2016年01月24日(日) 漂泊の詩人 伊良子清白を偲んで墓参りほか (車、徒歩)
先日、伊勢新聞の記事で「漂泊の詩人 伊良子清白」の没後70年供養が大紀町打見の墓所で執り行われたことを知った。
私は文学にも疎いのだが、さまざまな巡りの中で伊良子清白にまつわる場所を訪れることがあり、大紀町打見のお墓も気になっていた。
【参考 wiki ほか】
- 伊良子清白 – Wikipedia
- 伊良子清白(いらこせいはく)|鳥羽市 (PDF)
【参考 私の記事】
- 漂泊の詩人 伊良子清白の家 2011年11月03日
- 八幡神社、伊良子清白の詩碑(鳥羽市小浜町) 2012年12月08日
- 土宮神社(鳥羽市小浜町) 2012年12月08日
- 獅子舞の里 野原を巡るコース(JR線を使ったウォーキング) 2013年12月22日
- 文学ツアー(鳥羽の文学散策と開運七ケ寺、薫香四館巡り) 2015年11月21日
なお、新聞記事に没後70年とあるように著作権は切れているため、青空文庫にて詩集「孔雀船」を読むことができる。
【参考 青空文庫】
- 作家別作品リスト:伊良子 清白|青空文庫
本日参加した「宮川流域案内人とともに 熊野脇道伊勢路旅 番外・大紀編其ノ一」の集合場所は、まさに伊良子清白のお墓がある大紀町打見の大紀町役場七保支所だった。『これは呼ばれたのだ』私はこの企画に参加する前に伊良子清白のお墓を訪れた。
七保支所の前に広がる駐車場の
片隅に建てられた伊良子清白の詩碑を後にすると
この案内板に従って進んだ。(この写真は熊野脇道散策に参加した時のもの)
二つ目の辻を右へ折れると坂道が続き、右手上方には墓地が見える。入口を探しながら進むと少し遠回りになる場所に入口があり右方向へ回りこむように・・・。
すると伊良子家の墓石は墓地の外れに一基だけ、独立するようにまつられていた。こちらが最も町を見渡せる場所、好立地なのだろう。
墓石の正面へ向かうとまずはお参り。
墓石を確認すると「伊良子」の文字の左側に卒塔婆が立てられていた。これは伊良子清白の木斛(もっこく)忌のものだろうか?
この後は熊野脇道散策に参加したので、これ以降は散策時に巡った時のもの。
伊良子清白は鳥取県に生まれたが各地を転々とし1922年に三重県志摩郡鳥羽町小浜(現・鳥羽市小浜町)で町医を開業した。その後1945年には三重県度会郡七保村打見(現・度会郡大紀町打見)に疎開した。そこでは旧七保村診療所にて医師として勤務し、その翌年に往診のために櫃井原を訪れた際、脳溢血のために帰らぬ人となってしまったのだった。
散策の途中で見かけた七保診療所。こちらは伊良子清白が医師として勤務した旧七保村診療所?
さらに、武士谷を打見から歩いて
峠を越えて下ると
金輪にもこの案内板があるが、
その手前のこの付近が、伊良子清白が脳溢血で倒れた時に往診に出ていた櫃井原だった。
『合掌』
【 20160124 の記録 】
- 宮川流域案内人とともに 熊野脇道伊勢路旅 番外・大紀編其ノ一
- 漂泊の詩人 伊良子清白を偲んで墓参りほか