2016年08月16日(火) 深野の棚田の散策で見つけた神社や石造遺物(松阪市飯南町深野ほか) (車、徒歩)
お盆休みの最終日、この四連休は外出の機会が少なかったのでお昼前に突然「出かけるぞ!」と頭に浮かんだのは松阪市飯南町にある深野の棚田だった。日本の棚田百選に取り上げられ三重県の棚田は三ヶ所で、「丸山千枚田(紀和町)」「坂本(亀山市)」「深野のだんだん田(飯南町)」だ。前の二ヶ所は訪れたことがあるのだが、深野だけは未体験だった。
【参考】
- 丸山千枚田「田植え体験」 2011年05月15日
- 坂本棚田の散策 2012年11月25日
- ミツマタを求めて、坂本棚田・ミツマタの森・坂本農林公園付近(亀山市安坂山町) 2016年03月27日
なぜこの時にこの場所が・・・、その理由は自分自身でも分からない。いつもひらめきにはできる限り対応しようと思っているので、お昼前だったが早速、松阪市飯南町深野へと車を走らせた。
松阪方向から国道166号を走りJA松阪深野への丁字路を右折するとこの風景が見える場所に広い路肩があったので、そこに車を駐めると歩くことにした。私の場合、予備知識なしでとにかく感じることを優先するので、今回は深野の棚田を歩き回ることにした。さらに、変化が好きなので棚田だけでなくその周縁部も巡ってみた。すると棚田百選として取り上げられている区域以外でも棚田が存在し、さらに畑や茶畑も点在していること、また棚田と民家が非常に近接して存在していることが体感できた。
遠方に見える深野の棚田を目指そうとしたが、すでに目の前に棚田が存在していた。
家並みの間を進むと長野地区コミュニティ消防センター付近のY字路に到着。
建物の壁面には棚田周辺の地図が掲示されていた。また、その前には「深野棚田」の案内板があり左右に矢印が示されていた。どちらでも棚田へ行けるのだ、私は瞬時に右のルートを選んでいた。(理由はなく、勘)
歩き始めるとこんな坂道が続く。
それほど歩いてはいないのに振り返るとかなり登った感がある。
まずは目印を発見。「ホース格納箱 長野3 長野組」
さらに進むと右手にこんな道標があった。後で分かったのだが、「せきそん」とは石尊大權現だった。「あららき」は?
道標の左方向にこの案内板を見つけたので「←深野棚田」に従った。
すると近くには地蔵尊がまつられ、その前に建てられた
石柱には「慶應四年(1868)」の文字が見えた。
また、上山商店の近くには飯南コミュニティバスほほえみのバスのりばがあった。ただ、この時刻表によると水曜日と木曜日にしか運行されていない。
上山商店を後にすると
近くに常夜燈があり、その周囲には庚申塔などがまつられている。この裏側にも
さらに坂道を進むと隣の道で傾斜が確認できた。体感的にはもっと急に感じられる。
またまた、案内板。
右手にこんな光景をパチリ。
続いて目印のホース格納箱 長野4 長野組。
だんだんと棚田の風景。ここは「深野だんだん田」だ。
石の芸術が展開されている。
続いての分岐。
どちらでも棚田だが、最初に右を選択したので、ここでも右方向へ進んだ。
石の芸術を楽しみながら
矢印に従うと
完璧に護岸工事で固められている深野川では親子連れが(サワガニ採りだろうか)楽しむ姿を目にした。
さらに進む(登る)と
またまた分岐。ここでも右を選択、その先には「↑白猪山」の案内板があった。
石積みを楽しみながら・・・
この辺りが棚田の上部だろうか。
すると「夏明」地名板とともに
石の芸術「深野だんだん田」の説明板が現れた。
この近くから振り返るとかなりの高度を稼いでいることが分かった。歩き始めた場所が小さ〜〜くなっていた。
さらに上部を目指すと
その上にも民家が建ち並んでいた。
右方向の最奥部へ進むとこの先は山へ入っていたので
ここで折り返した。その際にパチリ。
少し水平方向に移動するとまたまた目印を発見。ホース格納箱 夏明組 NO.2、長野から夏明に変わっていた。このホース格納箱の近くには
飯南コミュニティバスほほえみ 白猪山登山口下 バスのりばがあった。
さらに坂道は続いた。
壊れかけた蔵を右手に見ながらさらに登ると
棚田の風景は一変し、茶畑が広がっていた。
その先には白猪山登山口の道標があり、石段の上には
常夜燈が建っていた。そしてその常夜燈の竿石には「石尊大權現」と刻されていた。つまり「せきそん」、ここが先に見かけた道標の「せきそん道」だろう。
白猪山登山口付近から見下ろしてパチリ。
今日は登山する予定ではなかったので、白猪山は次回の楽しみにとっておくこととし、深野散策を楽しむことにした。白猪山登山口から水平方向に進むとこの場所に出て、坂道を下った。
その坂道の脇には茶畑。
そして、この場所にたどり着いた。「白猪山登山口→」、つまりこの上部を反対方向に歩いていたことになる。
さらに、白猪山登山口から離れる方向へ、さらに上部へと進むと
民家の脇の道を進んだ。いきなり飼い犬に吠えられた。この辺りによそ者が訪れることが稀有なのだろうか、かなり遠くへ離れるまで吠え続けていた。
またまた見下ろしてパチリ。歩き始めた場所は点になっていた。
ズームでパチリ。
さらに上方に民家が見えたので
その間を通り過ぎた。
ここが周縁部だろう。この先は山に入ってしまう。いや待てよ。左側のルートの先は・・・?
