白壁に虫籠窓である。
サイクリストが軽快に通り過ぎた。今回は変わったモノを撮ろうと憧れを込めてサイクリストをパチリ。このあとも何名かをパチリした。
郷愁を誘いそうなガラスの引き戸を横目で見ながら・・・
櫛田交差点を横断するとここでもサイクリスト。サイクリストは直接櫛田橋へと向かったが、私は遠回りして伊勢街道をぶらぶらと・・・
渡し跡付近を確認してから櫛田橋を渡ると近鉄山田線は通り過ぎたのでパチリ。
橋を渡り終えると街道を進んだ。その途中で近鉄特急をパチリ。今日は電車のパチリも多い。(撮り鉄ではないが)
そして、またまた見かけたのが、愛宕權現鎮護札・異なる場所でパチリ、パチリ。
さらには函入りの津島神社神札。
こんな広告看板もあり、「マスヤ」は私と同名。松阪市駅前通り商店街を歩いている時に見かけたような・・・
そしてまたまたサイクリスト。(二人だからサイクリスツか?)
明和町を歩いていて気が付いたのは二箇所だったが、アスファルト舗装されない場所があった。こんな感じ。
視線を地面から頭上へと転じると電線に多数の鳥が宿っているように見えたのだが、
その実体はこれらだった。何のためのもの?(鳥よけなのだろうか?)
そして、またまた近鉄山田線。
土蔵の窓にはこんな装飾もあり、目には宝石?
明和町民バスが通り過ぎていった。
別の土蔵にはこんな装飾。これらはいったい何だろう?
またまた・・サイクリスト。
そしてこちらは伊勢街道から右折する道、その先には八柱神社(明和町新茶屋)が鎮座し、
今年の3月12日に御遷座を迎えるとのことだった。
外宮まで約8kmの道標へとたどり着くと、こちらでも近鉄山田線をパチリ。
さらにパチリ。それにしても近鉄は次から次へと走っていた。
進行方向の左手にはこんな案内板(衛星放送のアンテナ)があり、
その隣にはこんな掲示も・・・
明和町から伊勢市へ入ってしばらく歩くと、こちらはへんば餅。ここにもサイクリスツの影があった。
伊勢街道をさらに進むと汁谷川に架かる宮古橋からJR参宮線をパチリ。
さらには宮川に架かる宮川橋からもパチリ。
橋を渡ってから右岸堤防道路にて空を見上げると飛行機がセントレアへ飛んでいった。
振り返るとJR参宮線が宮川を渡っていた。
この付近で伊勢街道を離れると私は宮川の下流方向へ向かった。こちらの踏切ではパチリ、
パチリ、
パチリ。
自宅付近で本日の街道歩きを振り返ってパチリ。
午後4時前に帰宅となり、約22kmを約5時間半で平均歩行速度4km/hだった。
次回は東海道歩きか?