橋のようなモノが見えたので、近づいてみると
橋が架けられていた。見上げると棚田のような・・・、こんなところにも棚田が残されているのか。これは行くしかない。橋を渡ると山道を進んだ。
数十mも進むとこんな雰囲気の場所に出て
その先には背の高い立派な石積みが現れた。この石垣を右方向へ回りこむと
こんな棚田があり
最上部からパチリ。ここが深野で最も高い位置にある棚田ではないだろうか!
この付近で佇んでいると金属音が聞こえてきたのでその正体を探しているとこれらが見つかった。
こちらが沢の水で上下するししおどしで、
ししおどしと糸(金属線?)で繋がれている音の発生源。金属がぶつかり合うようになっていた。
動物を近づけない工夫はこんなところにもあった。
CD板に目が描かれていた。どれほどの効果があるのだろう?
この棚田を後にしようとすると舗装された別のルートが準備されていた。これだけの棚田を維持するために先ほど歩いた道では大変だろう。この道を下ると
予想もしなかった神社に遭遇した。鳥居には「夏明組」と記されていた。先ほどのホース格納箱と同じだ。
鳥居の下には陽石のような石。
石段の先には祠が二宇。
鳥居に掛けられた注連縄がなぜか印象的だ。
そして、お参り。左側が山の神、右側が唐戸岩と記されていた。
祠の裏には立派な岩があり、注連縄が掛けられていた。これが唐戸岩か?(詳細は不明、今回はとにかく無心でのフィールドワークなので、後日調査が必要だ。)
さらに、この周辺には石が点在していた。まつられているようにも思える。
また、近くにこんな小屋が建っていた。最初はあまり興味を示さなかったのだが、小さな手水石があることに気づくと入口へ・・
小屋の中はさらに奥へ、別の小屋へと続いていた。
その先の小屋には多数の石仏が立ち並んでいた。これが長野地区コミュニティ消防センターの壁面にあった飯南町深野 上郷案内図に記された大日如来なのだろうか?
こちらを後にしようとすると
二本の竹を見つけた。その先端には
御幣が付けられていた。これは浅間さん?
棚田だけでなく、神社仏閣まで楽しめる。坂道を下り分岐を左へ道なりに進むと
ここには石で作られた祠が三ヶ所。庚申塔ほかがまつられていた。
先ほどの分岐まで戻る途中でパチリ。
犬に吠えられる前の分岐まで戻ると別のルートへ・・・。分岐が多くて回り尽くすことができないほどだ。
今度は下り。
点在する茶畑も見ながらさらに下ると
こんな道標を見かけた。もう帰ろうかと思っていたが「八幡神社」の文字に惹かれてしまった。
寶泉寺の前を通過。
この前にも飯南コミュニティバスほほえみ 宝泉寺 バスのりばとホース格納庫 夏明組 NO.9。
さらに先へ進むと飯南町深野上郷地区コミュニティ消防センターの先で「鍛冶屋瀬」地名板を見かけた。結局、八幡神社を見つけることができなかったので、この先で上方へ向うとぐるーりと回ってくることにした。
上方へ向うとその先は
「←山道」となっていた。ここで折り返すと
来た道とは異なるルートで、
ホース格納箱 カジヤセ? NO.1。
ここにも棚田。
石がゴロゴロする場所をトラバースすると
寶泉寺まで戻った。
先の道標まで戻ると今日の所はこれで退散することにした。
「深野だんだん田」を体感しながら
下り始めた。ここにも説明板。
風景を楽しみながら・・・
こちらの石積みには
石の階段が準備されていた。
かなり高度を下げると稲に注目、パチリ、パチリ、パチリ。稲刈りの前に訪れることができて良かった。今回、私を深野に駆り立てた理由はここにあったのかもしれない。
長野地区コミュニティ消防センターの分岐を過ぎると
車に戻り、近くからパチリ、再訪を約した。
この後、またまた念願だった粥見神社を訪れた。
水、木しか運行されてないバスってすごくないですか?
なにか意味があるのかなぁ・・。
飯南町深野地区、見所いっぱいですね。
お茶の産地って、始めて知りました。
一回の訪問では、廻りきれないですねっ。
たかっち さん
こんにちは!
> 水、木しか運行されてないバスってすごくないですか?
その理由はわかりませんでした。
なんせ、何にかを尋ねようにも誰も外には出ていないのですから。まぁ、暑い中で歩きまわっているのは私くらいでしょう。
お茶の産地であるかはわかりませんが茶畑が散在していました。自給用ではないでしょうか。
なお、深野には藩札にも使用された深野和紙を作っていたそうですが現状が不明なため調べてみたいと思います。
次回は予備知識を入れてから巡りのも面白そうです。
たまたま深野の石碑の事を調べていたら御ページにたどり着きました。むかし棚田も拝見しましたが車で回ったのでほとんど通過でしたね。
目にとめられた石標の「右せきそん左あらヽき道」のあららぎがぼくも気にかかりました。調べてみると山を越えた柚原にある蘭宇氣白神社(蘭神社):あららぎうきはくじんじゃの事のようですね。本当に歩きの時代の道標なのですね。面白かったのでお知らせしておきます。
https://www.matsusaka-kanko.com/information/information/araragi/
がらん さん
情報、ありがとうございます。
「あららぎ」だったのですね。
こんなところまで、どのルートでたどり着いたのか、さらに興味深いです。
https://www2.jingu125.info/2015/03/12/20150309_12523424867/